隣人が、ひとつ咳をした。からっぽな休日。

 去年の4月、初めてここに来たときは、なんて広く綺麗な空間なのだろう、と感じていたはずの場所で、私は今読みかけの小説を閉じるでもなくページに指を差し入れたまま天井を向いている。

 変化なんて無い。つまらない。だいたい、休みの日に家でひとりなんて、なんてむなしいの。だからといって、会いたい人がいるわけでもない。こんなことなら、早々にバイトでも探して時間を有効に使うべきかも。 

 からっぽな休日なんて、ない方がまし。 

 隣人が、何かモノを床に落とした。コンッ、カラカラカラ。ここって、隣の音どれくらい聞こえるのだろう。隣の家に行って自分の部屋の音に耳を澄ませたら、どんな音がするのかな。いつも帰るとすぐにつける音楽。考えてみたら、たいした音がない。私は思った以上に静かに暮らしているのかも。時たまする咳のような大きな音なんて、たててない。私の存在は、音としても表現されないのかしら。 

 だめだめ、こんなこと考えてるだけ時間の無駄。もっと有効に、有意義に。 

 と言っても、外は寒いからでたくない。ストッキングをはくのだっておっくうで。化粧をしないで外へ行くなんてげんなり。どうせ外へ行くなら、何か大きな予定が、重大な予定がね、ないと。こういうたぐいの“重大”っていうのは、もちろん気になるあの人に会うだとか、そういうこと。気になるあの人?いったい誰のことだか。 

 季節は冬。といっても雪はない。ただ寒いだけ、と周囲の人は言う。だとしたら、なんてつまらない世界。ただ寒いだけ。じゃあきっと、私は、ただ生きてるだけ。 

 欲しいのは共感。それとも刺激?いや、そんなのほんとは望んでない。こういう流れのとき、そんな言葉の羅列は自然に浮かんでくるだけ。その言葉の本質なんて考えてない。そこからはずれたもので、けどなるほど、と思うような言葉が、魅力を持つというだけのこと。 

 小説に指をつっこんで寝ころんでいる。なんて自堕落なお気楽な体勢。重力は体を均等に引っ張っている。そんな私の体は床というモノに支えられてる。小説は、ひんやりとした温度の違いで、少しだけ神経を使っているという気になる。そういえば今日は地元の友人に手紙を書こうって決めていたんだっけ。いつでもできることこそ、いつまでもできない。

 ひょっとしたら私は、体の筋肉がゆるんで、もう動けない体なのかもしれない。こんな散らかった部屋の中、洗い物も溜まっている。そんな部屋で、ひとり小説に指を突っ込んだまま動けないのだとしたら。次に人と会う約束があるのは水曜日。じゃあそのとき何の連絡もいれないままここで動けずにいたとしたら、電話が鳴って、きれて、また何度か鳴って、きれて。夜またメールが来て。でも私は見れないまま。友人どうしの間で、連絡が付かない、なんて話になって、また電話が来て、それでも私は手が伸ばせなくって、私は泣く。それからきっと3日くらいして、むこうの予定のない日やなんかに、インターホンが鳴って、でも私はでられなくって、友人も、いないのかなぁ、なんて言って去っていく。私は、待って、ここにいるの、ただ、筋肉が、うごかなくって・・・。と心の中で叫ぶんだけど、そんな声もどうせ届かないまま。そしてしばらくたって私はきっと死んで、隣人が大家に、隣の部屋から異臭がするんですが、なんて伝えて、大家が合い鍵で入って、私の体から放たれる腐敗臭に気分を悪くして、小説のページに指を差し入れたままの汚い私を発見する。友人たちはインタビューで、私たちがあのとき無理にでも部屋に入っていれば・・・なんてこたえて、そしてこの私の部屋はまた貸家になって、普通よりも安い家賃で。 

 ほらね、私にだって想像力がまだ根付いてる。そんなこと考えてたら、ほんとに体が動かないのかも、って思えてきた。ちょっと怖い。いけるかな。あ、動いた。平気平気。小説が、元の形にもどろうと、しゅるりと指をぬけ出して閉じた。