「よろしかったでしょうか」は別に気にならないんだけど「このような要件でのお電話だったんですけれど」や「ご提案だったのですが」など、よろしかったに限らずタイムリーな会話なのに不適切な過去形が異様に好まれているなと感じたことが以前ある。不適切なのに爆発的に広がって使われる言葉には、時に心理的理由が潜んでいる。日本語の正しい用法にもまあ多少興味はあるが俺が断然惹かれるのはこの心理的な理由の方なんだけどググっても大抵は釈然としないんだよな。日本語自体については語学でアプローチできるんだろうしビジネスの場で云々みたいなのも特に転職サイトやビジネス系云々では記事化しやすいだろうけど心理については確証のある正解には辿り着けないからね。中身スカスカのウン考察でよいなら別だが、真相に迫っていくのであれば難易度は先述したものよりはるかに高い。俺がそういった記事に辿り着いていないだけの可能性もあるが、たまにある心理考察ってピンと来ないんだよなあ。とまあハードルを上げるんですけど、よろしかったに代表される過去形問題について俺は、現在にフォーカスすることへの恐れ、合意に至らない場合のダメージを抑えようって意識の表れだと思っているけどどうすかねえ。相手の答えがNoだった場合に過去形にしておけば現在を否定されたわけではないことにできるというか。う〜ん上手く言い表せないな。過去形を用いず普通にやりとりすると「よろしいでしょうか」→「よろしくないです」→「そうですか…」となり、今まさにNoを突きつけられたことから逃れられないけど、「よろしかったでしょうか」→「よろしくないです」→「そう"でした"か…、よろしく"なかった""でした"か…」として、Noとなる当該事案を過去に持っていけるんすよね。無論無理やりであり気分の問題なんですけど。無理やりなんだけど、過去側にポイントをずらすことで今この瞬間との間に空間を作れるっつーか。このありもしない空間を心理的な緩衝材にしてんじゃないかと俺は推測している。バイト用語みたいなところからこの言葉が始まったってのも、若者の心理的にも、日々クレーマーとの対面リスクがある状況なのも踏まえるとまずまず合点がいく。もう少しマイルドに考えるなら、「いいか?悪いか?」と真正面から聞くことへの抵抗があるのかもしれない。自分がつっけんどんな言い方をしているように感じるのか、相手に迫るようで気後れするのか、これらの複合か実際のところは分からないし個々のパーソナリティにもよるだろうが、少なくともある種の人々にとっては「よろしいでしょうか」よりもはるかに採用したい言葉であったことに違いはないはずなんだよな。「敬語表現が未熟な、主に若い世代による過剰敬語の一つ」と捉える向きもあるが、う〜ん、そこまで単純なものか?と思うな。