世代や性別などの過剰な対立煽り、うんざりっすね。うるせえ。とどのつまりは損得の分配の問題になっちゃいますけどそれでも真摯に議論を尽くして、まあでっこみひっこみは各所であるけれどもなるべく手を組んでいこうよ、って協調の姿勢がなく、いかに自分たちが侵害されているかの被害者ムーブで呪詛と火種を巻き散らかすバーサーカーが跋扈すると、まともな人たちもああもうこれは無理だと背を向けますわ。もう10年以上も前か、缶コーヒーのCMで「男はバカで最高だ」ってキャッチコピーがあったんですよね。単純でバカなこともするけど最後は仲間同士快活に笑い合えて最高みたいなニュアンスだったんだけど、マジでキモと思いました。わけのわからない不必要な自虐。いや俺はバカじゃねえし。あるいは、今の時代を作っているのは大人達だから大人の一人として今の子供達に申し訳なく思う、みたいな所信表明をしているやつ見たことあるんですけど、こういうのも本当にキモいですね。細部に宿っているものは若干違いそうですけど、大分類として多分、自虐に快感を覚える人間は一定数いるのだと思う。同胞を嬉々として罵る両親を見てグリシャが憤るシーンが進撃でありましたけど、あの両親も少なからずその成分が入っているでしょう。自虐って自分のみのことであれば勝手にどうぞですけど往々にして主語がでけえんだよな。俺を含むなよ。ああ、俺を含むなよでちょっと思ったけど、もしかしたら彼ら、自分を含む属性の批判をすることで、自分はポジショントークではない客観的な視点を有していて、代表して断罪や謝罪することで「話が分かり、自浄作用の希望となる代表足る人物」と演出することができて気持ちいいんですかねえ?「大人の一人としてごめん」とか言えば、冷静な自己批判から謝罪をしている装いでその実、本来謝るべきその他大勢の大人と自分は違うのだ、唯一話の分かる大人なのだ、ってアピールできそうだし、その流れに乗じて、容姿のよいJKからの連絡待っていますと、こういうわけなんじゃねえの?お前。おいおい。油断も隙もあったもんじゃねえな。個人的事情や状況によらず客観的に物事を見たり、判断したりは一つの知的態度ではあるし、それにより本当に不利益を受け入れるのであれば誠実である。が、そういった仕草は仮初めで実のところの動機は自身のつまらない欲望によるもので、実際には何の不利益も被るつもりはなく利益は摘みたいとなれば、グロテスクでしょう。俺は誰かを不当に搾取している男に代わって詫びることはないし、誰かから不当に搾取されている男に代わって戦うこともない。俺や、俺の身近な人でないなら働きかけるのなんか無理だし、無理でなくてもやらない。知らない人に対してそのコストは避けない。そういった社会の出来事について良く思ったり悪く思ったりはもちろんするし時に外側から所感を垂れ流すことはあるが、渦中の当事者に直接アプローチしたり、あたかも責任を直接的に引き受けているかのような無責任なパフォーマンスはしないだろう。過去どうだったかは事細かに記憶してないけど、多分していないだろう。弱っているとか不満を溜めているとかキツい状況の人間に、理解を寄せ敵を作り上げて自分だけは味方だみたいな顔をするのは絶対に悪用厳禁ですよね。卑劣ですよ。強いストレス下において人間はIQが下がるし助けが必要なんで、つけ込むような真似は悪どい。ま俺たちの平井銀二も「相手が理解して欲しいと思うように理解してやることで人は落ちる」とか言ってましたからねえ。福本伸行はもうずっとご隠居しちゃってて悲しいんだけど昔の作品は劇薬でした。今日はこんなところで。