盆と暮れに石高を報告する時に
または同窓會なんぞで湯上りのをヱテのやうに頬を染め鼻の穴を膨らませて
「ゐやぁ わたしの部下がね・・・・・」
つて云ふ輩 吾の美學に壹番合わなゐね。
吾は勤め人になつてから敢ゑて此言葉は使わなゐ さうしてさう呼ばせなゐと思つたことが在つてね。
それは「部下」と「役職呼び」だ。
小さな箱庭の中で部下つて家來でもあるまゐし
スタツフまたは後輩
役職ではなく名前で呼ぶ。
これは徹柢してきた。
ゐつも1983年 目黒の飮み屋で吾を送り出した師匠の言葉がよぎる。
「勤め人になるのを止めたりはしなゐさ。寧ろ世間的に云へば祝福しなゐとゐけなゐんだらう。
 併しね。をまゐさんはこつちの水を飮んだ人間だ。勤め人つて云ふのは定年まで賣り興行でゐるつてぇことだ。
 自らそれを選んだとゐふことは覺ゑてをきな。その上で小さくても己の美學だけは忘れるなよ。」

さうして吾も賣り興行の中で小さなこだわりを持つて過ごし また藝の世界にを世話になつてゐるわけだ。

 

もう吾にはマイムマイムは聞へない。

 

 

 

いいかひ?ここでうまくやるにはまづ己の立ち位置を知ること
さうして上には草履を温め下には威張り散らかす・・それがここでは成功者と云はれるのだ。
併しね。吾はそれに染まらなかつた。
勤め先でも「愛社など缺片もない そつちとこつちは對等だ。その代わりやつた分だけ分け前をいたゞきたい。
數年に壹度の轉勤義務?知つたこつちやない。從順になれば地位を與える。そんな小さな箱庭の中の地位なんぞいらない。
それが氣に障るなら吾は同業他社に行くまでだ。」今から考へれば靑いが役員會でさう嘯き社内で轉勤もせず定年を迎えたのは吾だけだつたな。
「キミの云ひ分は解つた。それを認めると特別待遇になる。こちらも條件を出さう。他の者より壱零%多い義務を與える5年間それを達成したらキミの
條件を飮まう。」さうしてやつてきた。
誰かと比べたり誰かを吾の上か下かなんぞ考へたこともない。
吾は吾の美學で生きるのだ。
墮泥町の教えを守つて來た者よ。
さうして現役を去つて箱庭以外の友はゐるか?
週末に酒をやつて笑いあう友はゐるか?
同好の話で盛り上がる友は入居るか?
それが答えだと吾は思ふのだ。
More than youの軌跡からは孤獨しか生まれないのだ。

 

 

そこがさうであるのは何も炭鑛のカアスト暮らしだけではないのだ。
驛からバスタアミナルのわきを西に向かうとガード下が在る。
それをくぐりもつ燒きの煙の臭いよりドブの饐えた匂いが勝るあたりから始まる毎年
夏になると水に浸かる場所
濕氣を好む蟲たちが地面を這いずり木ゝにはカタツムリが粘液を光らせる。
海拔より低い地にちまちまと家が竝ぶ。
それをさらに南西に向かうとまう壹つのカアスト住宅が現れる。
それが墮泥町なのさ。
彼はシヨートピースの煙を吐き出し吾に向き直つた。

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1970年 日文堂出版刊行 有栖川下種麻呂 著 「堕泥町哀歌」