己より若い世代に自分の経験からアドバイスをし道筋をつけ恩を送る。  

どんな業界でも

職種に関わらず行われること。

そしてそのミッションをより高いもので完遂させるのも目的だよね。

年寄りのオレたちは気を付けなければならない。

自分は充分いい思いをして一線を引いた安全な場所から自分の(理想論)を盛り込み(手柄話)や(やり残したこと)を無責任に押し付けていないか。

例えばだこんな小さな価値観に捕らわれずどんどん外に出なさい!と言ったとする。

オレみたいなひねくれ者は(あっ。そう。考えておくわ)で済むんだが真面目で前向きな若者は

「どうすればいいんですか?」となるだろう。

散々煽り材料を提示しておいて「それは自分で考えなさい。自分で調べ考えたことが君の人生の学びなのだから」 

一見美しいがそれはないべと思うの。少なくても道筋くらいは提示してあげるのが筋であろう。

で。ふと解った!若者に材料を並べる彼はその道筋を知らないのだ。

材料までは並べられる。それをチョイスし組み立てゴールにたどり着くことが出来なかったからそれを若者に

変わりにさせようとしてるだけ。

それを確実にするためのタイムスケジュール、リスク、コストも知らないのだ。

コーチングと言う言葉がある。


それは材料を提示することではなく材料を選んできた者に道筋を提示、気づかせることなんだとコーチングをしている方たちの実際を見て想ったのよ。

道筋つけられない年長者のアドバイスただの(年寄りの戯言)

現実に対応できなくなった者にこの国はいい言葉を用意している。

「隠居」

そうなった暁、オレはどうするか?

自分で動けることだけに口を挟み淡々と現実を生きる。

自分の夢見た、叶えられなかった事を背負わせない。

そういうのを(美学)と言うのではないかとこの老猫は思うのよ。

老人こそ(やだやだ。違う違う。窮地に落ちると皮肉と笑いに逃げる)そんなCoolじゃない姿は晒したくないものだわな。