子どもの頃、熱だして悪夢みると決まって、同じような光景なんですが
それは風景というより人が渋谷のスクランブル交差点のようにごっちゃごちゃに行き交う中で
狂ったように全員が走っていて、その走ってる人間の心が全員殺意に満ち溢れていて、
それぞれが抱えている殺意の内容が目に見えるようにオーラになって現れていて、
僕はそのなかでただただ突っ立って、物凄いスピードで行き交う人たちを眺めているんです。
いつ殺されてもおかしくないような異様な空気の中でただ、突っ立てるんです。
あまりにこわいんだけど動くことができません。
たまに試験勉強とかしながらじーっとしてると頭の中にその夢が現れます。
不思議な現象ですね。寝てないのですが。
今も同じ光景が頭にへばりついています。
幼い頃はそれが怖くて泣きまくってたのですが、今では、この夢の正体はなんなんだ?と、じっとその夢の中に自分を押し込んでじっとしてみたりすることがあります。
そのときはあたかも自分が夢の中で生活する空間を持っていてそこに入っていくような不思議な感覚です。
その不思議な空間にはその、たまあに訪れる悪夢の世界が頭に広がってきたときにしか入り込めません。、
そこに入り込むと、いつも幼い頃の記憶の断片が懐かしさとともにやってきて切なくなります。
人間の不思議ってか、自分の不思議っていうか、
これはなんなんでしょう?生まれてはじめてこの不思議な頭の中のニュアンスを言葉にしてみました。
みんなこういうことって共感するのかな。
2009.3.25↓
今さらなんですが。介護の仕事の怖さです。
朝からいつもと変わらない元気なおGちゃん。
いつもと変わらない入浴。
あがって脱衣場で座って着替えてたら座位保てず、長椅子に崩れた。
白目向いて。
10秒くらいで回復して座位になったがまた崩れる。
激しい頭痛の訴え、生あくび、大量の冷や汗。
救急車呼びました。
脳がやばいかもしれない。
救急車内で、意識がなくなる。隊員がつねっても意識がない。
おれは人を一人殺したと思った。
かかりつけの病院に担ぎ込まれ、CTとり、血糖値はかる。恐ろしく低い。
看護師が注射で血糖値あげてくれた。
意識が徐々に回復してきた。
家族に逐一連絡を取り、現状報告した。怖くてたまらなかった
家族が到着した頃は馴染みの看護師を識別するまで回復した。
脳の異常は見られなかった。
家族は私に
「そんなに落ち込まないで。子どもと年よりはいきなりこうなるもんだから。」
と、労われた。
恐縮した。
おGちゃん、ご飯もしっかり食べていましたから、低血糖へと繋がる因果関係がわからず、医者に自分は
「入浴介助についたのは私でした。何を気を付ければ防げましたか?」
と、聞くと、「入浴と低血糖の関連は無いと思う」と。ただ、湯船から上がったあとの急激な血圧変動は何かしら防ぐべきでしたよと。
分かっていながら、こういうことに直面しないと怖さを体得出来ないものなのでしょうか。僕は未熟だなあと思った。
家にかえったら今日は何度も救急車の音がする。
奥さんが帰ってきて、偶然、「私も同僚が急に倒れて救急車に乗った」と言ってた。
何だか、こういう日ってあるんだな。
生死を分ける分岐点に関わることのあるこの仕事
それを改めて、三年たって今さら自覚した自分が恥ずかしいというお話
2009.8.21↓
今日は、半月ぶりのまともな休み。奥さまとどうしようか考えた結果、
日の出桟橋まで電車で行って、そっから水上バスでゆっくりと、我が故郷浅草行って懐かしさに浸ろうという計画をたてまして実行しました。
水上バスは、あなどれないよ。楽しいよ。毎日走り続けるような気持ちがゆっくりになるよ。
浅草は幼稚園、小学校、ボーイスカウトで20過ぎまで、ひたすらうろうろしてた土地です。
歩くだけで、気持ちが懐かしさで切なくなります。
新仲見世で、甘いものが食いたくて、一つの店に入った。
そこで不思議な光景を見ました。
隣の向かい合う二人用の席に、おばあちゃんが一人座り、定食を食べている。
向かいには同じメニューが手付かずで置かれ、おてふきおしぼりの封だけ開けてある。
おばあちゃんは何も言わず、ゆっくりゆっくり、食べている。
向かいの席には誰も手をつけない定食が置かれたまんま。
不思議だと思い僕らも40分くらい居たが、誰も来なかった。
おばあちゃんはもくもくと、少しずつ、ゆっくりゆっくり、食っている。
誰と飯を食べてたのかな。
何か、勝手にいろいろ想像してたらまた切なくなったよ。
そんな中、ぼーっとしてたら、職場の上司から、ダメ出しのメールが来た。
受け取って、読んだ途端、自分はもう、浅草にいて、懐かしがって、満たされてたけど、もう、あの頃とは違う環境に居るんだと、
上司から、揺すり起こされて気づいちゃったみたいな、残念な気持ちになった。
やっぱり、おばあちゃんはゆっくりゆっくり、飯を食らう。向かいには誰も居ないのに置かれた定食。
人の最期に密接に関わる今の仕事。
浅草と、今の自分の環境と、おばあちゃんと何か、見てたら、涙が出そうで、
堪えるのが一苦労でした。
ここでバカみたいに泣いてたら奥さんにきもちわるがられるじゃない(笑)
やりたいことから徐々に離れていくようなここんところの感覚、ほんとに自分はどこに流れてくんでしょうね
なんか、激流で必死に枝につかまるような今に、束の間、客観的になる時間だ。
おばあちゃんは誰と飯を食ってたんだろうね。
13年前に書いた事です。
たった13年前なのに、人を相手にする仕事をしているのに、いい歳した上司が、鬱についてこんなにまで間違った解釈をしている。こわいね。時代は進んでいくね。この昔の上司がこの頃のままではない事を祈るばかり。
↓
またミュージシャン自殺したでしょ。検索に引っ掛からないように名前はのせません。
私の職場の長は言うんです
「鬱なんか、今の優雅な時代だからこそおこる現代病だよ。自分が現場出てた頃、ご入居者は言ってたよ。みんな戦争で何もない、死に直面するような、毎日を必死に生きていた。鬱とか言って職場を離れる奴が信じられんよ。先輩方の苦しい時代に比べてうちらはどんなに恵まれてるか。あの頃は鬱になる暇さえなかったんだよ。仕事で悩める なんて贅沢きわまりない。」
だって。
なんだか、納得したような、納得したくないような。
形は違えど、命をはって生きる事は今も昔も変わってない気がするよおれは。。
そうやって、鬱になった人を批判するあの方に僕はたまにいらっとくる。
でもわかる気もするんだよ複雑
15年前に書いた。↓
幼稚園の先生をやっていた70代の女性。
パーキンソンを患っておりあまり体は動かず
意志表示、表情があまり表に出ない方です。
先日、つくしの絵の塗り絵をやっていて
間違ってつくしの上辺りを黒く塗り潰してしまいました。
仕方なさそうにその女性は
塗り絵のうえに何やら文字を書き始めました。
『小さいカラスがやってきて
つくしんぼうにとまりました。
春が来た。春が来た。
と歌を唄うと
小さなからすはすぐに
飛び立っていきました。』
普段、感情表出があまりない方なだけに、驚きました。
聞けば即興の詩だそうで、幼稚園の先生をやっていた頃は、園児に語って聞かせていたそうです。
昔から培った先生としての資質の片鱗をみて、
こころにぐっときました。
この女性
この日を最後に、他の入所施設へ入り、ウチのデイサービスとはお別れでした。
何か、自分のことを最後に詩にされたようで、不思議な気持ちでした。