そこがさうであるのは何も炭鑛のカアスト暮らしだけではないのだ。
驛からバスタアミナルのわきを西に向かうとガード下が在る。
それをくぐりもつ燒きの煙の臭いよりドブの饐えた匂いが勝るあたりから始まる毎年
夏になると水に浸かる場所
濕氣を好む蟲たちが地面を這いずり木ゝにはカタツムリが粘液を光らせる。
海拔より低い地にちまちまと家が竝ぶ。
それをさらに南西に向かうとまう壹つのカアスト住宅が現れる。
それが墮泥町なのさ。
彼はシヨートピースの煙を吐き出し吾に向き直つた。

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1970年 日文堂出版刊行 有栖川下種麻呂 著 「堕泥町哀歌」

 

 

さてと。どこまで話したかな。」
貳杯目の珈琲を啜り甘木先生がこちらを向く。
その先はだうなつていくんでせう?
「その方ゝがどこで、何の契機で發病したかも含め多種多樣でね。壹概には云へないが内にこもる・外に發信するを繰り返し
 そのたびに妄想は大きくなつていくといふところまでは話したわけだ。その先も内と外を繰り返し竹壹が増えていくやがて萬能感といふか
 多幸感を持つやうになるんだね。極端な方は自分は神だとか自分は此世の中の夲當の眞理を知つてゐる、自分は選ばれた人間だ、などだね。」
「そこでまた道が分かれて自分の考へが外に漏れてゐる、誰かが眞理を知つてゐる故に監視されてゐる、など思考盜用被害を訴えたり何者かが自分の身体に入り込み同化した
 爲同化した者と常に會話してゐるなどね。さうしてあれもできるこれもできる、あれも知つてゐるこれも知つてゐるとなるわけだ。併し此巷は息をするだけで御足がかかる
 その妄想を現實世界で續けるには御足が足りない。借金や金錢トラブルを常に抱える。さうさな。それは賭博依存症の者と壹緒だね。」
入りがないのに出が常にのしかかる。妄想を維持するのも大變ですね。
「ああ。やがて現實世界で破綻が來るがその者にとつては現實世界は假の世界、妄想世界こそがその者の現實なわけだから罪の意識は薄いといふわけだ。
 措置といふボヲダアラインを超えるまでそれは繰り返されるのだ。誰かが云う(現實を觀よ!)無駄なのさ 現實は妄想世界なのだから。」
その世界から引き戻す方法はないのですか?
「ないともあるとも云へない。ある時點まで夲人もこれは嘘なのだと認識して嘘をついてゐる場合は引き戻せやう。併しこれこそ眞實だと自分の嘘、妄想を信じ込んでそれで周りを辟易させてゐるやうな状態なら引き戻すことは不可能だらうね。前者の場合、自分の嘘と眞實の狹間のやりきれなさで物にあたつたり自傷行爲をしたりするがその時點で適切な處置があればねと思ふよ。」
甘木先生はパイプを咥え遠くを見やつた。

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「天木先生大いに語る」風呂糸癒愚 著 誠真書房 1982刊行

 

 

早朝の雨が上がり空氣が澄んだ休日。
甘木先生を訪ねる。

「此間の症例話は途中だつたね。珈琲でも飮むかい?」
先生はカツプに珈琲を注ぎ云う。
「さうして内性期間と外性期間を繰り返していく。もちろん最初はすごい人だと人が寄つてくる。
 (めくれに1年)なんてよく云ふがね。現實世界ではやがてその成果を示してくれといふことになる。
 またコストがかかつたり新たな展開への妄想を育てることになる。經驗上、夲人は危險囘避でそこを離れる。
 人間關係もその繰り返し。居場所を1年ごとに變へる旅人となるのだね。前に大ゝ的に發言したそれらのひとつでも
 成果を見せてくれと現實世界は迫るからね。」
甘木先生はパイプの煙をゆつくり吐き出す。
けふ の葉はラタキアのやうだ。
「そのうちに彼らは最大の天敵に出逢うことになる。
萬人が求める「成果披露目」ではなく。
さうキミの好きな太宰の人間失格に出てくる竹壹が現れるのだ。小説世界の竹壹は愚鈍と書かれてゐるが現實世界、商い世界に現れる
竹壹は愚鈍のふりをしてやつてくる。
すれ違ひざまに耳元に小聲で(わざ・・わざぁ)と囁くのだ。
竹壹が壹人なうちはだうにか持ちこたえやう。併し現實世界はどこまでも嚴しい。
竹壹が増殖してくる。
さうすると逆に妄想は太くなり併しその者を内的世界に縛り付ける。
その鎖は他人がかけたものではない。
自らが自らを守らうとかけた鎖なのであるね。
夲格的なカタレプシイだ。
そこで前に得たと思つてゐる(超能力)がますます強くなる。
天からの指示、自分の中に宿り壹體化した神からの此世の眞實の教え、讀心術etc
さうするとまた現實世界に出て妄想に沿つて活動する。
竹壹が増えていく
私も若氣の至りと反省してゐるが(天才繪師)を名乘るクライアントがこれ以上、現實世界と軋轢を生むのは彼と彼の縁者にとつて
良くないと畫材壹式を目の前において(その素晴らしい繪を買い取らせてもらうから壹枚書いてくれなゐか?)とやつたことがあつてね。
結果?・私自身が最大の竹壹になってしまつた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・キミはだう思ふ?まう壹杯 珈琲を淹れやう。」
甘木先生は靜かに部屋を出て行つた。

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1983年 誠真書房刊行 風呂糸 癒愚 著 「天木先生大いに語る」より