彼ら(共産党)によつて作られたムードが、なぜスムーズに全国の国民大衆の中に拡がつていつたのか、である。私はそれについて、彼らが作り出した「言語魔術」ともいふべき、言葉、スローガンが、軽薄に人たの関心を集めていつたこ

彼らが口を開き、文章を書くときには、必ずといつてよいほどに使ひまくるいくつかの言葉がある。例へば、「独立」「民主」「平和」などもその一つであり、「再軍備反対」「民族的抑圧」「民族解放」「民主運動」なども、その一連の中のものである。

マルキシズムの用語としての「独立」といふ言葉の意味は、労働者階級が、資本家階級やそれと同調する政治権力者を打倒して天下をわが掌中に収めることを以て、「独立」といふことになつてゐるのである。別の言ひ方をすれば、"現体制(自由主義体制)が存続していく限りは、真の「独立」は存在しない″といふ意味での「独立」の語なのである。この二つの「独立」の語の意味内容は全く違ふわけだが、文字だけを見聞きする時点では同感じやすい所が狙はれて、すぐさま"納得″してしまふことになる。

『日本共産党綱領』をよく読んでみると、そこで使はれてゐるこれらの語は、"労働者・農民階級″に属する人たちの間だけに「民主的」なるものがあり得るのである。 一つの言葉が、かうまで「言語魔術」に魅せられて、違つた意味合ひが峻別されないままに使はれ出してゐるから、国民思想の混乱が随所に生じてくるのも、処置なしの有様となつてきた。

マルクス流では、現体制(資本主義社会)が転覆した後でなければ、「平和到来」とは言へないことにされてゐるのである。だからこそ、シュプレヒコールで「平和、平和、平和」と叫びながら、闘争的な″憎悪の念″をかりたてても、彼らは少しも矛盾を感じないし、階級闘争心が旺盛な者はど、「平和」に徹した人間たりうる。


「日本共産党」とそれに同調する「進歩的文化人・学者ならびに現下日本のマスコミ」は、実は国民大衆を欺くために、巧妙きはまりない「言語魔術」を駆使してゐる―― その実情について
「反『共産党』宣言」(2) p82-88
『学問・人生・祖国ー小田村寅二郎選集』国民文化研究会
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B07MLJVZH4/japanonthegl0-22/