日本が長寿企業大国なのは三方よし経営のお陰であり、それは大御宝を大切にする伝統的理想の企業版である。
 

■転送歓迎■ R06.09.15 ■ 76,466 Copies ■ 8,666,710Views■
過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251
無料メール受信: https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776


■1.日本企業の独自性

 世界の長寿企業トップ10で、日本企業は何社入っていると思いますか? 創立200年以上の長寿企業が入会を認められているエノキアン協会のメンバーリストで調べると、日本企業は以下の3社が入っています。

  717年 法師(石川県、温泉旅館)
 1500年代 虎屋(京都、和菓子屋)
 1560年 ナベヤ(岐阜、お寺の鐘など鋳造)

 トップの法師が717年とは、第2位の

 1502年 The Coatinc Company(独、金属表面処理)

 に対して、800年も古いのですが、実はこの第2位より古くて、エノキアン協会に加盟していない老舗企業が、日本にはたくさんあります。千年以上の企業だけでも、

 578年 金剛組(大阪、社寺建設)
 587年 池坊華道会(京都、華道茶道教授)
 705年 西山温泉慶雲館(山梨、旅館)
 ・・・
 1000年 一文字屋和輔(京都、和菓子) 

 と、9社ほども並びます。これらを含めると、トップ10はすべて日本企業が占めてしまいます。

 さらに、上記の第2位の1502年創業に対して、それ以前の日本企業が100社近く現存しており、これらを加えると、トップ100はみな日本企業が占めてしまう、ということになります。

「失われた30年」で日本企業の凋落が伝えられていますが、この長寿企業の多さ、という点では、断然、他国の追随を許さないのです。


■2.なぜ長寿の日本企業が多いのか?

 なぜ、これほど日本には長寿企業が多いのでしょうか? その理由としては、「三方よし」経営を行っている企業が多いから、という説明が、もっとも説得的です。「三方よし」とは、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の3つを同時に成り立たせることを目標とする我が国独自の経営思想です。江戸時代に体系化された考え方ですが、その内容は古くから実践されてきました。

 なぜ、「三方よし」が企業に長寿をもたらすのか? 以下のように考えれば、理解できます。

(1)企業が倒産するのは、品質トラブルや経営者の不祥事が引き金になることが多いのですが、買い手よしや世間よしを目指していれば、不祥事やトラブルの予防に真剣に取り組みます。同時に企業が潰れたら、生活の糧を失う従業員も困りますから、売り手の一部である従業員のためにも、企業倒産は絶対に避けようという覚悟ができます。

(2)さらに潰れそうになっても、真剣に三方よしを追求している企業なら、「こういう立派な企業を潰すのは惜しい」と売り手(従業員、銀行、株主)、買い手、世間が助けてくれます。

(3)さらに買い手や世間の困り事を解決しようとする所から製品・事業革新が進みます。何百年の企業を存続させるためには、時代に合わせた企業の革新が不可欠です。

 こう考えると、三方よし自体に、企業の持続可能性を強める力が内在しているということが分かります。


■3.資本主義、社会主義とは異なる三方良しの事業観

 三方よしで、売り手(主に従業員)、買い手、世間のために事業をしようとすると、従来の資本主義、社会主義とは、利益、組織、雇用の考え方が大きく変わってきます。

(1)利益
【資本主義】企業の目的は金儲け。投資家が投資に見合った利益を得るのは当然。
【社会主義】企業の利益は、消費者に高く売り、労働者の賃金を低く抑えて得られる不当なもの。
【三方よし】利益は、買い手よし、世間よしの評価尺度。目的ではない。

 たとえば、100万円分の原材料、設備、労働を用いて、150万円で売れる車を作れば、その差、50万円は利益となりますが、それはその企業が創造した価値とも言えます。社会は企業が創造した価値によって、成り立っています。逆に100万円の原価を使って、80万円でしか売れない車を作る企業は、20万円の赤字ですが、それは社会が20万円の価値を失ったという事でもあります。

 三方よし企業の目的は、世間、買い手、売り手のために価値を創造することであり、それがどれだけ出来ているかを示す尺度が利益なのです。利益は目的ではありません。

(2)組織
【資本主義】規模の大きな事業を営むには、多数の労働者が必要。
【社会主義】組織は、個人の自由を抑圧し、歯車として扱っている。
【三方よし】従業員が自発的な協力で、より大きな買い手よし、売り手よしを実現する共同体。

 ネアンデルタール人は、我々現生人類よりも、巨大な脳と体格を持っていたのに、氷河期を生き延びられませんでした。それは家族以上の大きな共同体を作れなかったからです。人類は数百家族もの共同体を作ることができ、その中でお互いに助け合い、知恵と力を合わせて、氷河期を生き延びました。

 組織には独裁者が他のメンバーを奴隷のように扱う悪い組織もありますが、自発的に助け合う善い「共同体」もあります。三方よし企業は、従業員が知恵と力を合わせて、世のため人のために尽くそうとする善い共同体を目指します。

(3)雇用
【資本主義】労働者には賃金を払っているので、企業の命令に従うのは当然。
【社会主義】企業は労働者を低い給与でこき使って、搾取している。
【三方よし】雇用は従業員の買い手よし、世間よしを実現し、利他心を充足する機会。それが売り手よしともなる。

 人間には利他心があることは簡単に証明できます。電車の中で座っている時に、杖をついたお年寄りが前に立っていたら、どうでしょう。席を譲るに勇気が出せずに座ったままの人もいるでしょうが、その場合はいかにも居心地の悪い思いをします。思い切って席を譲って、お礼の一言でも言われれば、清々しい思いがします。

 利他心は満たされなければ居心地が悪く、満たされれば清々しい思いをするのは、それが人間の本能だからです。人類は利他心を得たことによって、家族以上の大きな共同体を作れるようになりました。三方よし企業は、従業員にその利他心を十二分に発揮させる機会を提供するのです。それが売り手よしでもあります。


■4.キリスト教が生んだ資本主義、社会主義

 しかし、不思議なのは、なぜ三方よしのような、資本主義とも社会主義ともまるで違ったユニークな事業観が、日本に現れたのか、という点です。

 これに関する一つのヒントと考えられるのは、神話の違いです。資本主義も社会主義も西洋で生じたもので、その源流にはキリスト教神話があります。一方の三方よしの源流には、日本神話があります。神話は、人々を幼児の頃から教育するので、その神話にはそれぞれの民族の思考形態を形成する力があります。事業観の違いも、それに起因するのではないか、と考えられます。

 まず、キリスト教神話では、ヤハウェという唯一絶対神がいて、すべてを作りました。アダムとイブもヤハウェに造られ、エデンの園で何不自由なく暮らしていましたが、ヤハウェが食べることを禁じた知恵の木の実を、蛇に騙されて、イブが食べ、イブがアダムに勧めます。それを知ったヤハウェは二人にこう言います。
__________
 あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これが農業の始まりで、労働はヤハウェの罰だったのです。「唯一絶対神のヤハウェと、その罰を受けた労働者」とは、資本主義企業における資本家と労働者を思わせます。またそのような労働者たちが資本家に対して革命を起こせば、その革命指導者が今度は新しい独裁者として、労働者を支配します。

 資本主義でも社会主義でも「独裁者と支配される大衆」という構造は同じで、それはキリスト教神話が生み出したものと思われます。


■5.「三方よし」の原型は日本神話にあり

 一方、日本神話には、八百万の神々が登場しますが、その中には独裁者はいません。神々の中心となるのは天照大神ですが、まったく独裁者らしき素振りは見せません。弟神のスサノオが高天原で乱暴狼藉を繰り返しますが、独裁者ならすぐに力の強い神々に命じて、スサノオを撃ち殺してしまうところです。しかし天照大神は自分の弟の乱行に責任を感じて、天岩戸に自ら謹慎してしまうのです。

 神々は、なんとか天照大神におでましいただこうと、皆で一計を案じます。皆でお祭り騒ぎをして、天照大神が「何事か」と岩戸を少し開けたところを、力の強い神が引きだそうというのです。作戦は成功して、高天原は明るさを取り戻しました。そして、神々はまた皆で相談して、スサノオを追放の刑に処するのです。

 



 天照大神はヤハウェとは違って、人間に対する慈愛の深い神様です。米、麦などの五穀を見つけられた際には、「これらの物は、地上で暮らしている人民が食べて生活すべきものである」と大変、喜び、自ら高天原で田を作って、稲を育てられました。ここで育てられた稲穂を、孫神が携えて、地上に降臨するのです。

 ここに登場するのは、共同体全体の安寧を祈る中心的神と、皆で知恵と力を合わせて、その祈りを実現しようとする神々です。この構造は、「三方よしを願う社長と、そのために皆で知恵と力を合わせる社員の共同体」という、三方よし企業の姿そのままです。実に三方よし経営とは、我が国の神話が生み出したものと言えましょう。


■6.社員を大御宝として育てるには

 大御宝の理想を、日本の各時代の為政者たちが、いかに現実政治に具現化しようと苦闘を続けてきた様子は、拙著『大御宝 日本史を貫く建国の理念』[伊勢]で具体的に述べました。その中で、大御宝の理想を説いた3つの詔(みことのり)があります。それを読むと、社員が大御宝として育てる方法が説かれていることが分かります。

・初代神武天皇 建国の詔
「恭(つつし)みて寶位(たかみくら)に臨みて、元元(おおみたから)を鎭むべし」

 人民を「大御宝」と呼ばれ、その安寧を実現することが、ご自分が皇位に就かれる目的である、と宣言されています。その後に、「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと、亦良からずや」と説かれて、「大御宝」とはバラバラの個人ではなく、一つ屋根のもとで家族のように共同体を暮らす姿を述べられています。

・聖徳太子 十七条憲法
「一に曰く、和をもって貴しとなし」の結びに、「上下の者が睦まじく論じ合えば、おのずから道理が通じ合い、どんなことでも成就するだろう」

 共同体の中で心を開いて語り合えば、互いの知恵が融合して、どんな難問も解決することができる、との強い確信を述べられています。大御宝たちは、こうして知恵と力を合わせて、難問に立ち向かっていくのです。三方よし企業の強みはここから出てきます。

・明治天皇 五箇条の御誓文と同時に発せられた御宸翰(国民へのお手紙)
「すべての国民がひとりでもその処を得られない時は、みな私の罪である」

 大御宝は、一人ひとり顔立ちも体格も違うように、個性的な才能や適性を持っています。そして一人ひとりの大御宝が自分自身の「処」を得て、そこで共同体全体を支えるという生き甲斐を見いだす。それが大御宝としての「仕合わせ(お互いの支え合い)」)であり、共同体全体としての繁栄をもたらします。

 国全体としては、有史以来、この大御宝の理想を実現すべく、各時代の為政者が苦闘を続けてきましたが、その理想を経営者として企業の中で実現しようとすれば、それが三方よし経営になるのです。


■7.欧米企業が後追いする三方よし経営

 欧米の経営学の世界では、資本主義や社会主義のあり方はすでに過去のものとして、新しい企業経営のあり方が説かれています。それは次のように、実は三方よしの焼き直しなのです。

・Customer Satisfation(顧客満足)買い手よし
・Employee Satisfaction(従業員満足)売り手よし
・Corporate Social Responsibilities(企業の社会的責任)世間よし

 また、アメリカの主要企業の経営者の団体、ビジネス・ラウンドテーブルは「株主第一主義」を見直し、従業員や地域社会などの利益を尊重した事業運営に取り組むと宣言しました[日経]。これは三方よしそのものです。背景には格差社会への批判や、人々の公益意識の高まりで公益重視でないと採用困難になるという事情があると言われています。

 1990年代から始まった日本経済の失われた30年は、戦後生まれの人々が企業経営を担い始めた時期から始まりました。終戦の1945年生まれの人が、1990年には45歳、部課長となって企業の最前線で活躍し始めます。その頃には、三方よしのような日本的経営は戦前の古めかしいものであり、欧米企業のグローバル資本主義経営こそ、日本企業は学ぶべき、という風潮が一世を風靡していました。

 しかし欧米諸国ではすでに社会的格差の拡大や、公益無視では採用困難などから、グローバル資本主義経営はすでに一週遅れの考え方となっています。それをさらに半周遅れで追っていくよりも、自分たちの先人が、グローバル資本主義経営より一周先行している姿を追うべきでしょう。

                                        (文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』、扶桑社、R06
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459409788X/japanontheg01-22/

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・日経新聞R010820「米経済界『株主第一主義』見直し 従業員配慮を宣言」


■伊勢雅臣より

 読者からのご意見をお待ちします。本号の内容に関係なくとも結構です。本誌への返信、ise.masaomi@gmail.com へのメール、あるいは以下のブログのコメント欄に記入ください。
http://blog.jog-net.jp/