言語化能力に関するあれこれを言語化したいと思っているんだけど、まとまらねえ(言語化能力の欠如)。言語化って言語が流行ってますよね。本なんかも色々出てきているでしょうYouTubeのおすすめにも色々出てきますからね。知らんけど。んでなぜ言語化を言語化したいかなんですけど一般的に評価される「言語化能力」ってやつがズレているように感じられ、また鍛え方のハウツーもそのズレた需要からズレているように感じているからです。優れたアウトプットに対して「言語化がすごい」と評価される場面をYouTubeのコメント等で何度も目にしてきたが、俺のインプットは主にYouTubeとLINEニュースに限られているんだが、優れたアウトプットで凄いのは往々にして「言語化」の部分ではないと、俺は思っている。ふむ。言語化ってのは、言葉通りに捉えれば出力の部分の能力ですよね。まだ客観的視線に晒されていない自身の脳内にある何かを他者にとって理解が可能な形に出力する際に使用されるのが「言語化能力」。言語化に関する言説で見落とされているなと常々思うのは、出力前段階の脳内にあるものの「質」です。この質がウンコであれば、どれだけ高い技術で出力しようとも排出されるのはウンコか解像度の高いウンコであり、そんなものを最大出力で噴射されても迷惑である。総論を理解した上で出力部分に絞って技術論を構築するのは各論として正しい。でも多くの人が獲得したいと思っている言語化能力って、「分かりやすかったり説得力があったり鋭い分析があったりする論理に秀でた質の高い言葉や文章の塊を外の世界に速やかに提出し続けられるようになりたい」ではないですか?これは高度です。これを目的とするのであればまず基本的な認識として、高い入力と高い出力を総合することで初めて実現可能になることは大前提に置かなければならない。置かれていないと強く感じます。それって私の感想ですよね?はいそうです。あ、入力ってのは質の高い情報ソースのインプットみたいな狭義の意味でなく、出力工程前の全てを便宜上入力と言っています。ここが極めて重要だと、少なくとも出力技術よりもはるかに重要だと俺は思っている。あーでももう少し水準を下げて仮定してみて、自分の伝えたいことが全然頭の中でまとめられなくて言葉にできなくてアワアワしちゃって頭真っ白になっちゃう、何も言葉が出てこない!言語化能力がほしい!とかなのか?うーん。いやその場合こそ言語化能力の問題じゃねえよな。まーそんなわけで、身も蓋もない話だけど普通かそれ以下の知的水準であれば他者からの知的感心を生むような発言や文章はいくら出力技術を磨いてもだめで、まずはそれなりの思考ができるようになってからだと思うんですよね。太っていて筋肉が少なくてちょっと走るとヘロヘロになる体力の人間がサッカーで活躍したい場合、まずすべきは上手にシュートを打つ練習ではなくもっと前段階の肉体改造であることと同様に。じゃあどうやって頭のよさを上げるんじゃ〜って話になると全然わかんないですけど。ただ知性の落とし穴は足の速さのように測定が一目瞭然でないところで、また人間は自分の知性を過大評価しがちで、かつある程度アホだと論理とか根拠とか全然理解できないので悲劇的結末としてわけのわからないまま自分はそれなりに頭がいいと思っているアホは大量にいる(以前この話を後輩にしたらじょさんもそのアホな可能性あるじゃんと言われたので俺のみ違うと言っておいた)。まあそんなあれこれの背景から、まず先立つものは知性よねって話になりづらい状況はあると思う。話は言語化能力に戻りますけど語彙力とか話の展開の順番とか相手が理解できる言葉を選ぶとかのアドバイスばかりで、まさしく言葉通りの意味での言語化能力には影響するとは思うんですけど、これらはあくまでソフトの問題で、ハードのCPUスペックが低かったらどうこねくりまわしたって大したものは出てこないっすよね。ある特定のサービスをある特定の状況で一度限りプレゼンする上での技術、みたいに限定的な条件であれば要求される前提知が制限されるので、出力技術の研鑽が有効なアプローチになるとは思うんですけどね。まあこれは言語化つーかまた別の能力でプレゼン技術か。言語化の話はいつかちゃんとまとめたいっすね。