母の乳がんでの右胸全摘手術終わりました
6月11日入院、12日手術、16日退院でした
5月26日のCTの検査では転移はたぶんないだろうとのことでしたが、可能性は0ではなかったので姉はとても心配してました
わたしは「ない、ない、わたしがないって決めたから、ない!」なんて言って不安になる気持ちを振り払ってました

転移もなく無事に手術を終えました
3月末、乳がんと診断されて手術日が決まった時
24時間の付き添いをお願いしますと当たり前のように言われたから
コロナ以降の面会時間が1日のうち2時間の中の15分だけとか、この狂ったご時世
「え?」ってなったけど
有り難い♡
バイトも休みを取って、姉と12時間ずつ交代で付き添いました
わたしはチンチラたちのお世話があるから22時〜10時まで

手術は9時からの3時間程度の予定で病室に帰ってきたのは12時半
11時頃に病院に着いて病室で待ってた
事前に摘出した乳房を見ますか?って聞かれた時
「見なくていいです」って伝えたのに
先生から説明がありますと指定された場所に行くと先生がでっかいタッパー持ってて
「見ますか?」って言うから
「じゃ、せっかくですので…」って見せてもらった
前日、母を病院に置いて帰るとき、姉に「あ!右胸にありがとうを伝えるのを忘れた、わたしたちを育んでくれた胸なのに(笑)」なーんて話をしていたので、最後に肉体の切片となった右胸と対面できて、心の中で「ありがとう」を伝えた
伝えることができて良かった
神の采配か?(笑)

手術が終わって麻酔が覚める時苦しそうで
2度ほど胃液を吐いた
「お母ちゃん、お母ちゃん」と涙を流しながらうわ言を言ったので
「和子、ようがんばったな」って祖母のふりして言っておいた
チンチラのお世話があるので15時に面会に来た兄と入れ替わりに帰宅した
初めての付き添いにちょっと緊張してた
16時からチンチラの部屋んぽを始めて
この日はみんないい子で30分でサクサクとケージに帰ってくれた

21時半に病院に着くと母は起きていて
部屋の天井をじーっと見つめながらすごくスッキリとした表情をしていた
「喪失感はある?」って聞いたら「わからない」と
「全部の役割が終わっててよかった」と
それからいろんな話をして0時頃、看護師さんが来て明日のリハビリの為に体力温存しないといけないから、もぅ寝ようねって
やんわり叱られるほど

ねぇ、魂は永遠でね、死ぬことは怖くもないし、悪いことでもないんだって
次にどんな経験をしようって決めて、また生まれ変わるんだって
でもね、もしよかったら、お姉ちゃんとわたしが死ぬまで魂のまま、わたしたちの側に居てほしい…
…なんて身勝手な事を母にお願いをした
そんなことしてられない、早く生まれ変わらなきゃ!っていうんだったら
側にいなくてもいいけどねって一応付け加えて

祖父母の話、戦死したお兄さんの話、幼い頃の話、父の話、孫たちの話
叔母たち、孫たちがLINEで心配と激励の声を届けてくれて
孫が歌う津軽じょんから節を何度も聴きたがって、聴いては泣いてた
初めての付き添いの緊張で1日目、2日目は殆ど眠れず、10時頃病院を出てご飯を買って帰って
リクガメのオジにご飯をあげて、マメルリハたちのケージを掃除してご飯とお水を替えて
チンチラたちのケージの掃除をして
ご飯をもそもそ食べた
15時過ぎにはチンチラの部屋んぽを始めないと間に合わないので
お昼寝もできなかった
ふーわ、ふーわした状態の最初の2日間だった

兄嫁が週末付き添いを代わるよと言ってくれたけど
非日常が楽しくなってきてたので断った
夜の病院はしーーーんと誰も居なくて
警備員さんがロボットのように働いてて
看護師さんもそこに心が宿っていたり、いなかったり
まるで現実ではないような
わたしは感情があるような無いような

矢作直樹さんが言ってた
「死んでもいいし、死ななくてもいい」って言葉を何度か繰り返してたような気がする
生まれてきた日常の中で学んだ良いとか悪いとかの常識とか価値判断は正しいとは限らない
その時その時、自分自身に「どんな気持ち?」って問いながら過ごしてた
母はCT検査で大動脈瘤が見つかって、どんな治療になるのか
退院した日に目をつけてたケアハウスに連絡をして2日後にケアマネジャーさんが来てくれた
半日週2回のデイサービスを希望した
少しでも楽しく尊厳のある生活をしてほしい

少しずつ、父の時のように受け入れる時間を与えてもらってる気がする
1つずつやってみて諦めるというか受け入れることをやっていく
無償の愛をくれる
たった一人の人を無くすことがどういうことなのか
そんな事を考えたりするのでした