前回、カウンセリングを学ぶことに疲れたことを書きました。
今回は同じ時期の2009年、32歳のときについて書きます。
私が勤めていた玩具の卸売会社には知的障害の男性がいました。
彼は見た目健常者に見えますが、読み書き計算ができません。
職場で入荷してきた商品の数の検品があるのですが、私は彼とペアになると、スムーズに進みませんでした。
彼は計算が苦手なのを克服したいからと私に休み時間に、計算を教えてほしいと頼んできました。
私は彼にまずは簡単な一桁の足し算から教えたのですが、彼にとって数の概念を頭で考えるのが苦手なのと、勉強する習慣がなかったのか、集中力が続きませんでした😓
教える私も困ってしまい、イライラすることもありました。
私自身も教える根気もだんだんなくなり、休み時間に教えるのは8ヶ月くらいでやめてしまいました。
その間、知的障害や発達障害について学ぶために、障害者団体が主催するセミナーに、名古屋市内だけにとどまらず、豊橋や岐阜、津にも出かけて受けました。
セミナー受けて思ったのは、読み書き計算は小学校のように健常者の視点で教えるのでなく、障害者の視点で図で説明するなど工夫が必要だったな、ということです。
それ以来、私は障害者に共感できるようになりたいと思いました。
その年は産業カウンセラー関係の勉強会で知り合った方に電話相談員のボランティアを紹介してもらいました。
産業カウンセラー協会の電話カウンセラーは落ちましたが、今回はボランティアということもあり、簡単な面接で合格しました。
電話相談員は月に2回4時間。
主に、学生とその親の相談を電話で受けます。
特別な知識はいりません。
アドバイスをするのではなく、基本的に傾聴です。
電話相談員は私が学んできたことを活かせてよかったです😊
ただ私以外の相談員で傾聴とは程遠く、アドバイスどころか、説教する人もいて、残念に思うこともありました😓
同じシフトの中に教員を退いて、天下りで勤めてる方が必ずいました。
その方はどこか威張っていて、他の相談員が変に気を遣っているのが嫌でした😓
相談自体は好きでしたが、他の相談員との関係は苦手でした😓
相談員が30歳以上ということもあり、私が当時最年少で、まわりが年配の女性ばかりなのも居心地が悪かったのかもしれません。
続く・・・