自分と自分が大切にしている人間が悪口などで加害された際、仕返しのエクスキューズとして「自分のことなら何を言われてもいいけど、○○を悪く言ったのが許せない」ってのしばしばあるけど、めちゃくちゃダサいですよね。無論、前段の「自分のことなら何を言われてもいいけど」の部分がです。嘘ですよね。仲間思いとか利他精神とかはパフォーマンスや言い訳として活用するものじゃなくないですか。利他のふりして自分の株を上げて得しようとしているのが滑稽っすよねえ。しかも事実と異なる。薄汚え。言葉通りであるなら、シャンクスのように自分への悪意であれば常に笑って容赦していて、自分の身近な人の被害に限り今回と同じ温度感で外野ポジションから突撃しているんですか?していないですよね?情けは人のためならず利他が最終的には自分に返ってくるとか利他も原理的にはそうしたいという自分の利己的欲求が云々っていう話ではないです。もっと強烈に次元の低い話です。平場において「自分のことは何言われたっていいよ〜あらゆる中傷も差別も全然ウェルカムだよ〜」なんて人見たことも聞いたこともねえしな。その鋼のメンタルが真実なら今の時代めちゃくちゃ需要あるでしょ。嘘の装飾で安易に自分のかっこよさを演出しようとするのは悪手である。こういった質の低い装飾って一定水準の見識があれば一発で見抜けるから見抜けない人だけを集めた閉じた空間みたいな特別な状況を除き逆効果なんだけど、考えるのが不得意だから悪手だと察することができないし、どこかで見聞きしたことのあるベタな決めゼリフみたいなものぐらいしか装飾の手立てが思いつかないし、賞賛経験が少なくて賞賛に飢えているから報酬欲しさで罠装飾ボタン押しちゃうしで、構造的に絶望大地獄悪循環再生産され続けるようになっていて悲しいですよね。賞賛など他者からの望ましい反応って、最終的には他者に委ねられることは大前提としてもし求めるのであれば品質を向上させて賞賛に値するように持っていくのが当たり前で、品質は低いけど賞賛される気持ちよさは欲しいみたいなのはトレードとして成立しないんですよね。キャバクラとかホストクラブでチヤホヤされるのは差分を金で埋めているのでトレードが成立しているんだけど、一般の人間関係内において立場とか嘘とか拾って欲しい感丸出しのコミュニケーションとかで品質を埋めようとするのは、本当にやめた方がいいですよ。だって褒める側は対価を受け取ることができないまま褒めることになるので、褒めと品質の差分は大抵ヘイトに変換されますからね。までもそれだけ、他者から認められ賞賛されるってのが渇望される時代なんだろうなとは思いますね。今はネットで観測範囲が広がっただけで時代云々でなく太古からある人間のお家芸なのかもしれないですけど(絶望)。そんなこんなで色々言いましたけど、もしリンクから購入くだすったら、心から感謝と賞賛させていただきます。