小さい子供がいる方。

息子、娘が、自分が親として一人の社会人として許せない行動、悪い事をした場合を想像して下さい。ちょっとイタズラで隠れてタバコ吸ったとか、酒飲んだとか、程度なら頑張れば笑えるかも知れませんが、

・薬に手を出した

・集団で一人の弱者に暴力を加えた

・身体的に不利な人にあり得ない差別的行動をとった

・外国人のヘイトスピーチを始めた


どれかは分からないですが、親として一人の社会人として、自分の良心として絶対に許せない、こういう人にだけはなって欲しくない、というマイナスの琴線にダイレクトに触れる行動を息子、娘が起こしたとき、どうしますか?

殴る!とは思わないのでしょうが、言っても聞かない、効かない場合、思わず殴ってしまう可能は全くないのでしょうか。


で、

殴ったらDVで捕まるのでしょうか?やはり、


「とがめられない暴力がある」


と理解したいと思っています。


この疑問は、

どこからセクハラなのか?

どこからパワハラなのか?

という質問と似ているように思っています。


「とがめられない暴力」を全てのケースで定義するのは難しいですが、言葉で表現すると、


暴力を振るう側には、暴力をはるかに超える、愛情、熱意、更生させようとする責任感や覚悟、「愛」がある事。

殴られた方が納得、理解をすること。両者に信頼関係があること。


暴力を肯定は絶対にしませんが、これらが成り立っている場合「とがめられない暴力がある」と思いたいです。暴力を振るった方も振るわれた人と同じくらいの精神的な痛手を受けているとも思います。


最近、飽きるほど報道されている話

・イジメはあったのですか?

・これはパワハラに当たりますか?

・幻覚、PTSDが原因なのでセクハラに当たりません


イジメ、パワハラ、は親と子、上司と部下、先生と生徒の間にもっと信頼関係があれば今ほどの頻度で報道されることはないのかなぁと想像します。イジメ、パワハラが話題になればなるほど、同じ組織内での人間関係が希薄になっていることを象徴しているのかなぁ思います。

規制が緩かったのはありますが、スクールウォーズの時代は先生と生徒の関係も今よりは親密で尊敬や信頼という言葉で表せるような感情があったから許されていたのは嘘ではないと思います。


法律やルールで、 
「愛がある事」を説明して暴力の正当性を判断する事は無理でしょう。法律やルールに判断を委ねたら、どうしても状況にそぐわない結果になりがちだと思います。 


信頼関係が築けていないため、法律やルールを頼らないと問題解決できない寂しい状況なのだと思います。


そんな心持ちで、日馬富士の状況を考えると、今の状況をある程度理解しつつも、ちょっと面白がっているかのようなマスコミの報道には「日和見菌」的なポリシーの無さを感じてシラけた気持ちになります。違う報道のされ方があったのではないか、日馬富士を引退に追い込んだのは、貴ノ岩でも貴乃花でもなくマスコミなのでは?と思ったりしてしまいます。


その上で一番怖いと思っていることがあります。

善悪を法律やルールに委ねて安易に判断した結果、過剰に特定の人が責められたり、やり玉に上がるような風潮はとても醜いです。

そのような風潮の先には、北朝鮮をぶっ潰せ!韓国人は国に返せ!身体障害者は生きる資格なし!のようなあり得ない議論や結論を容認し肯定する非常に寂しく情けない日本の未来があるのように感じてなりません。


仏教の根本思想に「中道」という教えがあります。「中道」の理解も難しいですが、全ての善悪を白と黒の2択で判断してはいけない、という意図が少なからずあると思います。灰色を容認しなさいという釈迦の言葉だと思います。


中道の思想が許されない世の中は不安です。

本当に「くやしいです!」