【数学参考書】総合的研究はアンチ暗記数学派におすすめ | 栗山家の日常

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夢はでかくなけりゃつまらないだろう 胸をたたいて冒険しよう

ポレポレに続いて、30年前から改訂を重ねて現代でも通用する参考書仲間として、『総合的研究』をご紹介しようと思います。

初版は1996年、改訂2012年、重版出来が2019年となっています。

 

 

【おすすめできる人】

・高1~2の難関大志望者(高3にどうぞとは云えない分厚さ…)

・持ってて安心、網羅系参考書、青チャ以外のセカンドオプションにも◎

・先取り学習によし、基礎徹底によし、復習によし、弱点のみ使ってよし、辞書的に使ってよし

・解説が非常に丁寧で初学者でもOK

・教科書や青チャで端折られてるような部分もトコトン解説しているらしい

・公式の暗記が嫌いな人向け

・数学の本質的理解にワクワクしたい人向け

・数学好きだけでなく数学苦手な人にも数学の面白さを伝えたいという情熱大陸本

・分厚いのでやる気のある人向け ←これがすべてかもしれん

 

 

おすすめしといてごめんやけど、絶版やねん…

新品は売ってないので気になる方はメルカリパトロールしてね!!

 

 

 

分厚い。重い。THE自立型参考書です。

 

 

 

絶版本をなぜ紹介しようと思ったかというのには理由がありまして、この本の前書きが非常にグッとくるので紹介したいのですよ。本題はこっちでした。

 

参考書の前書きってせいぜい1~2ページじゃないですか?

この本の場合、前書きが初版で5ページ半ありますね…

改訂するごとにそこに追記されていって、現在は前書きだけで8ページ半ありますね…w

 

ですけども、下手な小説よりもグイグイ読ませる文章力ですごいんですよ長岡先生…

なんという教養…なんという知性…なんという数学愛…

うっとりしちゃう…

 

 

 

 

OCR機能で5ページ半書き起こしましたので、お時間のある方は読んでみてくださいませ。

大学受験のためにブログパトロールして情報収集するような熱心な方は、割と楽しめるんじゃないかと思います。

個人的に「良いこと言うな~!」と思ったところ、太字にしときます。

 

 
 
はしがき
1 この本を皆さんのために書きました
この本は、皆さんのために特別の気持ちを込めて書きました。それで、序文も無くなっています。時間があるときで結構ですから、静かに読んで下さい。
 
 
2 なんのために数学を学ぶのか
理系、医系、文系を問わず大学の入試において、数学は、大変大きな位置を占めてきました。それは、数学的学力が、大学に入って学ぶ専門の勉強にとって必須の基礎であるからとうだけではありません。正直にいえば、高校レベルの数学の知識そのものが現実に役に立つということは案外少ないというべきでしょう。むしろ,高校数学の勉強を通して鍛えられた知的体力と知的センスが、大学以降の知的活動の可能性を計る指標として有用である、と考えられてきたというべきでしょう。古代ギリシャの有名な哲学者プラトンが、彼の建てた学校”アカデミアの門柱に『幾何学を知らざるもの入るべからず』という句を掲げたという逸話に象徴されるように、数学的思考の体験は、人間が真に人間的に生きるための必須の前提条件と考えられて来たのも同じ理由によるといえましょう。
確かに、ものごとを一点の曇りもなく明白に鮮明に認識するということの喜び、ついさっきまで暗闇の中にいたはずの自分が突然明るい太陽のもとに出たことを感じる喜び、……、このような認識の発展する喜び、自分が成長することを実感する喜びの感動的な体験を、若い未熟な時代にあっても、否、むしろそういう時代だからこそいっそう敏感に味わうことができる場として、数学ほどふさわしいものはないと私は考えてきました。
(※栗山注:これが数学好きが問題解けたときのスカッと感なんですね…。一生その喜びを知らないまま生きて死ぬタイプの文系で残念です)
 
 
3 数学は計算でない!
しかし、残念なことに、数学が人間精神に持つこのような意義を理解している人は必ずしも多くありません。実際、「数学とは、公式や定理を覚えて、それを正しく適用できるように、反復練習するものである」と思っている人が少なくないのではないでしょうか。端的にいえば、数学と計算を混同しているのです。確かに数学では計算をしますが、計算では終わりません。これはちょうど、日本文学において、漢字や熟語が重要な役割を果たすにもかかわらず、漢字や四字熟語の知識だけで小説や詩が語れないのと同様です。難しい漢字に詳しくない小説家がいるように、計算が苦手な数学者もいます!しかしながら、国語の苦手な小説家や数学が苦手な数学者はいません。国語辞典やコンピュータが自由に使える時代です。大切なのは、辞書をひけばすぐにわかることを正確に暗記していることより、ストーリーを組み立てる力、人を引き込む言葉を生み出す力です。ゆっくりやれば誰でもできることを他人より素早く完了することではなく、抽象的な世界に深く潜んでいる事実を発見する力です。
学校教育においては、もちろん、小説家や数学者となるための基礎訓練をするわけではありません。しかし、その目標は、小説を読んで感動できる力、数学の世界と接して感動する力,そういう力を身に付けさせることにあると私は考えます。ところが、学校の勉強が上級学校への受験と接近するにつれ、さらに受験の競争の裾野が広がるにつれて、真の学力と、機械的な能力が、混同される風潮が高まって来ているような気がします。悲しいことに、数学において、それがもっとも極端な形で現れているように思われます。
一体どうして,このような誤解が生じてくるのでしょうか。
 
 
4 早いことはいいことでない!
私は、人間なら誰でも、数学的思考の威力と面白さに感動することができるはずであると信じています。しかし、この感動体験がやってくるまでにかかる時間は人により差があります。そもそも、真に新しい認識が切り開かれるという体験は、そんなに生やさしいものではありません。真実を真に深く理解することと素早く理解することは同じではありませんが、人はしばしば、深く理解する時間と手間を惜しんで,素早さを選んでしまいがちです。その結果,深い理解の機会を自ら失ってしまうのではないかと思います。
厳しい受験競争があるので,時間をかけて深い理解を目指していたら損だ,という意見があります。受験競争によって成り立っている塾や予備校が「素早さ」を売るのは、まさに「資本の論理」なのでしょうが、それが学問的には如何にひずんだものであり、また教育上如何に馬鹿々々しいものであるか。学校6年生の私の息子から最近聞いた話を紹介しましょう。
息子が塾で、円すいの全表面積(側面積。底面積の和)を求めるには,
 
(母線の長さ+底円の半径)✕(底円の半径)✕3.14
 
という公式を覚えて使うのだと習ってきました。ただし。この公式はかなり難しいので、
 
『円すいの全表面積は”あ、いい式”』
 
と暗記すると良いのだそうです。あ、い、式という音が、それぞれ、母線、底円の半径、円周率に対応しているのだそうですが、私には、どうしてこれで覚えやすくなっているのかさえ、納得できません。それ以上に、私は受験での有効性にも疑問を持ちます。息子に「こんな公式を覚えていたら、円すいの側面積を聞かれたら、途端に困るじゃないか」と尋ねると、「その場合は“あ、い式”,とすると聞いた」ということです。「なぜ、そうするんだ」と質問すると、「扇形の面積が中心角に比例するので、360°分の…」という説明が返ってきました。一応,標準解答ではありますが、円の面積公式と扇形の面積の性質を鵜のみにした議論(少なくとも小学生には)で、数学的には、いただけません。
 
 
 
 
 
5 基礎は初歩と違う!
そもそも、中心角をもち出しそれを度数法に還元するところも非本質的です。
小学校でしばしば行われているように,円の面積が、円周を底辺とし半径を高さに持つ三角形のそれと等しくなるという洞察に基づいて
 
(上図参照)
 
という公式を導かせているなら、これと同じ理由によって、扇形の面積は、端的に
 
(上図参照)
 
と求めることができるし、円すいの側面積の場合なら,ここで、(扇形の弧長)=(底円の円周)とするだけです。このようにいろいろなことを関連させて理解することこそ数学的認識の醍醐味であり、かつ。そのような理解がいわゆる応用問題においてカを発揮するのではないでしょうか。
ところが、「いちいちそんなことを考えていたら時間が足りなくなってしまう」と競争心と恐怖心を煽る人さえいるようです。ただ。円すいの全表面積を計算するだけの問題しか一生に渡って必要とされないならば「あ、いい式」の暗記も有効かもしれませんが、高校生以上の皆さんなら、明らかにそうでないことをご存知でしょう。円すいの側面は曲面なのに、うまくやれば平面図形に展開でき、それが扇形になること、そして扇形の面積は、
1/2✕(弧長)✕(半径)で与えられること、これらは、いずれも、
わかってしまえば何でもないことですが、はじめて出会ったときはびっくりするような事実ではないかと思います。こういうことをきちんと理解することを基礎を築くといいます。「早さ」を売る「教育」では、こういう基礎の理解は、ともすると軽視されます。
昔から数学は基礎が大切だといわれてきました。皆さんも何度も聞いたことがあるでしょう。しかし、基礎は初歩と混同されがちです。初歩は所詮初歩ですが、基礎をきちんと築き上げることは意外に難しいのです。初歩を終えただけで基礎を理解したと誤解してしまうと、真に深い基礎を築いた人のみが解決できる難問に出会ったときに、歯が立ちません。そうなると,自分には数学的才能がないのだと諦めたり、才能の不足を、問題の解き方の暗記でカバーするという絶望的な「努力の道」を自らに料すことになるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
6 基礎力をつけるには
では数学の基礎力をつけるにはどうしたら良いのでしょうか。答えは簡単です。
「正しく書かれた本を、理解できるまで何度も何度も繰り返し読んで考えることである.」
こういうと、次に必ずやってくるのが、「正しく書かれた本は何ですか」という質間です。私はこういう熱な質問に通する都度、教科書をきちんと読むのがいいのではないかとアドバイスしてきました。しかし,自分が教科書の編集委員として仕事をするようになってから、教科書にも、深刻な制約が文部省検定以外にあることをはじめて知りました。それは一言でいうと、できるだけ多くの教育現場で採用されることを目指して作られるため、現場の意向を最大公約数的に尊重して作られます。その結果,読んで印象に残るような個性的な記述が排除されるだけでなく、表面的な読みやすさと手軽さ=教えやすさが優先してしまうということです。反対に、理論的に重要なことがらを丁寧に解説したり、理解困難な部分をさまざまの角度から多様に説明することは、できなくなります。本文で出てくる簡単な例をとって説明しましょう。
 
(上図参照)
 
という2つの公式はすでに中学でも勉強しているものですから、高校生になったら(1),(i)のいずれの一方からも他方を導くことができるのでその2つが実質的には同じものである、という認識に進みたいところです。そうでなければ、高校生の数学にはならないと思うのですが、このような解説に十分なスペースを割いている教科書は私の知る限りありません。また
 
(上図参照)
 
という公式を重要公式として強調している本はたくさんありますが、両者を関連させて解説しているものもありません。概して、公式の適用方法の解説(マニュアル)には熱心ですが、基礎概念の数学的核心や、公式の数学的意味など、“数学の心”の部分になると、教科書でさえ、急に「寡黙」になってしまうのです。たしかに,教科書の採択を決める決定要因の一つが「薄さ」であるということですから(1996年6月27日共同通言),このような現場の声を無視できない教科書作りの体質を責めることはできないでしょう。
しかし、他方、私が実際に接してきた現場の先生方の多くは、むしろ反対に、生徒の進学と将来を心から心配し、数学的に本質的なことを少しでもわかりやすく教えようと毎日努力していらっしゃいます。「もっと厚い本格的な教科書を作ってくれ」という注文をいただくこともあります。報道される話と耳で聞く話との矛盾に私は惑しておりました。
 
 
7 本書の誕生のきっかけ
数年前、旺文社から新課程に向けて数学の参考書の執筆を打診されました。ずいぶん前のことになりますが、『詳解数学I」という本を書いたことがあります。若げのいたり?で、いろいろと楽しんで書きたいことを書きました。それを気に入って支持して下さる高校の先生方がいらっしゃったからです。時ラジオ講座というものを数年続けておりましたが、「先生の講座を聞いた読者から、「ラジオを聴いて数学の本質がわかった!」という便りがたくさん来ている、そういう数学の本質がわかる本を作って欲しい」という依頼でした。「本質がわかる」というのは、理解する側の能力であるので、気恥ずかしい気がいたしましたが、「読んだだけで得点が上がる本」とか「暗記ですます魔法の数学」とかいう企画でないことに気を良くしたことも事実です。それ以上に,上に書いたようなことで欲求不満が溜っていたために、気楽に引き受けてしまいました。
そのときに私が編集部に申し上げた基本方針は、次のようなものでした。
 
・大学受験を視野に入れて勉強する人のために、数学の基礎力をしっかりと形成する本とする。そのために,単なる問題演習書ではなく、数学の基礎機念の意味や、基本的な問題解法の技術の根拠をわかり易く、丁寧に解説する。
 
・上の趣旨から、高校3年生までに勉強することなら、学習指導要領にとらわれずに,低学年科目でも入れてしまう。特に今回の指導要領の改訂で解体された高校数学の基礎部分については、一つの実現可能な理想という形で統合的に扱ってしまう.
 
・本当の意味で読んで分かる本にするため。ページ止めのような、表面的な見やすさには拘らない。記述が長くなり、本が外国の教科書のように厚くなることも気にしない。本としての統一的な体裁より、理解の難易。理論的な重要性の大小によってアクセントのあるものとする。
 
・学校の進度に合わせて学習して理解の深化を助けることができるようにするとともに、学校の勉強に先だって勉強する人の良きガイドになれるように、また反対に、学校の勉強でわからなくなってしまった人が、もう一回復習するときに役に立つように、要するに,一人で勉強しようと思ったやる気のある人が、一生懸命とりくんだときに、その努力が報いられるような本とする。
 
・個性を伸び伸び発揮して、その結果、この本のことを全く気に入らないという現場の声が出てきたとしても、気にしない。(笑)
 
 
8 結び
このような生意気な考えを好意的に迎えて下さり、出版が決まりました。しかし、その後、公私の多化にかまけて、原稿の執筆は遅れに遅れ、多くの人々の期待を切ってきました。ですから、このように「はしがき」を書ける日を迎えることができたことをホッとしています。締切期日の約束を大幅に破りながら,辛抱強く見守って下さった編集部の方、励まし続けて下さった多くの人々に心から感謝致します。
(謝辞略)
最後に、私は,この本を上に紹介した私の息子がやがて読んでくれるであろうことを期待して書きました。本書を、私の息子と,息子とともにこの困難な時代を生きる若者に贈ります。
1996年 長岡亮介
 
 
 
 
いかがだったでしょうか?
 
 
長岡先生曰く「楽しく読んでいくうちに、数学がますます好きになり、驚くほど得意になる」という理想を実現しようとした本、だそうです。
ハマる人にはハマると思います。特にアンチ暗記数学派にはもってこいではないでしょうか。