銃の籠城(ろうじょう)犯制圧の難しさを突き付けた起点が昭和45年、広島の定期旅客船「ぷりんす号」シージャックだ。日本警察が初めて犯人を狙撃した事件である。

 

事件後、当時の社会党が国会で問題化させ、一部弁護士や学者らが「射殺は裁判によらぬ死刑」と警官らを殺人罪で告訴、特別公務員暴行陵虐罪で付審判請求した。警察を国家権力と捉える左翼闘争の面が強かった。狙撃した警官は退職した。

 

2年後のあさま山荘事件。警察は殉職者2人、負傷者26人を出しても犯人射殺は選択しなかった。人質2人と警官2人が殺害された大阪の旧三菱銀行北畠支店事件(昭和54年)では犯人を射殺したが、複数の警官に狙撃させ、誰の弾が命中したか、分からないようにした。

 

以後、狙撃での制圧はない。シージャック批判が有形無形に影響していると思われる。

 

平成15年。板橋の都営住宅自室で、男が散弾銃、ライフル銃を撃ちながら立てこもった。人質はいなかったが、警視庁は突入。刑事2人が至近距離から撃たれ、瀕死(ひんし)の重傷を負った。

 

同19年。愛知県で男が警官を撃ち、元妻を人質に自宅に籠城した。「近づけば人質を撃つ」と脅され、倒れた同僚を警察は救出できない。その屈辱的な様子がテレビに映された。さらに救出中、対テロ武装警官のSAT隊員が撃たれ、死亡した。

 

昨年1月。在宅介護で母親を亡くした男が医師、介護員らを埼玉県の自宅に呼び、散弾銃を撃った。撃たれた医師が取り残された。警察は状況を見誤り、突入まで11時間も費やしてしまった。結果、医師は死亡した。

 

社会のほうはどうか。従来の手法では対処困難な犯罪が跋扈(ばっこ)し、治安に綻(ほころ)びが見える今、リスクを理解し、受け入れる覚悟は、治安の受益者である国民の側にも必要なのだ。そうあることが、社会を犯罪から強靱にする。

 

【日曜に書く】論説委員・井口文彦 そのときは、いつか来る - 産経ニュース (sankei.com)