好評連載中「感情記憶をほどいたら、地上が楽園になった」シリーズ。
前回は、第40回 7つの感情記憶(7-2)愛「誰もが勘違いしている、愛の正体」でした。
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楽園からうっかり遠ざかってしまう勘違いトラップ「7つの感情記憶」、7つめ「愛」のお話。
前回は、
なんだ、最初から、全部が、愛だったんじゃん。
ということを、お伝えしました。
でも、現実を毎日生きていると、そんなふうに、思えないこと、たくさんあるね……??
なんでだろうね。
あのね、
そもそも、そういうふうに、神様は世界を作った
んだ。
神様は、自分自身の一部として、わたしたちをデザインするとき……。
全てがつながっている、自分が全体の一部である、自分が完璧な愛であることを、敢えてわすれる仕様にしたの。
肉体という器に
魂を小さくちぎって入れて
意識を分離させて
「あたかも」
「個別の独立した存在である」ように
「見せかけた」。
だって、その方が、個性の色が際立つでしょう?
ひとりひとりがそれぞれの色で、うつくしく花咲くように、完璧に設計されたのが、この世界。
互いに、互いの色を比べて、それを
「あなたは、そういう色なんだね」
「いいねえー」
「ありがとう、そちらも素敵だね!」
と、愛で合うことができるように。
実は……
この連載で何度となく説明してきた、「感情記憶」は、そのために肉体に搭載された装置、とも言えるのです。
様々な出来事を通して、
様々な感情を感じ、
様々なことを考え、
この世界をより深く豊かに経験し、
それを、それぞれの個性をもって表現してゆけるように。
けれど、人間は、自分が、「全体性」「神性」「愛」の一部であることを忘れ、いつしか、それらをすべて、自分でない外側の何か、に求めるようになった。
二極のものさしをどんどん採用して、自分が「切り離された」「不足している」存在だ、と考えるようになった。
感情記憶のシステムは、とてもよくできている。
「自分が信じたことが、即座に自分が見ている世界にありようとして反映され、その通りに経験できる」
という、素晴らしいしくみなのだから。
ただ、今日では、
そのシステムに大前提として組み込まれているプログラム(絶対感情記憶)が、
この世界は、
「ばらばらで」
「競争があって」
「愛されたり愛されなかったりする」
というシナリオになっている
ということ。
そして、その、ばらばら分離のシナリオが、
「あたかも」「絶対的なもの」に「見えている」。
けれど、もうお気づきかもしれませんが、
それは、もはや、絶対では、ないのだよね。
感情記憶はただのプログラムなのだと、気づきさえすれば、いつでも解いてゆくことができるのだから。
ありのままのわたしの素晴らしさを、そのまま認めること。
そのためのとても簡単な方法は、
「わたしは、わたしだけの存在でなく、もっと大きな何かと、つながっているのだ、と感じてみる」
こと。
これを、「委ね」と言います。
・力を抜いた方がうまくいく
・大きな流れを信じてみる
・神様に祈る
・人事を尽くして天命を待つ
などなど、聞いたことがあるんじゃないかな。
これってさ、結構、ばかにできない力があるってことなのですね。
さて次回、感情記憶7つめ「愛」についてのクライマックスです。
感情記憶の6つめ「虚しさ」のトラップの答え合わせもしていくよ。
おたのしみに!
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