9月23日は初めてチンチラをお迎えした日


チンチラ飼いのわたしの朝は

8匹のチンチラに一粒ずつのペレットを手渡すことから始まる


なぜなら…

この1年で2回もペニス脱で病院へ走ったからだ


↓ペレットに釣られて立ち上がってる図

ペレットで釣ってちんちんチェックをする

ポロンと出ていないか


初めてのペニス脱は来福だった

↓僕だ

ぬいぐるみやブランケットやケージに被せたフリースの布を相手にするので、それに付着した毛がちんちんに絡まって(ファーリングに)なってた
そして、来福は右手の一番長い指の第一関節から先を失った…
たぶん、部屋んぽ中、福もちに噛まれたんだと思う
ちょうど関節に入ったんだろうね、血も一滴も出ず傷口はそのまま塞がった
本チンチラは表情にも出さず痛みや不便さを推し量ることは出来ないけど、飼い主は短い指でペレットを握る手を見ては胸が痛くなる
男の子の部屋んぽ中も福もちは外に出すようにしました

次に福太郎がなった

↓僕だ
来福の時と同じように処置しようとしたけどファーリングは見当たらない

ちんちんを指で押し込もうとするけど出来ない

焦って嫌な汗が出る

ダメだ!病院だ

かかりつけの病院を調べると休み!こんな時に限って泣き笑い

前に調べておいたチンチラ保険適用となってた病院へ走る(わたしは保険入ってません)

保険適用ってなってるから少しは診れると思ってたのに処置する様子を見ていると、どうもそうではないらしい

結論から言うと膣栓となる体液がちんちんの根元付近に付着して固まってたっぽい(想像)

生理食塩水的なものをジャバジャバかけながらピンセットで取り除いてくれた
ちんちんの皮なのか、そうじゃないのかもわからないようだった
横からわたしが「これ!これは体液が固まってるんじゃないでしょうか!?」と促して
丁寧に取り除いてくれた
かかりつけ病院へ持っていけるように経過報告書を書いてくれて、無事にちんちんは収まってくれて有り難かった

そして、またやってしまった飼い主のやらかし
福太郎のケージの窓を閉め忘れて、夜中に脱走し流血の惨事
福太郎の掌は血で何がなんやら見分けがつかない状態で急いで病院へ走った
傷口を洗浄して状態がわかるのかと思ってたら、洗浄はしないほうがいいと、このままでということだった

福太郎も指1本は無くなってる事を覚悟してたけど、掌を噛まれての流血だった

抗生剤で様子見、以降、病院へ行くことはなかった

福助と丶福は爪が1つ無くなった



続いては安定感ハンパない丶福のちんちんが!
↓僕だ
ケージの掃除をしようと覗き込むとポロンと出ているではないですかー(⁠´⁠⊙⁠ω⁠⊙⁠`⁠)⁠!
これは見事なまでのファーリング!
自分で除けることも出来たけど、嫌な汗は出るし、手は震えるし、ハサミを使わないと無理っぽかったので病院へ
先生はファーリングした毛の輪っかをピンセットでチョイとつまみ、ハサミでチョキンって切って「はい、終わり」て
ちんちん出しっぱなしで返そうとするから
「ちんちん、このまま出しっぱでいいんですか?」って聞いたら
「じゃ、ワセリンでも塗っときましょうか」ってチョイチョイと塗ってちんちん押し込んでくれた

後なってないのは福助だけ
↓僕だ
福助は最近、水を多く飲む
70ccくらい、多い時は80cc も!(通常は50ccくらい)
他の男の子たちは45〜60ccくらい
でも、去年の今頃も多く飲んでる
ペットシーツがおしっこだけとは思えない濡れ方してるから、もしかしたら漏れてるのかもしれないけど??
この時期になったら飲むのが下手になるとかなの?
わからん…

女の子組
福ちゃんも元気です
↓わたしだ
部屋んぽ中、チモシーを出して遊んでる
珍しく遊んでる福ちゃん
福ちゃんは1回病院へ行きました
まーったく抱っことかできないので、お尻あたりの毛がモハモハしてきたので抱っこしてブラッシングしたら2日後に💩が出なくなりました
病院へ行って点滴してもらいました
もうブラッシングはしません…はい

福笑ちゃんも元気です!
↓わたしだ
部屋んぽ中、なにかと福ちゃんに絡んでいくし、福ちゃんもまんざらでも無さ気なので
仲がいいのかと思って一緒に部屋んぽさせてみたら
とんでもなく喧嘩する不思議な2匹
なんなの?

こ福ちゃんも元気です!
↓わたしだ
こ福ちゃんは毛が密過ぎて、ブラッシングが欠かせない
少し福助に分けてあげて、ってくらい毛が多い
ソアホックになって、一時はお薬も飲んだけど、あれからはなってない
それほど運動量も増えてないけど、最近は男の子たちにちょっかいを出してる姿をよく見かける
福助と丶福の間で遊んでる
魔性のチンチラかな

福もちも元気です!
↓わたしだ
可愛いわねぇ
可愛いけど、やっぱりこやつは癇癪持ちっぽい
部屋んぽ中、わたしが歩くと足に突進してくるし、おしっこひっかけるし
ペレットごはんが待てなくてブゥブゥ言うし、ケージに手を入れると体当たりしてくるし
こんなふうにしてると可愛いんだけどね
天使の寝顔
かわええ~

そして福来
↓わたしだ
福来に会いたい
福来に会いたい
福来に会いたい
本当なら福来を失う経験なんかしたくなかった
あの時に戻れるなら戻りたい
自分の弱さが情けなくて仕方ない
福来を失って、わたしは強くなれただろうか
まったくそんな気はしないけど
3年経っても思い出しては胸が痛む
眠れなくて、食べられなくて、福来の痛みと苦しみを同じように味わった、あの時間を忘れない

そして
今日もみんなが生きてる!
みんなが元気!

無添加石鹸で洗濯してお日様で干したよ


最近、年1のチンチラ日記なので、たくさん写真貼りましょうね








こうして1年を振り返ると、いろいろあったなぁ


これからの1年は、あんまり書くことがないような日々が送れたらいいな



こんな日がこんなに早く来るなんて…って気持ち


それだけ国民の不安や不満が溜まってったってこと


アメリカやドイツやイタリアやフランスで起きていたことが

こんなに早く日本で起こっている


日本はいま岐路に立つ


雨の中、参政党の街頭演説に集まる人たち
多くの人たちが集まってくる

さて、日本はグローバリストたちに抗えるか


このまま株主資本主義の社会が続き貧富の差が広がり
日本人は働いても働いても豊かにならず
考える暇さえ与えられず
生きていく道を選ぶのか

日本人を目覚めさせたくなかったグローバリストたちと繋がった日本政府が焦ってる

参政党を潰せる方法はただ一つ
「大きな既存政党が日本人を大切にする政治をすること」とは大人の社会化チャンネルのtetsuyaさんが言ってたけど

なるほど

参政党員の若い男性

どうして参政党に入ったの?って聞くと

唐揚げが1個皿にのった給食のニュースを見て…

日本がおかしい

日本ファーストと言っただけで袋叩きにあう日本はおかしい

いつの間にこんな日本になってたの?

おかしい…って気づいて立ち止まって抗う道を選ぶ人たち

がんばれ!日本人

抗え!日本人

母の乳がんでの右胸全摘手術終わりました


6月11日入院、12日手術、16日退院でした


5月26日のCTの検査では転移はたぶんないだろうとのことでしたが、可能性は0ではなかったので姉はとても心配してました


わたしは「ない、ない、わたしがないって決めたから、ない!」なんて言って不安になる気持ちを振り払ってました



転移もなく無事に手術を終えました


3月末、乳がんと診断されて手術日が決まった時

24時間の付き添いをお願いしますと当たり前のように言われたから

コロナ以降の面会時間が1日のうち2時間の中の15分だけとか、この狂ったご時世

「え?」ってなったけど

有り難い♡

バイトも休みを取って、姉と12時間ずつ交代で付き添いました


わたしはチンチラたちのお世話があるから22時〜10時まで


手術は9時からの3時間程度の予定で病室に帰ってきたのは12時半

11時頃に病院に着いて病室で待ってた

事前に摘出した乳房を見ますか?って聞かれた時

「見なくていいです」って伝えたのに

先生から説明がありますと指定された場所に行くと先生がでっかいタッパー持ってて

「見ますか?」って言うから

「じゃ、せっかくですので…」って見せてもらった


前日、母を病院に置いて帰るとき、姉に「あ!右胸にありがとうを伝えるのを忘れた、わたしたちを育んでくれた胸なのに(笑)」なーんて話をしていたので、最後に肉体の切片となった右胸と対面できて、心の中で「ありがとう」を伝えた

伝えることができて良かった

神の采配か?(笑)


手術が終わって麻酔が覚める時苦しそうで

2度ほど胃液を吐いた

「お母ちゃん、お母ちゃん」と涙を流しながらうわ言を言ったので

「和子、ようがんばったな」って祖母のふりして言っておいた


チンチラのお世話があるので15時に面会に来た兄と入れ替わりに帰宅した


初めての付き添いにちょっと緊張してた


16時からチンチラの部屋んぽを始めて

この日はみんないい子で30分でサクサクとケージに帰ってくれた



21時半に病院に着くと母は起きていて

部屋の天井をじーっと見つめながらすごくスッキリとした表情をしていた


「喪失感はある?」って聞いたら「わからない」と

「全部の役割が終わっててよかった」と

それからいろんな話をして0時頃、看護師さんが来て明日のリハビリの為に体力温存しないといけないから、もぅ寝ようねって

やんわり叱られるほど


ねぇ、魂は永遠でね、死ぬことは怖くもないし、悪いことでもないんだって

次にどんな経験をしようって決めて、また生まれ変わるんだって

でもね、もしよかったら、お姉ちゃんとわたしが死ぬまで魂のまま、わたしたちの側に居てほしい…


…なんて身勝手な事を母にお願いをした

そんなことしてられない、早く生まれ変わらなきゃ!っていうんだったら

側にいなくてもいいけどねって一応付け加えて



祖父母の話、戦死したお兄さんの話、幼い頃の話、父の話、孫たちの話


叔母たち、孫たちがLINEで心配と激励の声を届けてくれて

孫が歌う津軽じょんから節を何度も聴きたがって、聴いては泣いてた


初めての付き添いの緊張で1日目、2日目は殆ど眠れず、10時頃病院を出てご飯を買って帰って

リクガメのオジにご飯をあげて、マメルリハたちのケージを掃除してご飯とお水を替えて

チンチラたちのケージの掃除をして

ご飯をもそもそ食べた

15時過ぎにはチンチラの部屋んぽを始めないと間に合わないので

お昼寝もできなかった

ふーわ、ふーわした状態の最初の2日間だった


兄嫁が週末付き添いを代わるよと言ってくれたけど

非日常が楽しくなってきてたので断った

夜の病院はしーーーんと誰も居なくて

警備員さんがロボットのように働いてて

看護師さんもそこに心が宿っていたり、いなかったり

まるで現実ではないような


わたしは感情があるような無いような


矢作直樹さんが言ってた

「死んでもいいし、死ななくてもいい」って言葉を何度か繰り返してたような気がする


生まれてきた日常の中で学んだ良いとか悪いとかの常識とか価値判断は正しいとは限らない


その時その時、自分自身に「どんな気持ち?」って問いながら過ごしてた


母はCT検査で大動脈瘤が見つかって、どんな治療になるのか


退院した日に目をつけてたケアハウスに連絡をして2日後にケアマネジャーさんが来てくれた


半日週2回のデイサービスを希望した


少しでも楽しく尊厳のある生活をしてほしい




少しずつ、父の時のように受け入れる時間を与えてもらってる気がする


1つずつやってみて諦めるというか受け入れることをやっていく


無償の愛をくれる 

たった一人の人を無くすことがどういうことなのか


そんな事を考えたりするのでした


今年は少し遅く
クリスマスローズがたくさん咲きました

何年前に交配したのやら?
初開花のクリスマスローズ




母が乳がんと診断されて6月に右胸を全摘出術することになりました(不思議と悲観的に捉えていません)
腎臓も悪いので、それまでに体調を整えてほしいと毎朝ご飯を届ける日々



日曜日のこと、母は電話を取ろうとして転倒

姉から連絡があり慌てて当番医を検索し病院へ

幸い骨折はなかったものの筋か筋肉かを痛めてしまい歩けなくなってしまいました

それまでも膝が悪くて長くは歩けなくなっていて、外に連れ出すために車に乗せられる小さな車椅子を購入していました

病院へ連れて行くのに立てないから玄関まで這って貰って
それから車椅子に乗せるのが大変
なんとか車椅子に乗せて庭の砂利道を力付くで押すのが大変
また車椅子から車に乗せるのが大変
病院に着いて病院の大きな車椅子に乗せるのが大変…
帰るのに車椅子から車へ
家に着いて車から車椅子へ
砂利道を力付くで押して玄関へ
車椅子から玄関へ

去年の8月から近くのパン屋さんへ(運動不足解消がてらパンが恋しくて)週に1、2日半日製造補助のバイトに行っていて
ちょうど日曜日は4時起きでバイトの日
(仕事は8時からだけどチンチラのお世話があるから4時起き)
バイトから帰って、さぁご飯を食べようとした時に姉から電話

朝からなんにも食べてなくて、大変な車椅子移動で
もぅクタクタ

当番医の先生が日にち薬だろうけど入院してリハビリしてみては?と言って下さり
母に「入院する?」って聞くと即答できず
家に居て這ってトイレに行ったり
それ以外は寝たきりでいると気も滅入るし、リハビリして少しでも機能回復できるようにと説得
入院すると返事したのに、間際になってまたゴネ出し
姉からも「そんなに言ったらプレッシャーになるから言うな」と言われ
わたしはとうとうキレて
「もぉ、知らん!勝手にすればいい!!」と

(わたしは8歳上の姉と小さな頃から遊んだ記憶がない、年が離れているせいだと思っていたけど、ずっと違和感があって、姉の特徴を調べてみると、どうもアスペルガー症候群ではないかと思う。人の気持ちを汲む事が苦手だし、正直すぎて人を傷つける。でも、嘘を吐かない。一番信用できる人間だと言えないこともない指差し

母は姪っ子と兄嫁に「もぅこのまま生きていても迷惑かけるだけだから」と電話をしたらしく
(後から母に聞くと入院する覚悟をする為に姪っ子と兄嫁に電話をしたらしい)

姪っ子から「おばぁちゃん、こんな風に言ってたけどなにかあったん?」って電話が来た
おばぁちゃんの愚痴を聞き、わたしの愚痴も聞いてくれた姪っ子が有り難かった
自称ADHDの姪っ子(確かに多動性ではあるけれど)

昨日から母は入院することになり、今日、面会に行くと
母と同い年位の方が同室で
旧姓が同じ苗字で、なんと名前が姉と一緒だとわかったり
小さい頃の思い出話を語り合い、昨夜は一緒に軍歌を歌ったのだそう(なぜ?軍歌?)

「こんないい人と一緒に居られて、こんなに楽しいんだったら、もっと早く入院したらよかった!」だってー
めちゃくちゃハイテンションでニコニコの母
こんなに笑顔の母を見たのは久しぶりで、看護師さんに(退院日は決まっているものの)
「なるべく長く居させてやって下さい」と言ってきた

クタクタでイライラで
一人でお花見に行った
まだ満開にはもう少しだった

この日記を書こうと思ったのは今のこの気持ちを残したかったから

母にご飯を作ってる時
トイレの心配をしてる時
病院へ連れて行ってる時
母を車椅子に乗せてる時
母に言って聞かせてる時

わたしを育ててる当時の母になったような感覚がある

母にご飯を作るのは腎臓のことを考えるし、日頃ほとんど料理をしてこなかったわたしにとって難しいこと
でも、心も体も元気になるように願いながら作るご飯が美味しく綺麗に出来上がると、とても嬉しい

(フルタイムで働きながらお弁当を作っていた母に、嬉しいと思う余裕があったとは思えないけど)



病院へ連れて行く時も、こんな気持ちだったのかなぁって

わたしは好き嫌いが激しくてよく栄養失調になって
幼稚園や小学校に行くのが嫌で
吐き気がしてお腹が痛くなって
よく病院へ行った(学校行くくらいなら病院のほうがマシ)
当たり前に、迷惑だとか負担だとか思うことなくお世話してくれたんだろうなぁって

なんの負担もなく母に向き合えてる自分が、あの当時の母になったような気がする時があるのです

幼馴染の光ちゃんが亡くなったお母さんに言った言葉を思い出した

「お母さんがしてくれた通りにしてるだけや」

本当にそぅだなぁって
思ったりしたのでした

大変だった車椅子の移乗
YouTubeで検索しまくり、シミュレーションばっちり👌
めちゃくちゃ楽にできた〰️
知識って大事!
また一つ経験して成長した!
えらい!わたし!!


…でも、またチンチラのことでやらかしました悲しい
もぅ落ち着いたのでご安心を
またあしあと日記書きます