スウェーデンで結婚して子供を育てている、看護師の日本人の方の話は面白いし興味深かった。研修で聴かせてもらった。

スウェーデンは高福祉って言うけど、ほんとに高福祉なの?って話でした。

確かに自分も2ヶ月近く滞在したスウェーデンで驚いたことは、
専業主婦(主夫)って人はとても珍しいこと。男女共に働いている事が当たり前。
実際、ケアハウスで私が現場研修を受けている時、妊娠しても、産まれる直前まで働き続けている人がいたので、
「お腹に子どもがいるのに仕事、休まないで大丈夫?」と聴きました。
すると「何で?生活出来ないじゃない、休むとお金もらえないでしょう?休むなんて選択肢自体無い」と。そんな話を思い出した。

スウェーデンは、普通分娩なら産んだ6時間後に病院から出されるのが通常らしいです。

ちょっと風邪っぽいなとかで、日本のように病院に行こうもんなら、そんなの自分で治しなさいてことになるらしい。
というか、熱が出た、喉が痛い、風邪っぽいって、少しの体調不良で病院に行く概念が既に無いらしい。
(とはいえ今のこのコロナ禍では変わってきているとは思いますが)

年取ってからも、介護が必要になった親御さんを、他の家族が呼び寄せるとか、同居するって価値観が無いらしい。

自分もそこらへん、ケアハウスのスタッフに質問したら驚かれた。
「どうして?家族にだって自分の人生があるのよ?日本の家族はなぜ、それを犠牲にしようとするの?」と。目から鱗。

施設で転びそうになりながら歩行器で歩く高齢者、そこに付き添うスタッフは居らず、「転びそうなのにスタッフら付き添わないんですか?怪我しませんか?」と聞くと、
「だって、実際転ばず歩いてるじゃない、なんでそんな過保護に考えるの?本人が自由に歩きたいときに歩いてもらう、そのためになるべく一人で出来る環境を作ってあげる。」
「転んで怪我したときに、施設職員の責任?なんで?問われるわけないじゃないの。本人が歩きたがってるのよ」

「なんで?どうして?」と、逆に聞き返される連続でした。

話し合いは多くの場合、平行線だったけど、なんとなく、わかりました。

子どもも、2歳とか3歳ですでに1人の部屋で寝る。と聞きました。
確かにホームステイさせてもらったホストファミリーも、2人の女の子達は、その通りだった。

スウェーデンは、自己決定の国だなとつくづく思った。
そして家族同士でも自分の生活をそれぞれが第一に考えている。
その上に成り立っている福祉制度。
公的なサービスに依存するという事について
日本人の価値観とは根本的に大きく違う。

国同士比較すると
日本では
公的に、一人一人を手取り足取り、おもてなすようにサービスで包み込むけど
スウェーデンでは、
出来ることは自分でやりなさい、でも本当に必要な事にだけ、しっかり手厚く、場合によっては税金から全額公的に助けますよ。
というスタンスのように感じます。

日本の介護問題は、これからも、たくさんの課題にぶつかるはずです。にも関わらず、お国の財源が尽きてきている今
大事なのは
サービスを受ける側が、手取り足取りではなくて、
出来ることは自分でやるっていう、考えの転換をなのではないかと思います。

介護の現場で「待ってください」

と言うのは時間の拘束。虐待に繋がる

なんて、分かったようなことを言う知識人ぶった人が嫌いで仕方ない。

虐待か、そうでないかは、白か黒か、じゃない。

白と黒の間はグラデーションになってるんだよ。

それを白にしたくても頑張っても、すこし黒に寄ってしまう、そんな瞬間がある。

グラデーションを、イメージできずに語る奴が、介護士を自暴自棄して

介護を嫌いにしてしまうんだ、志ある若い人も。

命を守るために、そう言わなきゃならない瞬間があるんだよ。

狭い話ですが、過去にあった自分の経験。

学生時代に、たくさんお世話になった方から、久々の電話があり、新聞記者の全国紙面欄の取材を受けてくれと言われました。

うきうきして、何ですかと聞くと、がっかり。

「実は、日本人の子育て世代のエンゲル係数が上がってるっていう記事を出すのに、世間の声を記事に載せたいんだって。君は介護の仕事だろ?多分、エンゲル係数高いだろうかと思ってさ、いやいや失礼な話とは、わかってるんだけど、知り合いの記者も、誰か声を聞かせてくれる人を何とか紹介してくれないか?って言われてね、俺の周りは子育て世代も居ないから、そういう対象が居なくてね、介護の仕事だし、子育て世代だし、まず、あなたの顔が頭に浮かんだのよ」と。

少しにムッとしましたが、大声で笑った後

「僕でいいですか?確かに介護の仕事は給料が低いジャンルですが、僕は家族3人、しっかり暮らせる分、頂いていますよ。エンゲル係数で言ったら世間一般から言ったら、家族全員の分ですから、そりゃあかなり高いでしょうけども」

「いいんだよ、お金も何も出ないけど、匿名だから、取材受けてくれる?」

僕は受けることにしました。

数分後に電話が記者からかかってきて、取材に答えました。

色々質問されましたけど、僕は、お世話になった方に何となく気を使って、大して悲壮感も感じていないこの生活を、「休みの楽しみは、たまに皆んなで近所で外食。音楽を聴きに行ったり。子ども育てて、交通手段は電車。車は持っていません。」

そんな事をネガテイブに、記事の主旨に合うように、合わせて答えている自分がなんとも、ムシズが走る。

一週間後お世話になった方から電話がありました。

「ありがとう、今日の朝刊に載ってたよ、コンビニで買ってみてみなよ」と。全国紙に、千葉県在住の介護職として、匿名で全国の記事に載ってたそうです。

買いもしなければ、見もしませんでしたよ、その新聞。

僕は世の中の新聞を読んだ人や、職場や、家族や、いろんなものに対して、やり場のない、もやもやした申し訳ない気分に包まれてましたから。

まあ、あとエンゲル係数高い家族の典型として思い浮かべられたっていうささやかな劣等感ww

それで僕がわかった事。新聞には、事実から、遠ざかった、着色された事が、きっと沢山書かれているんだろうなという事です。今更そんな事皆んな気づいてるよって事でしょうが。

そうなってしまうカラクリを体験してしまったような。

 

「嘘か本当か、自分の感性を磨いて、新聞やニュースを読み解く力が必要です。」

 

そうしないと、僕みたいな者に、事実に着色された事を、頭に擦り込まれてしまいます。

同じ流され方をしないように自分も気を付けます。

【介護の仕事をしようと思った自分のきっかけと、じいちゃんへの後悔】

この文章、35歳の時に書いたので、四年前になります。携帯のメモに納まってるのを見つけました。

途中で終わってたので、書き終えてみました。

長いです。

 

よく介護の仕事する人は、誰かの介護経験から興味をもった方が多いかと思うのですが、

自分にはおじいちゃんやおばあちゃんの介護に立ち会った経験もない。それなのに何でこの仕事だったのか、ずっともやもやして来ました、やっとここ最近分かったのは、おじいちゃんが死んだ時に味わった気持ちでした。

介護が長く必要な人と比べたら、まあまあ、ピンピンコロリのおじいちゃんなので終末期の介護の現場は知りません。

でも、身近な、大好きな人が死ぬと言う経験が、当時小学生の自分には初めての経験でした。多分3年生くらいかな。

いつも抱っこしてくれて、笑顔で、くすぐって来て、タバコくさくて、セブンスターを吸ってて、パチンコの景品を抱えて帰ってきて、ヌード写真のカレンダーを部屋にどうどうと貼って、大きい声で笑う、面白いおじいちゃんが、

とにかく大好きでした。

夏の暑い日の朝、両親が置手紙をして、起きたら家におらず、ラジオ体操が始まる様な頃に、親が車で帰ってきたのを覚えています。家の玄関で、おじいちゃんが死んだことを親から聞かされました。

最初は、そうか、おじいちゃんも歳だから、死んだんだなと、意外と冷静に受け止めていました。

お葬式で、初めておじいちゃんの死に顔をみました。棺に最期のお別れと言い、花をイッパイ入れられて、動かないで目を閉じているおじいちゃんを観ました。触りたいけど、動かないおじいちゃんが、怖くて触れませんでした。

出棺の時に、棺桶に釘が打たれる、無機質な金属音に、なんとも言えない怖ろしい気持ちを感じました。

そして

僕は死を受け入れました、涙をこらえて、葬儀を終えました。なんとか我慢した火葬場に向かうバスの中で、とうとうこらえきれず、過呼吸になりそうな、狂ったような泣き方をしていたのを自分でも覚えています。

その時、僕は、人間とはいつか必ず死ぬものなんだと、初めて実感し、

自分自身もそのうち、死ぬという事を、生まれて初めてリアルにイメージしたのです。

それから僕は、何やら、人の死に関わる本とか小説とか、例えばおじいちゃんが若い頃に経験した「戦争」というワードに関連した話とか特に、探しては目を通していました。

その内、人の生死に関わる事を仕事にしている人を、格好良いなと思い、見るようになったと思うのです。医者とか、消防士とか、レスキューとか。

いまだに、僕は、棺に横たわるおじいちゃんに、怖くて触る事が出来なかった事を、後悔しています。触って別れたかったんです。

人の最期に携わる時間、人の命を守る為の仕事は、とても崇高な時間と分かりました。

僕は、介護の仕事をやりたいと思った背景には、おじいちゃん、おばあちゃんの介護経験ではなくて、人の最期を看取る事、より良く生きる事を助ける仕事が、とても人間にとって、大事で、そこに自分は、入り込んでみたいと思ったようです。

僕は今も、亡くなった方を前にしたら、あの時おじいちゃんに出来なかったことを、しています。しっかり手を握り、許されるなら、あの時やりたくても怖くて出来なかったこと、額に掌を触れて、

感謝の気持ちを念じます。

今の自分の仕事の醍醐味は、その人に、最期に、良い人生だったなと、思ってもらえる僕らの関わり。

認知症の人が
「家に帰りたい」と話す時
それは僕は思うのですが
比較的多くの方に言えるのは
帰りたいのは
「場所」ではなく
「時間」だと思うのです。

ずっと前になってしまいますが
長崎が生まれの女性がいつも
「帰りたい」と、眉をひそめて
デイサービスに来ても
落ち着けない方がいました。
ご主人は最後の機会だと思い
長崎に連れて行きました。
あんなに帰りたいと言ってた
長崎なのに、ここじゃないと
長崎に居ながら
「帰りたい」と嘆いていたそうです。
切ない旅だったはずです。
帰りたかったのは場所じゃなくて
自分が居た時間だったんじゃないか
という事です。
それからは僕はその事を意識して
認知症の方と関わるようにしています。