さくらいです。
ど~してもひじが痛いのが治らず、すっきりしない今日この頃。
もう何か月もです。
誰かなんとかしてくれ![]()
みんなは、テニスをするのに、注意する最低限のことはなんですか?
最低限というのは、根っこのことです。
これがなければ倒れてしまうという。
ぼくにとっては当たり前のことなんだけど、頭にないままプレーしているひともいます。
それは、どこにボールを落とそうか考えることです。
ぼくにとってはテニスの根っこです。
すべてのことが、ここから始まっています。
このことを無視した考え方は、ぼくの中ではひとつもありません。
技術、戦術、いろいろありますが、すべてこの考えのもとにあります。
ぼくの愛するスポーツ、バスケットボール。
テニスマンにとっては、落とす位置が極めて狭く難しいスポーツです。
ほぼピンポイントでボールをゴールに落とさなければいけません。
その他のゲーム性に関する楽しい要素ははしょりますが・・・、ボールを狙った場所に落とすという行為について、テニスに比べるととてもシビアです。
テニスは簡単です。
適当なコントロールでいいわけですから。
その理由は、適当なコントロールでボールをコートに落としておけば、相手がさらなる適当なコントロールによりポイントをくれるではありませんか![]()
ありえません。
バスケでいうと、ショットミスで相手にポイントが入ると。
サッカーでも同じく。
逆に、それもおもしろいと思いますよね![]()
おもしろがっている場合ではないですよ。
つまり、
テニスにおいては、コートにボールが落とせないということが、どれだけのことなのか。
テニス競技の難しさ、おもしろさ、深さはそこにはありません。
どういうことか。
ボールがコートに落ちること、それができることは当たり前のことです。
技術をそうしていくことが必要だということと、そのことがいつも頭にはあって、プラス考えることがあるということです。
なぜそんな風に打つのか。
なぜそんな風に動くのか。
ほかのことも。
当たり前というのは、できて当たり前ということではありません。
当たり前にやるんです。
コートにボールが入らなくなる可能性が高まるか、なくなる行動は間違っています。
それが、セオリーであっても、一般的には正しいことであっても、間違っています。
トッププロが言おうが、コーチが言おうが、誰が言っていても間違っています。
自分の感覚はひとが操作できるものではなく、また、されるべきものではないです。
あくまで、ボールをコートに落とすことについてです。
狙いのはなしです。
気持ちというか、想いというか。
なんの練習をしていても、気をつけることを気にしていても、これがなくなったらいけません。
標準装備でいなければ。
ボールを狙ったところに落とせなければ、はなしは終わります。
プレーした経験があればあるほどわかりますよね。
こうやって、こうやって、こうやって・・・
その過程で、ラリーが途切れたら・・・
わかりますよね。
レベルによりますよ。
結局は。
ただ、これは、技術のはなしだけではありません。
誰にでもできることです。
レベルっていってもたかがしれてる・・・。
できない技術は、見た目には当然できません。
打てないものは打てないし、入れろ!と言われて入れば苦労はしないです。
だから!
逆にそんなことにならないように、むりやりなんとかするのです。
根性論ですかね。
なかなかうまくならない人は、追い込みが足りないということもあると思っています。
才能がない。
と言ってしまえば楽。
ぼくはそれが大嫌いです。
諦める?
そんな言葉はない。
才能がなくてもできることのはなしです。
自分の頑張りが足りないと考えるのが、一番納得がいくと思っています。
だいたい才能がないもん同士の競争なんだから、誰でもできるでしょ
ぼくはバスケットの練習、といってもショット練習しかしたことありません、を必死こいてやっていた頃、いつかダンクしてやると思っていました。
たぶん、
残念ながら努力が足りなくて、達成できませんでした。
NBAの選手は、ぼくの身長でもダンクします。
ぼくが負けている相手は、世界でもトップクラスの才能の持ち主たち。
しょうがないとも思いますが、悔しいです。
だから、ぼくの縄跳びは普通と少しだけ違うのです。
テニスのショットは身体能力にそれほど大きな影響を受けません。
スポーツだから、優れた身体能力により得することがあるのは当たり前です。
幸いコートへの落とし方もいくつかあるし、その行為を直接邪魔されることもありません。
だから簡単です。
自分の技術や努力は報われます。
安心して頑張りましょう。
技術の間違いは発見してもらえますが、思考の間違いはなかなか発見されません。
ちゃんと考えましょう。
その考え方、価値観はちゃんと上達する方向に向いているのかを。