今日の日本。

飽食の時代にて。

栄養の偏りを気にも止めずにむさぼる日本の人々。

 これが僕の思う日本の食の現状だ。もっとも、これは私の周りの環境のことを指して比喩している表現であり、決して日本の全人口に指して言っていることではないが。私の住む東京では、町の栄えてる場所を歩けば油の匂いが鼻をつく、そして何より人々がみな、疲れきった顔をしている。
 これは私が生まれる前の話で教科書で見たことであるが、日本には高度成長期という時期があったそうだ。その頃は日常的に排気ガスなどを含む有毒なガスが町に漂っていたのであろう。そして、その頃と景色や物質は違えど現代の日本との差異はさしてないのではないだろう。
 現代の食に関してだが、どうも悪質な油分や食品添加物の多さが鼻につく。これはファストフードに限らず低価格帯を貫く食品の多くに言えることだ。その類いの食品は食べていて気分が悪くなるレベルだ。本来、食品というものは人の健康を促進し安全性を安定させなければならない。にもかかわらず食べて気分が悪くなる食品など、言い過ぎかもしれないが、食品ではないであろう。健康に害を及ぼすのだ。もちろん、私が過食の可能性も否定はできないのではあるが。それにしても品質を落としすぎである。価格を落とせば、それなりに品質が落ちるのは仕方のないことは承知であるが、限度というものがある。
 最近は品質を上げようと絶え間ない努力をしている組織もあり、世の動向も健康志向へと傾いているようである。しかしまだすべてとは言えず、低品質の食品は世に出回っているのが現状だ。これ以上批判を続けていてもしようがないから、打開策を考えてみる。 

 まず最初に考えるのべきことは、低品質食品が出回っていることに対しての根本的な解決だ。多くの企業は利益を上げたいがため、最初にすることはコストを削ることだ。これは一番利益を上げることに手っ取り早く効果が大きい。しかしそれをすることにより、品質が落ちているのであろう。実際、コストを大幅に削ることにより品質を保てなくなり、食の安全性への疑いを示唆されている企業も少なくはない。もし私が経営者側の人間であれば、コストを下げる前に品質を保つ努力をする。具体的に言えば商品の価格を上げる。それにより品質は落とさない。そもそも低品質のものが出きる原因は本来使うべきものを代替物で補うことで多く発生する。代替物の多くは低価格で生産できる化学物質である。であれば、本来の自然界に存在しない物質であるから体が対応出来ないのも当然である。

 これらの考えはすべて私の勝手な思い込みかもしれない。提案した打開策も机上の空論である可能性もある。いや、可能性が高いと言ってもなにもおかしくない。それほどに切羽詰まった状態なのだ。今や、飽食の時代。劇であれば悲劇である。私は悩んでいる。このままで良いのか。昔の自然と共にあった時代に踵を返すべきか。それとも新しい考えを示すか。私たちはそれを考えていく義務がある。人間が食を追い求めるのであるなら、なおである。一番よくないのは、人任せにすることである。癌や生活習慣病の原因の多くは食とのつながりがとても強い。それでいて、癌になったり、糖尿病になったりしてから騒いでも遅いのだ。悲しいことであるがこれが現実だ。これらの話は日本だけの話ではない。世界中の先進国の問題でもある。それでいて発展途上国の手助けをするのは医者の不養生と笑えてくる。全くだ。悲劇は全く笑えない。これ以上、悲劇を続ける気は私にはない。