當時、札幌では保北光線のあたりは田舍とみなされてね。
あれは1984年ころだつたと思ふ。
帝都の御店に入り札幌に轉勤といふ形で戻つてきた。御店の寮が北漆條東壱零丁目くらゐにあつてね。ん?「おまいさんもそこに?」
いや。吾はその御店の壹課といふ配屬で生意氣にもマンシヨンをあてがわれていたんだ。
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寮に住む同期から「寮のそばに札〇會館てえ ポルノ活動寫眞專門會館があつてよ。そ此後ろのハアモニカ飮み屋會館にいい店見つけたから來いよ」と誘いが入る。
吾は當時、會社からあてがわれた北伍條西弐捌丁目のマンシヨンに住んでいたんだ。當時は東豐線もなくあつちこつちやりくりして行つてね。
K子といふ店だつた。そこに吾より漆才は年上と思ふH美さんがいた。當時。絶大な人氣の松田某のコピーのやうなね。
仲良くなつて「毎日、來たら飮み題はいらないから。ご飯も下で私のつけで食べて、」とかね。
いつぱしの燕ですわ。ある日、K子ママに「Jちやん。H美はね。察してゐると思ふけど。年季があけたら出てくる旦那がゐるんだよ。」つてね。
吾も氣づいていた。併し吾もだう此まとわりついて何かから拔け出さうと考へてゐるときであつたんだ。
(續く)