先日書いた内容からさらに踏み込んで、同じ内容も含みつつ、再度、書いています。
私の施設では、みんなの協力あって
身体拘束とされる事、やっていません。
それをまず、前提に。
介護の仕事してると
「身体拘束」についての勉強は
避けて通れないのですが
あれ、研修行くと
わけわからん事
壇上でおっしゃる講師
居ますね。
私が受講した時の事
「身体拘束は、絶対無くすと
強い意志で臨んで、拘束ゼロにしました」って発表してる施設長の女性の講師。
その施設のドキュメントかなんかでしょうか。
業者に頼んで、作成したらしき
動画を見せられました。
なんともいびつな、内容でした。
現場で、直にケアに当たってる職員は
その方が怪我をしないで済む方法を
探し出せずに、泣いていました。
講師の女性は
「現場が何と言おうと、拘束は無くす」
の一点張り。
認知症の周辺症状で
転びそうになりながらも
危険認識が持てず歩いてしまう方を
スタッフは一生懸命支えながら
なおかつ
その方の安全を心配しながら
他の方のナースコールに向かう。
現場のリーダーを任された職員は
現場職員と、この施設長の挟み撃ち。
文句を言われる。泣いている。
疲弊していく職員さん。
この状況を、この施設長は
スタッフが成長していくために
必要な時間だとさ。
聞いていて苦しくなった。
こんなアンバランスな環境で
身体拘束を外すなら
僕はむしろ、その方の拘束は
外せないのではと思います。
そして
あの施設長さんの見せてくれた動画に
一度も出てこなかった人たち
それは
ケアを受けている方の
「家族」
家族を巻き込む話が一度も出てこない。
拘束を外すという決断は
その方の意思の尊重と共に
リスクの覚悟ですから
それを
職員だけに、責任を負わせて
家族を巻き込まない。
こんな話ないね。
僕は良く思うのは
認知症は
自我と
コントロール不能になった身体の
乖離だと思っているところがあります。
きっと、自我は、転ぶ事を分かっていて
でも身体が勝手に歩いてしまうってこと
多いにあるはずだと。
だから私は介護の仕事をしていながら
よく無いことと言われれば
甘んじて受け入れるのですが
身体拘束を、むやみに
やってはいけないものと
思ってないのです。
(冒頭でも伝えましたが、だからといって現場では身体拘束は行っていません。法令遵守はしています)
社会が進歩したら
認知症という病気がもっと
明確になったら
その人にとって
「必要な身体拘束」っていう
見直しが、始まると思うんです。
賛否あるはずですが。
「『ちょっと待ってください』
この言葉を、利用者さんに使うのは、時間の拘束ですよ」
と、壇上から、教科書のように
伝えてくるその講師。
そうなんでしょうかね。
しかし、現場で、悩みながら
ケアを進めていく、ワーカー達に
そんな言葉だけ言い放ち
研修を終わらせたこの方を僕は到底
受け入れられない。
真面目なワーカー達は、悩みました。
そしたら
どうやって安全確保が難しい入居者さんに
関わればいいの?
「待ってください」という言葉を
『身体拘束』と括るのは
前線でケアを行うスタッフを傷つけます。
現場の一つ一つ、その瞬間に
利用者を守るための
理由がある場合がほとんどです。
白か黒かじゃない。
グラデーションなんです。
グレーに染まりそうなものを
いかに白の方に近づけるかという視点
でないと
特に真面目なケアワーカーは
自暴自棄になり、答えが見つけられず
仕事を辞めます。
「ちょっと待ってください」
この言葉を
拘束なんて呼ばせないようにするには
言い方を変えるだけでも、ひとつの
解決になることがあります。
「ちょっとお時間をください」
にすればいい。
この言葉に変えるだけで
相手が尊重されます。
その言葉をさらに温かくするならば
「声色(こわいろ)」
に意識を持てば良い。
ケアを受ける相手が
優しい気持ちになれます。
ほんと
それだけのことだと思うのです。
それだけのことを
さも、拘束とはなんぞや、と
ケアワーカーを追い込む話しか
出来ない人。
壇上に立つ人ならば
現場に立つ人々を助けるために
そこまで
話してあげてほしい。
介護士が一人でも多く救われてほしい。