こんにちは。

☆ショウ☆です。

 

私のブログを訪れてくださり、
ありがとうございますキラキラ

 

さて

今回は

「明治の女性✨

について書いてみたいと思います。

 

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私のプロフィール

公開中です♪♪♪

 

 

*高校教師の私が

ホステス嬢と出会い、

恋に落ち、

悲しくも切ない終わりを迎えるも

「無償の愛」を学ぶのです。

 

 

  明治の女性キラキラ

 

今回は

私の祖母の話をさせていただきますね。

自慢話に聞こえるかもしれません。

お許しを^^;

 

私の祖母は

いわゆる

「明治の女」です。

 

ちょっと

きつい言い方で

私は好きではありませんが

世間ではそう言われたりしていますよね

 

 

さて

あなたは

「明治の女」

想像できますか??

 

私の祖母は

明治、大正、昭和を生き抜いた女性です。

 

享年94歳でした。

長生きですよね。

 

 

あなたのお祖母さまは

どんな方ですか??

 

孫からすると

親より優しいので

大好きになることがありますよね飛び出すハート

 

私は両親も愛していましたが

祖母が大好きでしたブルーハート

 

優しさの塊りの人だったからですキラキラ

 

でも、その優しさは

どこから来るのだろうと

私が成人になってから

考えるようになりました。

 

 

その祖母の姿を

浮き彫りしたいと思います。

少し長い文章になります。

 

 

祖母は、、、

晩年は、

子供たち(私の父、叔父、叔母)や

孫たちに囲まれて、

幸せだったと思います。

 

毎年、

正月には、

親族みんな

総勢10名以上が集まり、

(当時祖母は長男=私の父の家に

同居していました)

祖母と一緒に

トランプのババ抜き大会を

やって、

大盛り上がりでした。

 

 

祖母は歌うことが

大好きで、

自分の歌声を

演歌や民謡などを

テープレコーダー(古いw)

に吹き込んで、

それを再生して、

自分一人で聴くのです。

誰かに聴かせるためではないのです。

きっと

テープレコーダーに

自分の声が録音されることが

楽しかったのかもしれませんが、

面白い趣味ですよね。

 

 

一度だけ

その録音した歌声を

聴かせてもらったことがありますが、

歌い終わると、

最後に

可愛い声で、

「よいしょっと!」

結びの声を上げるのです。

可愛いと思いませんか。

 

祖母は小柄で

可愛くもありましたが

粋な女性でした。

 

いつも綺麗な着物を着て

雨が降ると

お洒落な番傘をさして

友達に会いに出かけたりするのです。

すべて着物は自分で選んで買っていましたが

なんで、そんなお洒落なんだろうと、

まだ祖母のことを

よく知らなかった私は思ったものでした。

 

 

また、祖母は

冗談や軽口を叩くことが好きで

その愛らしいひょうきんさから

地元にはたくさんの知り合いや

友達がいました。

やっぱり素敵だなと

私は思っていましたが、

その人間的魅力を

さして不思議にも

思っていませんでした。

 

 

 

祖母が94歳で

他界して

しばらく経ってから

ある時

私の父が

祖母の過去の生い立ちや

半生の話を

してくれました。

 

父が言うには、

壮絶な人生だったとしても

昔の人は自分のことを語ることを

良しとしていなかったと思う、

ということでした。

でも、本当は、

直接祖母から聴いてみたかったです。

 

 

祖母は

ある地方の大きな財を築いた家の

一人娘として生まれた

お嬢様だったのです。

 

お金持ちの家の子でしたキラキラ

 

 

ところが

一人の叔父が遊び人で、

女遊びや酒、賭け事など

放蕩三昧を繰り返し、

挙げ句は、

祖母の家のすべての財産までも

食いつくしたそうです。

 

つまり

身上(しんしょう)をつぶしたのです。

 

もっとも

なぜ叔父に祖母の家が

すべての財産までも使われたのか?

それは私の父もわからないとのことでした。

ただ、

推測では叔父が騙したのかも

しれないとは

言っていましたが、、、

 

 

 

祖母の家は破産をし

祖母はいきなり貧相な

小屋に住むことになったそうです。

いいとこのお嬢さんが

急転直下で、貧しい生活を強いられるのは

どんな思いだったでしょう。

 

そして、

その後

祖母は年頃になり

家から言われた

見知らぬ男と

結婚させられました。

 

好きとか嫌いとか、

恋愛とか、そんな物語はなく

いきなり親の命令で

結婚させられる。

そんなことが

普通にあった時代だったようです。

 

どんな時代でも生きるって

大変だと思いますが、

特に、

女性たちは

いろんな意味で自由がなく

虐げられていたのだと

思います。

 

祖母もそうだったのかと

私はちょっとショックでした泣

 

 

祖母が結婚させられた男が

私の祖父です。

 

一度も会ったこともなく

口も聞いたことのない

まったく見知らぬ男の元に

嫁ぐのは

どんな思いだったでしょう。

 

結婚した当初、

祖父は

漁師をしていましたが

その後、畳職人になっています。

 

小さな漁村で

祖母は

初めての男に抱かれ

5人のこどもを

授かりました。

 

長女を幼い時に

病気で失くし

私の父が

一番の上の兄になりました。

 

祖父は職人気質丸出し

頑固一徹の男だったようです。

 

そして

残念なことに

大酒飲みで

稼ぐ金を

酒に使ってしまい

家はいつも火の車でした。

 

祖父も私たち孫には優しかったですが

この話を聞いたとき、

がっかりしました。

 

 

しかし

祖母は文句一つ言うこともなく

幼い子供たちのために

母として

家を支えました。

 

お金がないときは

日雇いで

男たちと一緒に

鉄道を敷く仕事を

しました。

 

過酷な肉体労働です。

それでも

祖母は水だけを飲んで

日が暮れるまで

働きました。

 

もらったお金は

子供たちのために

使いたいので

自分はいつも水で我慢したそうです。

 

どれほどの

母親の愛なんでしょう。

母は強しですよね。

 

その後、

子供たちは、

祖母の支えもあって、

立派に成長し、

 

私の父は、

ある業界のトップに立ち、

叔父は、

製薬会社の重役になりました。

叔母は

結婚して母として

三人の娘を立派に育て上げました。

 

 

こうして、

祖母は、

明治

大正

昭和を、

力強く生きたのです。

 

 

父の話を聞いて

初めてどうして

祖母が優しさの塊りであったのかが

分かりました。

 

やはり

沢山の苦労を重ねた人は

人間的に大きくなり

人の苦しみや痛みを

想像できるから

優しい人になれるんだ

そう思いました。

 

また、

辛い生活を一時でも忘れるために

冗談や軽口を言って

笑ってやり過ごすことも

祖母は覚えたのだと

知りました。

 

祖母の話を父から初めて聞かされた私は

もっと祖母といろんな話をしておけば

良かったと後悔しました。

 

大切に思っている家族、親族がいたら、

勇気を出して、話を聞かせてもらうって、

大事ですよね。

 

後悔先に立たず^^;

 

 

さて、

そんな祖母が

80歳を過ぎ、

いつものように

お洒落して、

いそいそと出かけました。

 

祖母は歩くことが大好きで、

というか、

歩くことが当たり前と考えている祖母は、

鍛えられた強い足腰で、

数時間、平気で歩きます。

 

電車やバスのない時代に、

生まれ育った彼女からしたら、

そんなの当たり前と、

言うでしょう。

本当にかなわないですよねw

 

それに、

街を歩きながら、

どんどんと、見知らぬ人と仲良くなり、

その人たちとの会話が楽しかったようです。

 

 

 

それが

この日は、

同居していた父の家(私の実家)に、

いつになっても、

帰って来ないのです。

 

祖母の部屋は、

障子貼りの扉なので、

電気がついているのかが、

廊下からでもわかりました。

 

 

いつまでも

暗い部屋でした。

 

さすがに、

私の母が心配になって、

祖母の部屋の扉を開け、

中に入りました。

 

すると、

畳の部屋に敷いた布団の中で、

じっと祖母が

うずくまっていました。

 

 

その部屋から

母の驚きの悲鳴が聞こえて来ました。

 

 

私も当時、父の家(実家)には、

自分の部屋があり、

浪人生だった私も、

そこに居合わせいて、

母の悲鳴を耳にしたのです。

 

(一体何があったんだ?!)

 

 

祖母の部屋から、

顔面蒼白の母が出てきて、

 

早く救急車を呼んで!と、

私に命令口調で大声を

上げました。

 

 

何事かと震えている母に尋ねると、

 

「お婆ちゃんの腕から

骨が飛び出ているの!」

 

と言うのでした。。。

 

 

ちょっと生々しいので

この後の詳細は

控えますが、、、

 

 

こんなことが起きていたのです。

 

祖母が街を歩いていると、

工事中の道路の路面の一角から、

鉄骨がむき出しになっていて、

祖母は気づかすに、

そこに足をかけてしまい、

転倒したのです。

 

すると、倒れた瞬間に

手をついた腕の骨が折れ、
(やはり老人の骨が脆いですよね)

腕から、

骨が飛び出てしまいました。

 

 

それを目にした

街行く人たちが驚いて、

助けようとすると、

祖母は、

あろうことか、

助けを断り、

 

みっともない姿をいつまでも、

お嬢様だった祖母は

人様にさらしたくない思いだったのかもしれません。

 

人の助けを振り払うかのように、

家まで歩いて帰ったのです。

 

さらに

私の母に話したら、

迷惑をかけると、

自分の部屋に戻り、

痛みに耐えながら

一人布団にくるまり、

じっとしていたのです。

 

 

骨折の痛みより

人に迷惑をかけたくないという、

祖母の思い。

 

おそらく、

今の私たちなら、

気絶する痛みだったと思います。

 

想像するに、、、

 

私のお婆ちゃんとはいえ

驚異的です。

 

骨が突き出た腕を押さえて、

家まで、

数十分一人で歩いて来たのです。

 

後にどこで怪我してのか、

目撃者の方から聞くことができました。

 

目撃者の方も、助けて上がることも出来ず、

申し訳ありません、と恐縮していました。

 

 

私は

この強烈な出来事を目の当たりにして、

思いました。

 

私の祖母を自慢するつもりはありません。

でも、自慢話聞こえたら

ごめんなさい(^-^;

 

ただ、

 

「明治の女」は強い!

いや

強すぎる!!

 

そう思ったのです。

 

 

いかがだったでしょうか。

 

明治生まれの女性には

こんな女性が存在していたと

お話したかったのです。

 

そして、

恐らく、

女性はいつの時代でも、

強くて

たくましくて

偉大なのではないかと、

思いましたキラキラ

 

最後まで

お読みくださり

ありがとうございました♪

 

 

    

 

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