小路田(こじた)泰直・奈良女子大副学長は「それまで戦ってきた(朝鮮半島の)新羅(しらぎ)よりも、隋という巨大な力があることを知った。まず国家を内側からまとめる力を持たないと太刀打ちできないと思っただろう」と語る。そのうえで、太子の鋭い人間洞察力をもうかがわせる第十五条に注目した。

 

<凡(およ)そ人、私有れば必ず恨(うらみ)有り>(人に私心があれば必ず恨みを生む)

「太子は人心には鬼がすみ、恨みがあればやがて秩序を破壊すると考えた。それに対処するため(仏教による)正しい生き方を示す仏法興隆と、話し合いで解決しようとする『和』という2つの原理を(憲法に)盛り込んだ」と小路田氏。

太子は法で秩序を示し国を統治しようとしたのだ。

 

十七条憲法から遣隋使まで「太子が行った政策はすべて結びつく。仏への帰依を説くことで国内を和し、仏教外交もできた」とし、政治家・外交官・思想家として多才な能力を発揮する太子を高く評価した。