「もはや『戦後』ではない」という有名なフレーズだ。昭和31年の経済白書の「結語」に出てくる言葉である。

この一文にどんな印象を持つだろうか。戦後の苦難から蘇(よみがえ)った日本が、いよいよ高度成長期に向かうことを高らかに宣言した。おそらく、そんな捉え方が多いのではなかろうか。

実はそうではない。高度成長期への号砲という見方は白書の意図と異なる解釈で、本来は成長が望めなくなることへの警句だった。

白書は次のように指摘した。谷底から出発した戦後経済の復興期は消費や企業の投資意欲が極めて旺盛だった。だが、こうした「経済の浮揚力」は「ほぼ使い尽くされた」。「回復を通じての成長は終わった」ので、抵抗があっても経済社会の遅れた部分を近代化しなければならない。その意味での「もはや―」だ。

 

昭和30年代は戦後復興期のような経済成長が望めないという見方は、その後もみられた。池田勇人政権時の35年12月に決定した国民所得倍増計画を巡る論争がそうである。池田が構想を唱えると、名だたる経済学者らが高度成長の実現性を疑問視して激しく嚙(か)みついたことで知られる。

 

実際には所得倍増計画の10年間で目標を上回る成長を遂げた。これが歴史の事実だ。「もはや―」が本来の意味と異なる形で定着していったのも、歴史に照らせば、その方がしっくりくるからにほかならない。

 

【一筆多論】過去の社説をみて思う 長谷川秀行 - 産経ニュース (sankei.com)