蟻田功さんは73カ国から集まった680人の仲間たちと力を合わせて、天然痘を地上から根絶することに成功した。
 

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■■■葛城奈海先生 講演会■■■

演題:「国と自然を守るということ -私の自然を通して-」
日時: 6月25日(日)午後2時開会~午後4時40分(予定)
場所: 千代田区立「日比谷図書文化館」大ホール
会費: 1,500円(学生500円)※支払いは当日受付にて
詳細・申込み: http://www.kokubunken.or.jp/kouza/
著書『『戦うことは「悪」ですか』(扶桑社)より

(自然環境に関わる溜め池管理の一環として木を伐る作業に参加した際)その直後、目の前で繰り広げられた光景は、私の人生の中でも忘れられないものになった。

 指南役のおじいちゃんが、伐る木の前に、米・塩・酒を供え、跪き、手を合わせて「命を頂きます。ありがとうございます」と感謝の祈りを捧げたのだ。おじいちゃんの背中から後光が差しているように思え、雷に打たれたような衝撃と共に何かが繋がった。これだ、と思った。・・

(国を守るとは)もっと本質的には、その国の人が先祖から連綿と受け継いできた文化や価値観、自然観、ひいては自然そのもの、ちょっとカッコつけた言い方をすればアイデンティティを受け継いでいくことなのではないかと。そう思考が繋がったとき、「大事だ、国を守ることって」という思いが、初めて心の底から湧き上がってきたのだった。
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■1.天然痘根絶というWHOの歴史的偉業

 人類最古の感染症の一つの天然痘の地球上からの根絶に貢献した元・WHO(世界保健機関)世界天然痘根絶対策本部長・蟻田功(ありた・いさお)さんが、この3月17日に永眠されました。

 WHOと言えば、現在のテドロス・アダノム事務局長が「有名」です。中国武漢で新型コロナが発生した際に、中国政府がその情報を隠蔽して世界的な大流行となったのに、その対応を称賛したりして、世界を唖然とさせました。国際機関が中国に支配されることで、どのような事態となるか、実証してくれた事例です。

 しかし、そのWHOは、蟻田氏が活躍した1970年代には、世界各国のチームワークを実現し、天然痘根絶という人類史に残る偉業を成し遂げたのです。

 天然痘は天然痘ウィルスが体内に入って起きます。激しい頭痛や腰痛、 筋肉痛、そして発熱が3、4日続くと、皮膚に赤い小さなできもの(発疹)ができます。発疹は、一週間ほどで急速にウミをもって膨れます。これが全身を覆うと、患者の20%は死亡します。1964年時点で、全世界の患者発生数3千万人、死者6百万人以上と推定されていました。

 天然痘は古代から人類を苦しめてきました。3千年前のエジプトでミイラになっていたラムセス5世も天然痘で亡くなったことが分かっており、以来、世界中に広まっていきました。我が国にも6世紀に中国、朝鮮半島から入り、猛威をふるいました。中米で人口数百万人と栄えたアステカ帝国も、スペイン人の持ち込んだ天然痘で滅亡しました。

 人類史上、もっとも猛威を振るった天然痘を、国際社会の協力で地上から根絶した、というのは、歴史に残る快挙です。今回は蟻田氏の足跡をたどりつつ、天然痘根絶に成功した国際協力とはどのような形でなされたのか、を見ていきましょう。




■2.西アフリカの「白人の墓場」

 蟻田さんは熊本医科大学(現・熊本大学医学部)を卒業し、感染症の疫学研究で医学博士号をとりました。その後、1950年から62年まで、厚生省で主に感染症対策や予防接種事業にたずさわりました。しかし「ひまでしようがなかった」と書いています。

 それもそうでしょう、日本では全国に保健所が設置されて、結核やポリオなどの予防接種もきめ細かく行われ、感染症対策は大きく進んでいました。

 そんな時に、WHOから「西アフリカのリベリアという国で、天然痘の根絶対策に従事する医師はいないか」という募集が廻ってきました。2、3年くらい厚生省を留守にしても何ということはないだろうと、応募したところ、1ヶ月ほどして、採用するから、すぐリベリアに出発するように、との連絡がありました。西アフリカは大変な地域なので、ほかに応募者がいなかったようです。

 この一帯は、今世紀はじめは「白人の墓場」と言われ、野口英世が黄熱病の研究中に感染した亡くなったガーナも、この辺りです。8月のリベリアは雨期の真っ最中で、滝のような雨と蚊の大軍と戦いながら、蟻田さんはリベリアとその周辺の国々を歩き回りました。


■3.わずか2票差で可決した天然痘根絶作戦

 1964年、蟻田さんはアフリカでの仕事を終え、スイスのジュネーブにあるWHO本部での勤務を始めました。仕事は天然痘根絶作戦の計画立案です。WHOは天然痘を根絶するという決議はしていましたが、それを実行するための費用は検討されていませんでした。

 翌年、アメリカのリンドン・ジョンソン大統領が「WHOの天然痘根絶対策を強力に支持する」という声明を出しましたが、WHOの中では「中立的な国際機関なのだから、特定の国の事業にばかり協力するのは考えものだ」という慎重意見もありました。

 蟻田さんは、数人のメンバーと智慧を合わせて、WHOが年に240万ドル、当時の全体予算の5%ほどを増やし、アメリカとも協力して天然痘根絶を目指す、という案をつくり、1966年5月の総会に提出しました。心配していたとおり、反対意見が出始めました。
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 天然痘の根絶は、重要な事業である。しかし、発展途上国のありさまを考えてみるがいい。医師、看護婦、保健所など、保健医療に必要なものが、すべて不足している。栄養不良、肺炎、下痢、寄生虫病が、死亡原因の大部分をしめている。なぜ、5パーセントも、天然痘だけに使うのか?
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 一方、東ヨーロッパの代表が、こう主張して、予算案を支持しました。
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 240万ドルは、天然痘の根絶が成功したときに、全世界が節約できる費用を考えるなら、大きなものではない。なぜなら、そうなれば、全世界はワクチン接種をやめることができるのだから。WHO案は、利益のある投資なのだ。
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 実際に、当時、途上国支援も含めたワクチン費用として、アメリカは毎年2千万ドル、イギリスが650万ドルも使っていました。年240万ドルとは、両国合計の1割にも満たない金額です。

 最後の投票では、わずか2票差で可決されました。賛成したのは、おもにアジア、アフリカ、南米諸国と、天然痘がまだ発生している国々です。大部分の先進国は天然痘は克服していて、反対か棄権。先進国の協力がなくては、この計画は絵に描いたモチになりかねません。蟻田さんの心は重く沈んでいました。こう語っています。
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 しかし、とにかく、こうして天然痘根絶作戦がほんとうに始まっ たのです。この医学の歴史に残る大事業は、多数の賛成を得て始まったのではありません。わずかな人から成るグループの、たえまない熱意とリーダーシップによって始まったのです。正しいと信じたら、たとえ一人でも進む。そこに進歩が生まれるのです。[蟻田、p57]
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■4.「WHOは、われわれのワクチンの品質を疑っている」

 天然痘根絶の武器はワクチンです。世界で天然痘を根絶するには、年間3億人分の天然痘ワクチンが必要とみられていました。しかし、蟻田さんが疑ったのは、世界中で供給されているワクチンの品質でした。効果の薄いワクチンをいくら広範囲に接種しても、予算と労力のムダになるだけです。

 たとえば、新型コロナでも中国製のワクチンは有効性のデータがほとんど公開されておらず、ブラジルでの臨床試験の結果では50.4%だったと報じられています[BBC]。WHOがワクチン承認の条件としている50%を上回るデータですが、これだけギリギリだと「また中国の得意技が発揮された」と疑う人も出てくるでしょう。

 蟻田さんたちは、28カ国、59の研究所で作られている天然痘ワクチンのサンプルを送ってもらうよう依頼しました。しかし、これが一部に、「WHOは、われわれのワクチンの品質を疑っている」と、いわれのない不安やいらだちを引き起こしました。蟻田さんたちは粘り強い説得で、この疑いを解いて協力してもらいました。

 こうして苦労して集めたワクチンの調査結果は悲惨でした。WHOのテストに合格したのは、わずか30%。これでは何億人にワクチン接種しても、根絶できるはずもありません。

 そこで、カナダ、ソ連、オランダ、チェコ、アメリカの研究所がワクチンの製造上の問題を話し合って、製造マニュアルを作りました。互いの製造技術をすべて明らかにしたのです。そして不合格のワクチンを出した研究所には、WHOから職員を送り、製造方法の改善指導に努めました。その結果、3年後には合格率は82%までになりました。

 一部の政府や研究所の不安不満は、こうした努力と「根絶計画はよいワクチンを必要とする」という主張のまえで、消え去っていきました。蟻田さんはこう指摘します。
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国際協力では、正しいと信じることは、きちんと言わなければなりません。まわりを見まわして、ひとがどう思うかを考えていると、仕事はできません。また、尊敬もされないのです。[蟻田、p71]
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■5.どこでも誰でもワクチン接種できる方法

 ワクチンの接種方法についても、重要な革新が行われました。従来は、粉末ワクチンを水に溶かして、皮膚に塗りつけ、ナイフで軽く皮膚を傷つけで擦り込むという方法がありました。これは手間もかかりますし、赤ん坊が泣き叫んでいる時にはきちんと接種するのが難しいのです。

 そこでアメリカで発明されたのが、二叉針(にさしん)でした。針の先がY字型に二股に分かれており、その二股部分にワクチンを漬けて皮膚に当てて15回上下させると接種できる、という簡単な方法です。ワクチンの量は、今までの四分の一で済み、誰でも10分の練習で接種できるようになります。針は煮沸消毒することで、何度でも使えます。

 この二叉針をドイツの会社で大量に生産し、各国の対策に使って貰いました。約10年間で、5千万針が使われました。これによって、どんな地域でも、多くの人々によって、ごく簡単に、かつ正確に接種できるようになったのです。


■6.インドでの封じ込め作戦

 また接種も、今までのようにやみくもに全地域、全住民に100%接種を目指すよりも、天然痘が発生している地域を見つけて、その周辺地域も含めて集中的に接種する、という「封じ込め作戦」が効果的だと分かってきました。それが最も成功したのは、インドでした。

 インドは1971年当時で人口5億5千万人。今までは、どこで天然痘が流行しようがおかまいなく、とにかく100%の国民にワクチン接種しようとしてきました。蟻田さんがインドのある県の衛生部長に封じ込め作戦の実施を説得しても、その上の州の長官が激しく反対し、中止されるという事もありました。

 そこで蟻田さんは、本部職員総掛かりで、インドの地図、人口、保健所の数、流行の様子などをもとに、インド全土での封じ込め作戦を立案しました。これによってインディラ・ガンジー首相も本気となり、インド各州の県の長官全員に「インドの名誉にかけて、封じ込め作戦を徹底的に実施し、天然痘を根絶せよ」という特別命令を出しました。

 インドでの封じ込め作戦は、1973年にインド最大の流行地となっていた4つの州から始められました。4州の全保健所が1週間、患者発見に集中しました。すると、それまでの報告では4州合計で3千人ほどの患者数だったのが、一気に11万人に跳ね上がったのです。10万人以上が報告から漏れていました。

 それまでは100%予防接種を前提としており、患者が発生すると、予防接種が不十分だからだ、と郡や村の予防接種員が罰を受けます。だから、患者がいても報告しない事が多かったのです。

 患者発生を正確に掴み、その周囲も含めて集中的にワクチン接種するという封じ込め作戦の成果を患者数で見ていくと、次のようになりました。

 1972年  2万7404人
 1973年  8万8114人(封じ込め作戦開始、患者数報告厳密化)
 1974年 18万8003人
 1975年    1436人
 1976年      0人

 こうしてインドで3000年以上も続いた天然痘は、数年で完全に根絶されたのです。


■7.天然痘の根絶成功

 各大陸毎に、こうした封じ込め作戦によって、天然痘を根絶していきました。そのためには天然痘患者を見つけるために、砂漠、密林、山岳地帯、スラム街と、どんな奥地でも草の根を分けて現地調査しなければなりません。他の風土病が多発している地域でマラリアや肝炎にかかったり、ゲリラに捕まったスタッフもいました。

 また天然痘が根絶したと判断するには、最後の患者が見つかってから、2年間患者が出ていないことを確認しなければなりません。WHOの専門家が2年間にわたって79カ国を現地調査しました。さらに住民には懸賞金を出して情報提供を求めます。

 1977年アフリカのソマリアでの根絶に成功し、全世界での天然痘退治が終わりました。79年には2年間の観察期間を終え、80年のWHO総会において、天然痘の根絶が宣言されました。しかし、その後も5年間は天然痘ウイルス監視が続けられ、85年にようやくそれも解除されました。


■8.ほんとうのチームワークのために

 この間、WHO世界天然痘根絶対策本部長・蟻田さんと一緒に闘った仲間は73カ国から集まった680人。この経験から蟻田さんは、いくつもの事を学んだと言われていますが、そのうちの二つは以下の点です。

 第一は、国々は協力し合えるものだ、ということです。国家間には戦争、憎しみ、差別、勢力争い、宗教の違いなど様々に協力をさまたげる問題がありますが、今回は「人類にとってもっとも危険な流行病の根絶」という明確な目的を掲げました。その理想によって、皆が結ばれたのです。

 第二は、その理想のためには妥協をしてはいけない、という事です。蟻田さんはこう述べます。
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 現在の日本の社会は、目的を見失って、よけいな心くばりをすることが、あまりに多すぎます。こうしたら友だちが怒るだろう、 ああしたら他人がうらやむだろう、だれも云ったことがないから変わり者と思われやしないか、こういうことが多すぎるのです。

 天然痘の根絶では、それまでとちがったやり方をしました。それが進歩なら、自分がそんをしても進歩のほうに向かう。目的を達成するためには、妥協しない。それが、成功とほんとうのチームワークに結びついたのです。[蟻田、p189]
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 国際社会だけでなく、国内でも現代日本人が最も気をつけねばならない点がここにあります。
                                        (文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・JOG(1176) コロナ対応:隠蔽の中国、迅速果断の台湾、極楽とんぼの日本
 コロナ禍は、中国、台湾、日本の政治体質の違いを浮き彫りにした。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202008article_1.html

・JOG(806) 野口英世、黄熱病との戦い
 黄熱病が流行する赤道直下の港町に野口英世は乗り込んでいった。
【YouTube版】https://youtu.be/cLfHCZ4r6JA
【ブログ版】 http://jog-memo.seesaa.net/article/201307article_2.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・BBC NEWS JAPAN「中国製ワクチンは「効果小さい」 中国当局者が発言、すぐ修正

・蟻田功『地球上から天然痘が消えた日―国際医療協力の勝利』★★★、あすなろ書房、H3
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4751516124/japanontheg01-22/


■前号『桓武天皇が遺した「後世への恩恵」』へのおたより

■当時の為政者の統治の考えのなかに、現代に変わらぬ大切な政治的英知がこめられている(窓風さn)

 前々回の聖武帝と行基に続き、今回は、桓武帝についても、一読感銘深い事実に引きつけられました。藤原緒嗣なる政府高官が提議したという、帝都建設と蝦夷平定計画という二大事業の中止には、民生安定と地方政治に対する彼の強い責務と深い思慮が現れていて、一般庶民を大御宝と呼んだのも言葉だけを繕うものではなく、真実それに見合う施策を採っていることまで知ることができました。

 またこれに関連する坂上田村麻呂の東北征討(No.1172)の歴史的事実についても、アテルイの処刑などあったものの、軍事的側面以外の農業指導とか待遇改善などに、まだ民主主義とか人権といった言葉もなかった時代に、むしろそういった人権や民主政治の本質に照らしても遜色ない平定事業であったと評価しうるものを内包していたことを知りました。

 スコットランドの独立に奔走したウィリアム・ウォレスの処刑に比べて、投降した蝦夷の税の軽減など民生重視の施策に配慮していたことを知ると、当時の為政者の統治の考えのなかに、現代に変わらぬ大切な政治的英知がこめられていることに、驚きの念と歴史の事実を知る喜びを覚えました。

■伊勢雅臣より

 庶民を「大御宝」と呼び、その安寧を図ったことこそ、我が国の政治的叡知でした。


■奈良から京都への遷都については「日本の知恵」を見た(NAOKIさん)

桓武天皇の成し遂げた二大事業の偉大さは1000年後にこそ、正しく評価されるところにあるのだと分かりました。

奈良から京都への遷都については「日本の知恵」を見た想いがしました。

日本の知恵とは、「前にあったもの」は壊さず、「新しいもの」をつくって、それに替えるという変革方法です。

革命的、急進的な変化は一見すると急激な進歩と思えますが、人間の感情や思考はそんなに簡単に変化できるものではないのかもしれません。

緩やかに、いつの間にか、変わっている…という自然の営みのような変化が「日本の知恵」と思われた由縁です。

拙速の方が有難い変革はありますが、日本古来の方法も大事にしつつ、日本らしさについてこれからも考えていきたいと思います。


■伊勢雅臣より

たしかに、奈良から京都への遷都は、
> 「前にあったもの」は壊さず、「新しいもの」をつくって、それに替える
 ですね。

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