1日、中国共産党結党百周年を記念する式典で、共産党総書記・国家主席の習近平氏は1時間以上の大演説を行った。その内容を丹念に読んでいくと、「中共の百年」を語るこの演説に「共産主義」という言葉が一度も出ていないことにまず気づく。共産党指導者が「共産主義」を避けて通るのは奇妙な話だが、その代わりに習主席が演説の中で頻繁に使ったのは「中華民族」と「民族の復興」という2つのキーワードだ。

 

習主席はさらに、「2つの百年」というキャッチフレーズを持ち出し、「民族の復興」の抱負を語っている。

 

習主席は演説の中で、今後百年の「民族の完全復興」の具体像を提示していない。中華民族が何を成し遂げたら「復興」となるのか、を明確に語っていないのだ。

その理由はおそらく、習主席が目指す今後百年の「民族の復興」の中身と目標が、決して公の場で語ることのできるものではない、ということにあるのだろう。

 

「復興」とは本来、元にあった良い状態を取り戻すという意味だ。

だが、習主席と中国のエリートからすれば、中華民族にとっての「元にあった良い状態」とは、かつての中華帝国が覇権主義の中華秩序の頂点に立ち、周辺の民族や国々を支配下においた時代のことである。

そして、近代になってから崩れてしまった中華秩序を再建し、中華帝国の往時の覇権と栄光を取り戻すこと、それこそが、彼らが目指す「民族の復興」である。