南天群星2
K君の年頃で思い出のヒット曲は?と考え、
勝手にしやがれ:沢田研二
渚のシンドバット:ピンクレディ
この2つのヒット曲にあやかればヒット間違えなしと信じ、歌詞に一回も出てこない、意味も全く解らからない「勝手にシンドバット」というタイトルをデビューシングルにつけて売り出します。
そんな中「南天群星」の名前を世の中に知らしめるテレビ出演の機会がおとずれます。
ザ・ベストテンという国民的音楽番組のスポットライトのコーナーに出演することになります。新宿ロフトから生中継でした。1978年8月31日の出来事です。
司会の黒柳徹子さんが
「あなたたちはアーティストになりたいのですか?」
と問いかけをしました。考えたらこの質問はかなり違和感ありますが黒柳徹子さんだから許される、意味がある質問なのかも知れません。
その時のK君の答えは…
「いいえ?!ただの目立ちたがり屋の芸人でーす」
でした。
こんな返事をする人間はまともなミュージシャンなワケがない。更にテレビに映っている格好は短パンに上半身裸。歌う曲は意味も分からないタイトルの「勝手にシンドバット」。
このテレビ出演の画像が全国に放たれた瞬間「南天群星」はオチャラケたコミックバンド的イメージを全国に与える結果となります。
黒柳徹子さんにはこの時の印象が強く残り、こんな子は放っておいたら大変なことをすると心配していました。以後、K君を「息子」と呼んで可愛がりました。
黒柳徹子さんは後に、ちゃんとしたミュージシャンになれるとは当時は到底思えなかったと語っています。
このスポットライトの生中継直前、K君はあまりに緊張していたために観客に頭下げて「お願いします!盛り上げて下さい!」と叫んだり、「メンバー全員裸になれ!」と指示したりしたようです。
また、観客は大半がサクラだったとか、「いいえ?!ただの目立ちたがり屋の芸人でーす」という言葉も前から決めていたとか、噂があり、この放送はかなり仕組まれた演出だったようです。
コミックバンド的なイメージが「南天群星」にプラスだったか分かりませんが、面白いバンドと認識され「勝手にシンドバット」は大ヒット曲となります。
今 何時? そうねだいたいね~♪
という歌詞は巷に蔓延しました。今でも完全には消えてはいない超ロング流行言葉となっていきます。
「勝手にシンドバット」は1978年6月25日に発売されています。K君は1974年、Yさんは1975年に青山学院大学に入学しています。「勝手にシンドバット」の発売かいかに早いかの説明はいらないですね。
Yさんはその後も大学に通い単位を取り卒業します。しかし、K君は単位どころか学費もまともに払っていなく、単位が足りずに中退なんてカッコイイ状況ではなく学費未納で除籍され、青山学院大学に入学した記録すら消されてしまいます。
でも、K君らが作ったBetter Daysは今でも存続していて、青山学院大学の価値を高めるような有名サークルとなっています。事務的な記録は抹消されても青山学院大学に在籍していた証は明確に残しています。
1978年8月25日 ファーストアルバム
「熱い胸さわぎ」発売
1978年11月25日 セカンドシングル
「気分しだいで責めないで」「茅ヶ崎に背を向けて」発売
何言っているのか全く分からない!歌詞が聞き取れない。当時の頭の固い有識者からは酷評ばかりでしたが、頭の柔らかい若人には認められ、デビュー曲、2曲目とも大ヒット曲となります。
余談ですが、K君が何を歌っているか聞き取れないとの指摘が多数あったため彼がきっかけになりテレビで歌詞のテロップを流すようになったと言われています。
「勝手にシンドバット」も「気分しだいで責めないで」とても良い曲ですが、当時の「南天群星」のコミックバンド的イメージと重なった結果で流行った感も否めません。
このまま流行りの路線に乗ってしまうと一発屋的な扱われ方をしてすぐに飽きゆられて消えてしまう、消されてしまう…。
K君はビートルズになりたいのです。
えっ!この曲もビートルズなの?知らなかった!という、時代も国も選ばない万人から愛される曲を残せるミュージシャンになりたいのです。一部のマニアに認められるのではなく広く一般の人が聞いてくれるポピュラーな音楽を作りたいのです。長く長く音楽を作り続けたいのです。