「仕合(しあ)わせ」とは受け身的な「幸せ」とは違い、主体的な思いやりによって、互いに支え合う共同体の姿。
 

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■1.伊勢雅臣の新刊が出ます
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『大御宝 日本史を貫く建国の理念』(8/1発売。予約受付中)
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民を大切な宝物として考え、その安寧を祈る「大御宝」の思想。
神武天皇即位の詔に示され、歴代天皇の責務とされてきた理念が日本の歴史を支えていた!
「大御宝」の知恵と力で日本が直面する第3の国難を乗り越える!
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は8月1日発売で、現在、予約受付中です。

 今回は、その「序章 日本語に潜む「仕合(しあ)わせ」への道標(みちしるべ)」の一部をご紹介させていただきます。


■2.「いただきます」とは誰に何を感謝しているのか?

 筆者は欧米で合計11年暮らし、業務出張や国際会議、観光で訪れた国は40カ国近くになります。英語はもとより、簡単なスピーチが出来るくらいなら、イタリア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語などを囓(かじ)りました。その結果、今改めて感じることは、日本語には世界的にも極めてユニークな、独自の生命観が籠もっている、ということです。

 たとえば、食事の前に手を合わせて「いただきます」と言います。これは誰に何を感謝しているのでしょうか? 料理を作った人への感謝かと思うと、作ってくれたお母さんも一緒に食卓で「いただきます」と言っています。

 これは、これからいただく食材の命に対して「いただきます」と言っているのです。我々のいただく食物は、ご飯にしろ、野菜にしろ、魚にしろ、肉にしろ、それぞれ命をもった生き物でした。そのいのちをいただいて、我々のいのちを助けていただく、ということです。

 海外でいろいろな人々と食卓を共にしましたが、どうやら外国語には、こういう意味を込めた食前の言葉はないようなのです。フランス語やイタリア語では「良い食欲を!」という言葉をよく使います。「たくさん食べましょう」というほどの意味です。

 英語では「Let's eat!」で、「さあ、食べましょう」。中国語や韓国語は辞書を引くと、「開飯!(食事を始めましょう)」、「チャル モッケッスムニダ(よく食べさせていただきます)」です。それぞれ人間の側だけの発想で、食材の命への感謝を込めているのは日本語だけなのです。


■3.農耕は「GOD」の罰!?

 欧米でも昔は食卓で感謝の祈りを捧げる習慣がありました。私も若い頃、クリスマス・シーズンに敬虔なキリスト教徒のアメリカ人家庭に数日、泊めて戴きました。その家庭では、夫妻や子供たちが交代で、GODへの感謝の祈りの言葉を述べていました。しかし、これは食物を与えてくれたGODへの感謝で、食材の命への感謝とは、全く違います。
(日本語の「神」は英語の「GOD」とは全く違うので、あえて訳さずに「GOD」と表記します。)

 GODへの感謝か、食材のいのちへの感謝か、この違いはそもそもの文明の違いに起因しています。日本の縄文以外の古代文明は、農耕や牧畜を始めてから、ようやく定住できるようになりました。それは自然の恵みをいただく狩猟採集から、自らの労働で食物を得る農耕牧畜への変化でした。この変化は旧約聖書で、アダムとイブの楽園追放の神話として描かれています。

 まずGODは、人間を自然の支配者として作りました。
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 自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。GODは彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。[旧約聖書]
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 人間はGODから、「地を従わせよ」「すべての生き物とを治めよ」と支配者に任命されたのです。ここから食物をGODの恵みとして感謝するのです。

 GODに創造されたアダムとイブは、エデンの楽園で自由に木の実などをとって暮らしていましたが、ある時、イブが蛇に騙されて、GODが禁じていた「善悪を知る木」の実を食べてしまいます。
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(GODは)更に人(アダム)に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。[旧約聖書]
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 すなわち農耕は「GODの罰」なのです。フランス革命当時、農民は「GODの罰」を受けた階級として差別されていました。こういう階級差別への反発としてフランス革命が始まります。その後の共産革命も、階級差別への反発を受け継いでいます。


■4.日本では農耕は神事

 日本列島では縄文時代から、四季折々に様々な食物をいただいていました。

 春には、旬を迎えるシジミやハマグリ、イワシ、ニシン。夏はアジ、サバ、クロダイ、秋はサケ、ブリ等々。クリ、クルミ、シイ、トチなどの木の実も採れます。冬には、脂肪を蓄えたキジ、ヤマドリ、カモなどをいただきます。年を越すとワラビ、クズ、セリ、ゼンマイなどの若葉、若芽が採れます。

 縄文人たちは、こうして四季折々に様々な食物をいただいていたのです。そこから、自分たちは自然に生かされている、という生命観を持ったのも当然でしょう。

 狩猟採集で生きる事ができた縄文時代から、地球寒冷化により農耕が必要な弥生時代に入りますが、自然に生かされているという生命観は変わりませんでした。日本神話では、天照大神が五穀を見つけた際に「これらの物は、実際に地上で暮らしている人民が食べて生活すべきものである」と喜ばれ、自ら高天原で田を耕して稲を育てられたという物語が語られています。

 農耕は「GODの罰」どころか、我が国では神様も行っている神事なのです。ですから、現在でも天皇が皇居内で田植えをされて、この伝統を継承されています。世界でも農作業をする王室は他にはないでしょう。

 我々が食卓で手をあわせて「いただきます」というのは、すべての生きとし生けるものは「神の分け命」であり、それをいただいて我々は生かされているのだ、という生命観からなのです。


■5.「お陰様」

「お陰様」も我々の日常生活でよく使う言葉です。商店などが「おかげさまで40周年」などと広告を出して、感謝セールをするのは、どこでも見られます。

 ところが、これもなかなか外国語にはしにくい言葉です。たとえば、数年ぶりに会った先輩に「元気でやっている?」と聞かれて、「お陰様で元気に過ごしております」と答えたりします。

 これを英語にすると、「I am fine,thank you!」でしょうが、この場合の「thank you!」は「私のことを気に掛けてくれてありがとう」という、質問に対する感謝であって、「あなたのお陰で元気でやっています」という感謝ではありません。

 その点を明確にするために、「Thanks to you, I am fine」などと答えたら、「別に私はあなたの元気のために何もしてないけど」と不審に思われてしまいます。相手が医者で、自分の健康のために、いろいろ世話してくれている、というような具体的な貢献があるなら別ですが、何もしていないのに、日本語のようにごく漠然と「お陰様で」などという挨拶はありえません。

 日本語の「お陰様」とは、神仏など大いなるものの「陰」で庇護を受けている事への感謝が籠もっています。その根底には、我々一人ひとりが「神の分け命」であり、大いなる命の一部として生かされている、という生命観があります。

「自分」という言葉に「分」がついているのも、その生命観の表れでしょう。また、「人」ではなく「人間」、「世界」ではなく「世間」「世の中」と、常に「間」とか「中」をつけるのも、我々が孤立した存在ではなく、大いなる生命の一部として、他とのつながりの中で生かされている生命観が籠もっています。

「国」という言葉に、ことさら「家」をつけて、「国家」というのも、国とはバラバラの個人の集合ではなく、国民がお互いに助け合う家族のような共同体であるべき、という考え方があるからです。初代神武天皇は即位の宣言で、「天の下を覆いて一つ屋根のもとで暮らすことは、良いことではないか」と述べられています。ここには家族のような共同体を目指そうという国家観が窺われます。

 それに対して、旧約聖書では、GODが人間たちが自分の許しもなく、互いに協力して町と塔を作るのを許さなかった、というバベルの塔の物語が語られています。
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 民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。・・・さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう。
 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。[旧約聖書]
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 GODは、自分の許しもなく人間たちが自主的に協力し合う共同体を作るのを許さないのです。これではユダヤ教やキリスト教の国家以外、すなわち政教分離の近代国家はすべて悪ということになってしまいます。天照大神の子孫である神武天皇が国家を家族的共同体として善なるものとした思想とは、まるで違った世界観が窺われます。

■6.「仕合わせ」

「仕合わせ」も、我々が日常語としてよく使いながら、そこに潜む深い世界観には気づきません。

 漢字では「幸」と書きますが、この字はなんと「手枷(てかせ)」を意味します。なぜ、手枷が「仕合わせ」なのでしょうか? 古代中国では刑罰が非常に厳しく、死刑や手足の切断刑までいかずに、「手枷」という軽い罰で済んだという「幸運」を表すようです。

 英語の「HAPPY」は、動詞の「HAPPEN」(たまたま起こる)と同根で、これまた「幸運」を表しています。「幸」にしろ、「HAPPY」にしろ、「良い運」という受け身的なものと捉えています。

 ところが日本語では、「仕合わせ」の「し」は「する」の意味です。たとえば「仕事」とは「する事」、「仕分け」は「分ける作業」を意味します。「仕組み」「仕返し」「仕打ち」なども同様です。とすれば、「仕合わせ」とは、互いに「する」行為が「合わさって」もたらされる状態を意味します。

 たとえば、夫婦や親子が、互いのために思いやりを込めた行いをし合う状態を考えれば、それは我々の考える「仕合わせ」な状態そのものでしょう。それは「運」によって、たまたまもたらされる受け身的なものではなく、我々がそれぞれの意思で相手のために主体的になすことによって、もたらされます。それは我々が努力によって実現できる状態なのです。


■7.「仕合わせ」への道標(みちしるべ)

 以上のように、我々が日常生活で使う言葉には、縄文時代以来の我々のご先祖様たちが育んできた深い生命観が籠もっているのです。
食事の前には、「いただきます」と言って、「生きとし生けるもの」の命をいただいて生きていることに感謝します。

 さらに「お陰様」と言って、我々自身が「大いなるいのち」に生かされていることを有り難く感じます。こうした姿勢から、互いに支え合うことで、「仕合わせ」な家庭や国家が築かれるのです。ご先祖様たちが遺してくれた日本語に込められた生命観をよく知れば、我々は互いに力を合わせて、主体的に「仕合わせ」の共同体を作っていこうという志が生まれてきます。

 実は、この「仕合わせへの道標」は、初代・神武天皇の即位の詔のなかに埋め込まれていました。先に「天の下を覆いて一つ屋根のもとで暮らすことは、良いことではないか」という詔を紹介しましたが、この一文の前に「元元(おほみたから)を鎮(しず)むべし」という一節があります。

 



 民を「大切な宝物」として、安心して暮らせるようにしよう、という意味です。これが我が国の建国目的であり、また歴代天皇の責務とされてきたのです。

「元」という漢字は人体を表しており、「元元」とは単なる「人々」という意味ですが、平安時代に書かれた『日本書紀』の解説書に、これは「おほみたから」と読むのだと注釈されているのです。『日本書紀』では、民を表す言葉として、その他にも「人民」「衆庶」「百姓」「民萌」「民」など、いろいろな漢語が使われていますが、すべて「おほみたから」と訓じられています。

「大御宝」とは、アダムとイブがエデンの園で遊びながら木の実を採って暮らしているような状態、現代で言えば「基本的人権」を保障された生き方だけではありません。

 詳しくは本文で述べますが、「大御宝」とは、人々が:
・すべての生きとし生けるものの一部として生かされていることに感謝し、
・それぞれが自分の居場所を守って、互いに支え合う、充実した人生を歩み、
・その「仕合わせ」によって繁栄する共同体を築く
という状態を理想としています。

 この理想は縄文時代に胚胎し、我が国の建国とその後の発展を通じて深められ、そして、その実現に向けて、多くの先人たちが苦闘を続けてきました。

 本書は、その先人たちの苦闘の跡を辿っていきます。
                                        (文責 伊勢雅臣)

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『大御宝 日本史を貫く建国の理念』(8/1発売。予約受付中)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459409788X/japanontheg01-22/

民を大切な宝物として考え、その安寧を祈る「大御宝」の思想。
神武天皇即位の詔に示され、歴代天皇の責務とされてきた理念が日本の歴史を支えていた!
「大御宝」の知恵と力で日本が直面する第3の国難を乗り越える!
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■リンク■

・伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』、扶桑社、R05
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459409788X/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣より

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