始まりがあれば終わりがある。

もちろんそんな事は知っているのだけれど。

大事にしていたものだからこそ、名残惜しく感じるのは当然よね。

 

 

とうとう今日(もう昨日だけど)、

矢野さんの「問題解決セラピスト養成講座」の修了式を迎え、半年間の講座が終わってしまいました。

最終日ということもあり、たくさんの人に声をかけていただき嬉しい反面、

一人っ子故、一対一以上は完全にキャパオーバーで(*_*)

未だに夢心地でふわふわな今日の私です。

振り返りは後日するとして、この気持ちは早いうちに残しておこう。

 

 

 

半年前、喉から手が出るほど欲しいけど

どこかで私に手に入るわけないと思っていたモノたちが、

いつの間にかふわっと私のそばに寄り添ってくれていた。

半年前まで人との違いは恐怖でしかなかったけど、

いつの間にかそれぞれの違いを面白いと感じられる機会が増えてきた。

相手への説得材料を用意せず、

ただ自分の希望のみを口にすることが出来るようになってきた。

そしてその希望が通らなくても、心が折れなくなってきた。

 

 

誤解を恐れずに言えば、

人が怖かった私には感情表現が豊かな人の方がわかりやすくて

everyday ローテンションの矢野さんのようなタイプは

表情が読めなくて怖い存在。(あくまでも私にとってはです)

だから講座中はそんなに積極的に話しかけることはできなかった。

 

 

でもね、矢野さんの教材には隅から隅まで深い愛情があって。

講座はその愛情に包まれまくったぬくぬくな空間で、とっても居心地が良くてね(//∇//)

最後まで矢野さんに話しかける時のドキドキは変わらなかったけど、

それでも私にはこの講座だったなってしみじみ思う。

この講座だったから、観たかった景色がみれたし、

とても遠くに感じていた景色が少しづつ近くなってきた。

 

 

矢野さん、アシスタントの方々、共に学んだ皆様本当にありがとうございました。

私は教えていただいたことを、私のペースとやり方で光り輝かせようと思います。

どれだけの言葉でこの講座で得たものを説明するよりも、それが一番の道しるべになると思うから。

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また道に迷った時は、今日のこの文章読み直して初心に帰ろう_φ( ̄ー ̄ )

おやすみなさい!

 

 今日明日は矢野惣一さんの問題解決セラピスト養成講座の日。

もう5ヶ月目で来月終わっちゃうなんてさみしいなぁ…

 

この講座の初日に矢野さんが「半年後にはすごく変化してると思うので楽しみにしててください」(ニュアンス)と言っていた。

その時は正直どこか自分には関係ない話のようでリアルに感じられなかった。

矢野さんを信じてないとかそういう話でなく、そのくらい自分を信じることができる状態ではなかったんだと思う。

 

そして5か月が経ち。

あの日の矢野さんの言葉が現実になりつつある私がいる。

 

ある意味何にも変わっていない。

人と関わるのが怖い気持ちもある。

親を許せない気持ちもまだある。

嫌われるのが怖い自分もいる。

そして…相変わらず痩せてない(´・_・`)

 

でも、変わったんだな。

何にも変わってないけど変わったの。

 

人と関わるのが怖いのは自分だけじゃなかった。

そしたら、怖いまんま人と関わっていけばいいんじゃない?って思った。

 

完璧な人なんていないんだから親のことも許さなきゃいけないのかなと思ってた。

でも自分の親ということを抜きにして、

いまの大人になった自分がその光景を(他人の家族として)目にしたら

迷わずその親を叱り飛ばすと思った。

自分の感情くらい自分で責任持ちなさい!って。

子供は自分の思い通りにできる道具じゃない!って。

自分の未熟さを他人に転嫁するな!って。

そしたら、何かもう親とかどうでもいいかって思った。

許したとかじゃなく、どうでもいいって感じ。

どうでもいい相手の被害者でいる必要ないなって思った。

だから思い出して何回も傷つくの止めた。

思い出したら叱り飛ばしてる( ̄▽ ̄)

 

小さい頃から嫌われる人=悪い人だと刷り込まれてきた。

だから誰かに嫌われたら生けていけないって呪いにかかってた。

でもさ、私が大嫌いなあの人もこの人もふっつーに生きてるよ?

楽しくないこともありそうだけど、バチが当たってるわけでもなく

楽しいこともありそうよ?

嫌われるのはいまでも好きではない。

けど、誰かに嫌われたって命取られる訳じゃないってわかった。

家族に嫌われたって隅っこでひっそりしてなくてもいいんだ。

誰かに嫌われたって私は楽しくなっても幸せになってもいいんだって知った。

あとそもそもね、他人と意見が合わないってこと=嫌われたってことじゃないって初めて知ったよ。

 

ダイエットは…どうなるんだろう(笑)

これはわからん!

 

って訳で、講座に通うことで

直接的に癒されたり、理解できたこともあるし

そこから発展して客観視できたこともある

 

私は自分に意識が向き過ぎてたんだな

自分しか見えてなかったから

自分だけが自信がなくて

うまく出来なくて

間違ってるのかと思ってた。

 

でもそれって逆を返せば

自覚はないけど

自分だけが大変って思ってるってことでも

あったのかもしれない。

悲劇のヒロイン気取りだな…認めんの嫌だけど(笑)

 

みんなも怖いって思ったり嫌だって思ったりしながら

日々生きてるんだなって思ったら

じわりじわりと世界が優しくなってきた感じがしてきた。

 

あぁ、今日も楽しみだな( ´ ▽ ` )ノ

 

※講座に向かう電車の中で打ってるんだけど、余裕持って出発した時に限って電車が遅れる(><;) 

今日も遅刻だ...

とってもお久し振りの更新です。

 

9月から矢野惣一さんの問題解決セラピスト養成講座に通っています。

行き始めてからだいぶ経っちゃったけど、

やっぱり自分の変化を残しておきたいと思うので

忘備録的にボチボチと書いていこうかなと。

 

自分のために書くのが一番の目的なんだけど

私のようにぐるぐるもがいてる人に届くものがあれば

なお嬉しいなカナヘイうさぎ

 

 

 

前にも書いた気がするけど、ブログは自己開示のために書こうって決めて。

元々文章を書くことは大好きで、

学生時代は友達に手紙ばかり書いていたし(まだメールとか無かった時代だからね(^_^;))

仕事でもレポートやインタビューなどの記事を書く機会も多かったから

サクサク書けるだろうって思ってた。

 

がっ

 

いざ始めたら全然書けなくて。

日々心は動いてるはずなのに、文章には出来なかった。

 

あと、書けないといえば

セミナーでよくある願望とかなりたい姿とかを書き出すやつ

あれも全然出てこなくていつもひたすらツラい時間だった…

 

わかって欲しいのに、何をわかって欲しいのか言葉に出来なくて。

話を聞いて欲しいのに、何を伝えたいのか形に出来なくて。

 

今の自分を何とかしたい、変えたいって思ってるのに

どう変えたいのか、どうなりたいのか何も浮かんでこなくて

 

私は何がしたいんだろう

何のために生きてるんだろう

 

毎日そんなことばかりぐるぐるぐるぐる考えてた時期もあった

ほんとツラかったな(/ _ ; )

 

っと、話はちょっと逸れたけど

 

過ぎてく時間の中で

ちょっとずつちょっとずつ自分と向き合って

書けることと書けないことの違いがわかってきた

 

実況や考察は書けるけど、自分の本音や感情は書けない

フィルターを通したものしか外に出せない

 

そしてまた時間が経って

 

出せないじゃなくて感じた事がないんだ

出した事がないから出し方がわからないんだって気づいた

 

ぢんさんの話やブログを読んでてわかんない事だらけだった

でも、ぢんさんに会うととにかくあのオーラが大好きで

ぢんさんのそばに行きたかったから

ぢんさんの言ってる事わかんないなんて

口が裂けても言いたくなかったし

自分が理解できる頭を持ってないって認めるのも嫌だった

 

でもそういうモヤモヤを長いことこねくり回してるうちに

そういう事かって✨

私はそうやって認めたくない自分がいっぱいで

理論武装してきたんだなって

いつだって“わかってるんだから!”って顔してたくて

辻褄合うように頭駆け巡らせて

自分の発言と相手の反応を見張って

 

そりゃ疲れるよなって思う

人の何倍エネルギー使って生きてんだよって思うあんぐりうさぎ

 

私の両親は自分の機嫌を自分で取れない人達だったから

私はいつも彼らの顔色を伺って生きてきた

何をするにも私の意志は必要なかった

 

だから私は最近まで

人と仲良くなること(うまくやっていくこと)

イコール

相手の言うことを聞いて相手を気持ちよくさせること

だと思っていたし

 

人から“〇〇したい”とか“〇〇して欲しい”とか言われたら

私に拒否権は無いし

人はみんなそうやってるもんだと思ってた

 

だから、私の依頼を無視する人のことも許せなかったし

思う通りにいかない=バカにされてる

とか

言った通りにしてくれない=私は嫌われてる

っていう方程式になってた

 

周りはあたたかいよ、優しいよって言われても

全然わかんなかった

 

だって

自分のことは自分で決めていいって

知らなかったもの

時には聞き流していいって

知らなかったもの

(`;ω;´)​

 

好きな相手のことは

全部満たしてあげないといけないって思ってたもの

 

だから

私の全部を満たしてくれる人がいないから

私は好かれてないって思ってたもの

 

矢野さんの講座を受けるようになって

やっとぢんさんの言ってることが少しづつわかるようになってきた

 

人のことが許せないのは

人に対して依存心、期待が強いから

完璧主義者だから

そしてよく言われるのは自分を許してないから

 

この許してないってのが曲者

許してるのにーーーーって思ってた

全部満せてない自分を許してるよ?って

全部満たされてない自分を許してるよ?って

 

でもそこじゃなかった

許す許さないの前に前提が違ったの

 

私は他人の欲求を満たすために

他人のために

生きてるわけではないってこと

 

例え家族であっても

好きな相手であっても

相手の望む通りに動かなくていいってこと

 

そして全部を叶えてあげたいと思わなくっても

相手のことを好きでもいいってこと

 

私は相手の中に賛同できない部分を見つけると

そのまま友達、恋人でいてはいけないような気がどこかでしてた

そこに私が頑張って合わせることが出来なければ

離れなければいけないと思っていた

 

でも違ったんだね

もっとそれぞれがそのままでよかったんだね

 

これ、それが当たり前の人には当然の話なんだと思うけど

 

私にはそんな自由なかったんだ

私の両親や親族はそれを許さなかったんだ

だからそれ以外の世界があるなんて本当に知らなかったんだよ

最近まで

 

「ON ~」というドラマがあったけど

主人公が“〇〇だと思うべきかと”っていうセリフ

めっちゃ思い当たる節があって

私は周りの人(親)を怒らせないために

ここではどう感じた方がいいのかと

常に考えながら生きていた

 

これはもう習慣になっていて

自分の生の感情を感じていないということも

最近まで知らなかった。

 

だから、自分の感情に向き合うとか

本音と向き合うとかのワークで固まってたんだ

感情の感じ方さえもわからなかったから

自分の本当の気持ちなんて分かるはずもなかった

 

今まで必死にぢんさんの言う通りにやってきたつもりだったけど

自分のコアにアクセスできてないんだもん

効果出るわけないよね

 

だから私がまずやったことは

どんなことが心の中に浮かんでもOKを出すこと

他の人と出てきた答えが違っても

誤魔化したりしないこと(自分の中で)

 

まだまだすぐにキャッチできない時も多いけど

前よりもちょっと楽になったかな

 

苦手だったワークも無意識に自分で蓋をしてた感情が出てきやすくなったせいか

前より効果を感じるようになってきた

 

許すって

自分のそのままにOKを出すってことなんだね

やっとわかったよ

 

そうしたら弱い情けない自分を出しやすくなってきた

ちょっとずつだけど

 

ある意味何にも変わってない

心屋でいうぱっかーん的な激震も走ってない

 

でも、やわらかくふんわりした風が

時折心に吹くようになった

 

ものすごくものすごく人と関わるのが怖くなってしまって

ドキドキしながら外に出た

でもそこはあったかかったなぁ

 

“ここではそんなことで誰も責める人いないよ”って

細かいことたくさん言ったわけじゃないのに

すごく嬉しかったなぁ

会う人会う人みんな優しくて

 

ありがとうo(〃^▽^〃)o

 

 

お久しぶりです。

やりたい事を実感するために、
やりたくない事をやめていくなか
会社を辞め、人付き合いも最小限に。


働かない事、積極的に人と交流を持たない事を
無意識に責めて自分を追い込んでしまう時も
最初は多かったけど。


それでもやり続ける事で


自分がどれだけ我慢をしていたのか
どれだけ自分を大事にしない選択をしてきたのか
大事にしてくれた人を信用できなかったのか
に気付いた。


さらに


孤独と向き合う事で
私と友達でいてくれる人は
待ってくれる人達だと思い出した。
閉じこもりがちな私を受け入れて
話したくなるまで待っててくれる人達だ。
焦るのではなく感謝して信じようと思えた。


また


どれだけ1人になろうとしても
生きるという事は
(直接的な会話や近しい人という事ではなく)
誰の愛情も受けずには成立しないこと
だと知った。


また


いまのこの状態を幸せと呼ぶのなら
頑張ってどうにかなろうとする必要無いじゃん
って思った。
やりたい事だけやるって感覚が腑に落ちた気がした。


だがしかし!!!


お金がついて来ない。
ぢんさんの話もお金の部分は
なかなかこういう事!?ってならない。


本当に欲しいものは買うようにしてる。
今まで欲しい感情の代わりに買うという行為を
していたものは買わなくなった。


でもね、必要だと思ってる分入ってこないんです。
もうこれ以上、借金が増えるのも限界が近いんです。
でもね、やりたいこと、まだ見つからないんです。


お金が無いのも怖いし
お金にために、やりたいことが定まらないまま働いて
自分がすり減ってしまうのも怖いのです。


向き合う方向性が違うのかな。。。
覚悟が足りないのかな。。。
わからーーーーん


誰か教えてY(>_<、)Y
全然見ていなかったBeトレのDVDを見始め、
「引き寄せ」で頭がぐるぐるしていた今日この頃。


最近の変化といえば、感情のフタがだいぶ薄くなってきて
よく笑いよく泣けるようになってきた気がします。
それに伴って、少しずつ昔の事を
思い出せるようにもなってきたみたい。


ちょっとずつ、ほんとにちょっとずつだけど、
封印してた過去の想いを感じきって
「いま」に意識を戻す、そういう事が
できるようになってきました。


今日は大好きな劇団☆新感線の芝居を観に赤坂へ。


BeトレのDVDを見たばかりという事もあり
アメリカンチェリーみたいな色のネイルをして
コンプレックスが丸出しになるからと
デザインは好きなのに敬遠していた服に
勇気を出して何十年かぶりの生足(笑)
そして、自分のパーツの中で
割と好きな目元が引き立つように
普段は入れないアイラインを引いて家を出た。
それは少なくとも先日まで勤めていた会社に
入ってからの5年強はしていない試みだった。


お洒落をして出掛ける準備をしようとすると
昔、叔母から度々言われた
「毎日パーティー気分ではいられないのよ」
という言葉を思い出す。


叔母は「楽しい事は長くは続かない」を
固く握り締め、それを体感していたのだろう。
だから叔母なりに私の将来を案じて
かけた言葉だったのだと思う。
今までの私はその呪いの言葉にまんまとハマり
ビクビクしながら罪悪感を感じながら
楽しい事を手放しで楽しみきれないまま
過ごしてきた。


でもね、行きの電車で思ったの。
「毎日がパーティーだっていいじゃないか」と。


“~しないと大変な事になる”って言うけど、
大変な事になる(困る)のは言われてる私じゃなくて
言ってるその人なんだよな。
言ってるその人がその人の思う大変な事になった私を
目の当たりにしたくないから

“私が困るから私の言う通りにして!”
って言ってるだけ。
そして
“私があなたを好きでいるために、私の言う通りにして!”
って言ってるだけ。


そう思ったら、言う事を聞くか聞かないかは
自由なんだな、私が選んでいいんだなと気付いた。
そして、もし言う通りにしないで相手に嫌われたとしても

私が相手を好きなままでもいいんだなと気付いた。
親だからとか、良かれと思って言ってくれてるからとか
余計な遠慮とか罪悪感とかをトッピングせずに
もっとシンプルに選んでいいんだ。


私は叔母を愛している。
でも叔母の言う説は採用せず
「毎日がパーティーのように楽しく過ごす」
もうそう決めて電車を降りた。


席について間もなく芝居が始まった。
新感線の舞台は演目によって生バンドと歌が入る。
ミュージカルとはちょっと違うんだけど
メタルとかハードロックとか、時には歌謡曲っぽい曲に
セリフをのせて演者が歌う。


そこでビックリした事があって。
オープニングで古田新太が登場したシーンで
流れた歌(オリジナル)の歌詞に

「毎日パーティーだっていいじゃないか」
って入ってた( ̄□ ̄;)!!


ついさっき考えてた事だよ、それ!って


それでいいんだよって
好きなように生きていいんだよって
神様からサインをもらったような
この世の中に受け入れてもらったような
安心というかあったかいものが
心の真ん中にジワっと溢れて涙が出てた。


で、安心したらお腹空いてきて(笑)
終わったらどこでご飯食べようかなと
考えを巡らしてると(舞台もちゃんと観てます
(・∀・))
そういえば、前にセミナーでこの辺に来たとき
「いきなりステーキ」断念したんだったって思い出して。
お肉食べたい!でもどこにあったんだっけ?
歩くなら面倒くさいなとかちょっと思ってたら
幕間の休憩時間になり。


あると思ってなかった幕間の休憩の存在に
空腹感が増してしまった私は、
終演後まで待てないかもとサカスに何か
足しになるものを探しに行こうと会場を出て
階段を降りようとした


その時


目の前に「いきなりステーキ」の看板が‼︎


ひ、引き寄せた!?Σ(・ω・ノ)ノ!


どうやら期間限定で広場に出店していたようなんだけど
なんかもう出来すぎたドラマみたいな光景に
ただただ笑ってしまった。
もうね、会場の出口のドアがどこでもドアだったのかとヽ(゚◇゚ )ノ


こうなったら調子に乗るしかないと思って
少々わがままを言ってみたら、OKしてもらえて
20分という短い時間の中で
欲しい分だけ美味しいお肉を堪能出来て、
その後の舞台も好き放題楽しんで帰ってきました。


毎日がパーティーでもいいと決めたら引き寄せも起こった。
感じた衝撃をどれぐらい文字にできたかわからないけど
やりたい事をやっていいって体感できて嬉しかった(≧▽≦)
ぢんさんにまた1つ腑に落ちたたよー!って叫びたい感じ(笑)


恥も遠慮も手放してこのまま調子にのっちゃおう!
私、面倒くさがりやです。
私、後回しにするクセがあります。


でも、不安には後回しせず率先してなります。
◯◯になったらどうしよう(((( ;°Д°))))って。


そしてそうなると不安に支配されて
更に何も手につかなくなるという
悪循環のパターンを持っているので
今は、“不安を感じることにどんなメリットが
あるのかな?”とか自問しながら
少しずつ手放そうとしているところで。


心屋では行動が先ってよく言う。
大丈夫ってことにする
素晴らしいってことにする
問題無いってことにする


なかなかうまいこといかんなぁって思ってたけど
今日、ふと気付いた。


私、いままでもこの法則使ってるじゃん!って。


なって欲しくない出来事を(わざわざ)引き寄せるために
先に不安になってるΣ(゚д゚;)



行動が先って自ら証明してるじゃん
.
.
.
.
相変わらずめんどくせぇな、私(笑)


今日、ふと思ったこと。



いままで決断だと思ってたものは、
ほんとに決断だったのだろうか?って。



圧倒的に“これがいい!”って
自覚できたときはいいんだけど



苦しくて苦しくて
もう他に選べないってなって
やっとその選択肢を手にするってことが多かったかも。



それしか選べない状態って
選んでるっていうんだろうか



あ、でも無意識ではもっと前に選んでるのかな???



それを苦しんでから出ないと選んじゃいけないと思ってる?



私はなんで苦しみたいんだろう?



責められないため?


誰に?
.
.
.
.
うーーん、今日はそこまで辿り着けないや。
そのうちポロっと降ってくるかな。







先ほど、趣味を通じて知り合った
友達歴半年の方と揉めました。
この表現が適切かわからないけど、
気持ちよく揉めることが出来ました。



発端は、ちょっとした受け取りかたと
言葉の意味付けの違いでした。
腹も立ったし、傷ついたけど
お互い相手のことが好きで
わかって欲しいだけなのだと途中で気付いたから
取り乱さずに最後まで言いたいことが言い合えました。



面白かったのは、
相手の主張を聞きながら感じたものが
(上から目線とか、意見を押し付けてくるとか)
相手が私の主張を聞いて感じたものと一緒だったこと



だとしたら
私たちが本当に伝えたいことも一緒なんじゃない?
って思った。



好きだからこそわかって欲しいが強く出たこと
(相手の)望む言葉じゃなかったかもしれないけど
本音を伝えることを選んだことこそ
これからも仲良くしたい気持ちのあらわれだということ




それを口にした瞬間、一気にその場の空気が緩んだ




“揉めてもいい”を言い続けて、これまで実際揉めたりもしてきたけど
揉めてよかった、勘違いだったって実感できたことはあまりなくて
ちゃんと言うってことを悩んでた



でも
うまく伝えられなくても
感情的になっちゃっても
ちょっと拗ねてたって
うまくいくときはうまくいくんだ。



それをやっと実感できて嬉しかったな。
結構長い話し合いだったけど、途中で投げ出さなかった
相手の愛情には感謝しかないし、私も頑張ったな。



あと
前回の記事で、怒ってる私をまた発見して思ったこと。
バンジーの仕方とか、“損してもいい”の解釈間違えてるのかも。



私、怖がりなところもあるけど結構勇気ある方かもしれない。
その勇気をやりたいけど怖くてできないことではなく
より抵抗感の強いものに注ぐことをバンジーだと思って
躍起になってきたところあるかもしれない。



だとしたら、それは自分いじめだと思う。
怒りが溜まるのも無理ないかもしれない。



刺激ばかりを貪ってきた私の“損してもいい”は
意味を求め過ぎずに、向き合い過ぎずに
ぬるま湯のなかでぬくぬくすることなのかもしれないなぁ。



そんなことをベースに置きながら体験した今日の揉め事。
ちゃんと言おうと思って口を開いたその瞬間は
吹いてきた風に乗っかって、
ふわりと次の一歩踏み出していたような感じだった。



勇気ってこんな優しいものでいいんだ。
そして、自分で機会をつくろうとしなくても
勇気を出すタイミングはくるし
出したい勇気は湧いてくる




私はもう私を見張らなくていい。
私を信じていい。




揉め事は宝の山でした(≧▽≦)









会社を辞めてからも
関係性が変わっても
変わらずに欲しかったものを
今日手放しました。



次のステージに行くとき
関係性が切れてしまうこともあると
認識していたけど



変化の周波数が一緒だと思ったから
この関係は大丈夫って思ってた。



もういいやって気持ちと
諦めていいの?っていうのが
交互にやってきて
毎日悶々とし続けて



今日、思い立って
紙に色々書きなぐってみた。



そしたら、私、怒ってた。



“もっと私を大切にしろーーーーーー( ̄∩ ̄#”って
“理想を押し付けるな、出来ない私も認めろ!!!( ̄∩ ̄#”って



誰に?相手に?
..
.
.
ううん、自分に怒ってた。



“大嫌いになってもいい”って
呟いたら心がとっても軽くなった。



自分のやりたいことなんだって
頑張りどころだって
そう思ってもがいてきたけど。



思い出す日もあるだろうし
悲しみや切なさが振り返す日も
あると思う。



それでも、もう終わりでいいかな。



足るを知るって
いまあるものに気付いて感謝するって
ことだけじゃなく



与えられないところから
無理やりもらおうとしない
って
ことでもあると今日知りました。
パターン崩しで
今までやってなかったことをやったのに
思ったような現実を引き寄せられなくて


自分が行動したという事実より
思うような結果にならなかった事実に
フォーカスして
また拗ねてしまうところだった


あぶない、あぶない


気付けてよかったо(ж>▽<)y ☆