グレンデール市の日本人への『敵意』と『嫌悪感』が過激化。 | ヒロキン日本神話の世界

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グレンデール市の日本人への『敵意』と『嫌悪感』が過激化。長年の友好を無にされた日系住民が絶望感を吐露!


強い日差しが照りつけていた。植栽された木々はきれいに手入れされている。鳥のさえずりが聞こえるほど静かで、米ロサンゼルスのダウンタウンから東に約1・5マイル(約2・6キロ)の場所とは思えない。 

ここは日系人専用の老人ホーム。広大な敷地の一角にある裁縫室に彼女はいた。大きな裁縫ばさみで、布を型紙に合わせて切っていた。「私が入りたい部屋は満室で、入居待ち」と話す彼女は週1回、裁縫のボランティアでホームを訪れる。洋服の傷や穴を繕ったり、ボタンを付け直したり。作った洋服をバザーで販売したりもする。 

ギンガリー(旧姓・塩田)・廸子(みちこ)さんは卒寿(90歳)を迎えた。長い米国生活で思いだすのは故郷の情景だ。「田んぼばっかり。学校の子供も大半は農家の子。農繁期にはお弁当持って農作業を手伝いに行った。イナゴもたくさん捕りました」 

大正13年、大阪・天王寺で生まれた廸子さんは、幼少期から大阪の中河内郡高井田村新喜多(しぎた)で育った。現在の大阪府東大阪市だ。今でこそ、日本の技術を支える「ものづくりの町」として知られるが、当時はどこまでも田園地帯が広がる田舎だった。 

尋常高等小学校、高等女学校を卒業した廸子さんは看護師になるために東京に向かう。先の大戦が始まる年のことだ。「汽車は『つばめ』とか、『はと』という名前だった。学割が使えるのは3等車だけ。石炭の煙をかぶって、東京に着くころには鼻が真っ黒だったわ」と笑う。 

戦争が終わり、連合国軍総司令部(GHQ)が東京の病院を接収し軍病院としたとき、看護師として勤務。その病院で患者として訪れたGHQの弁護士、アーデン・ギンガリー氏(故人)と知り合い、後に結婚した。アーデン氏は米国に戻り、軍を退いた後もロサンゼルスの法律事務所に弁護士として勤務した。3人の子宝にめぐまれ、一家はアーデン氏の実家があったロサンゼルス郊外の都市で暮らした。 

その都市と、廸子さんの故郷が後に姉妹都市となった。中河内郡高井田村は布施市に、その布施市が河内市と枚岡(ひらおか)市と合併して東大阪市になる。旧枚岡市が米カリフォルニア州グレンデール市と姉妹提携したのは1960(昭和35)年のことだった。 

両市の市長や市議らは相互に訪問するなど交流はさかんだった。74年にはグレンデール市に日本庭園が造成され、大きな茶室「松声庵」も設置された。両市にゆかりのある廸子さんは松声庵の管理に長年携わるなど、両市の交流を率先して進めた。 

雰囲気が変わったのは15年ぐらい前。住民の国籍は多様化し、もともと住んでいた人々は少しずつ去り、ニューカマーが取って代わった。行政や市議会も変わり、東大阪市との交流は形骸化していった。 

「そうしたら突然、慰安婦像を建てるって…」。昨年夏のことだ。「戦時中から戦後まで『従軍慰安婦』なんていう言葉は聞いたこともなかった。その像がなぜ米国に建てられるのか。なぜ、ここなのか」 

廸子さんは感情を抑えるように語り、続けた。「韓国の都市とは姉妹都市提携してわずか3、4年。東大阪とは半世紀以上ですよ。もう、姉妹都市でいる必要性も感じない。日系1世、2世はグレンデールには残らないんじゃないですか」 

韓国系住民は「(慰安婦の)少女像は嫌悪感を醸成したり、敵意を表現したりする象徴物ではない」と米国社会に訴える。 

だが、あの像と、韓国側のプロパガンダをうのみにした「日本軍が強制連行して性奴隷にした20万人の婦女子が…」と刻まれたプレートが設置されたグレンデール市には、「嫌悪感」と「敵意」を受け止めながら暮らしている日本人がいる。(ロサンゼルス支局長 中村将) 

ソース 産経新聞:【視線】友好一転、「嫌悪感」受け止めて暮らすグレンデール市の日本人 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140519/amr14051908360003-n1.htm