旧陸軍の特攻基地があった知覧の富屋旅館・・・
 知覧からは400人を超す若者が片道の燃料と爆弾を積み、米艦を目指して沖縄の海へ飛んでいった。仲間と語らったり、歌をうたったり、遺書をしたためたりして、出撃前のひと時を過ごした場所が富屋旅館に残っていた。

 

(当時の女将トメさんの孫の嫁となった初代さん)
 初代さんには宝物があった。孫の嫁としてトメさんにかわいがられ、いろいろな話をしてもらったのだ。初代さんは旅館を訪れる人々に、トメさんから受け継いだ思いを伝えている。
 「特攻隊員を『犠牲』という言葉だけで理解すると過去の話で終わってしまう。彼らは次の泄代を心配して、自らの身命を賭した。『今』は先人たちがつくったものであり、『未来』は私たちがつくるものだ。特攻隊員たちがひと時を過ごしたこの場所で何かを感じ、明日を生きる力に変えていってほしいー」

 

 日本のいたるところで声なき声が受け継がれ、今を生きている。そう、信じてやまない。

「受け継がれていく声なきこえ」『産経新聞』R030815