Mr.ノースのブログへようこそ。今日は本当に久しぶりになってしまいましたが、中国についての話を再開します。2ヶ月ぶりですね。と言ってもこのシリーズ、残す所あと僅かです。前回は、子どもを見れば、その国の未来が見えるという話をしました。今日は、その続きです。

これまで中国の街の様子の変化について書きましたが、実はもっと大きく変化したことがあるんです。それは高校生たちです。

昨年の10月、私は北京のある高校に生徒たちを連れて行きました。中国修学旅行恒例の学校交流のためです。私も過去に幾度か北京の高校を訪問しましたが、今回驚いたのは、私が持っていた以前の中国の高校生のイメージとは全く違っていたことでした。

私が勤めている学校は昔からグローバル教育を積極的に行なっているので、どこの国に連れて行っても積極的に英語でコミュニケーションを行います。それに比べて中国の高校生は少しシャイな感じがしていたんです。しかし、昨年は、私たちが到着した途端、英語でどんどん話しかけてきて、冗談を飛ばしまくっていたんです。うちの子達もそれにガンガン答えますから、制服を見なければ誰が中国人で誰が日本人かわからない感じでした。

その帰りのバスの中、いつもは冗談ばかり言っている陽気なガイドさんがしみじみと話し始めたんです。

「私は長年、中国の高校生と日本の高校生が交流する様子を見てきました。初めの頃は、華やかで明るい日本の学生さんたちと比べて、自分達の服は地味だし、英語も話せないということを気にして中国の学生は尻込みしてばかりしていました。でも年々それが変わっていくのを見て嬉しく思っていました。そして、今日、中国の高校生達が皆さんと英語で堂々と楽しく話している姿を見て、私は本当に感動しました。」

さらに、そのガイドさんは、中国の過去、現在、未来について、生徒達に話してくださったのです。

つづく

Mr.ノースのブログです。昨日は始業式。今週は職員室の机の移動、新学年での会議などなど、大忙し!一昨日まで毎日遅くまで準備して、何とか新学期を迎えることができました。また慌ただしい1年が始まります。

先週、先々週とこのブログをお休みしてしまいました。いつも通勤電車の中で打っているのですが、その時間も取れないほどのハードスケジュールでした。3月末には研究会での発表や部活指導、昨年度の書類整理に教科研修があり、結局、春休みは2日だけ。それも家に仕事を持ち帰ってやらざるを得なかったため、本当に休めたのは0日。ただ土日は家族で近所の桜を見に行ったり、外食したりできたので良かったです。これで土日も仕事だけだったら、さすがにキツかったと思います。気持ち的に。

こんなに忙しいのは私に限ったことではありません。春休み、学校の先生は基本的に忙しいです。学年が変わるだけならまだしも、学校が変わる先生もいます。地方の公立高校だと、県によっては3学期末春になって移動するように言われて、春休み中に家族で引っ越しなんてこともあります。

そんな中でも研修会に大勢が参加するのですから、英語科の先生にはエネルギッシュな人が多いですね。今、日本の英語教育はものすごい勢いで変わっていってます。私もグローバル教育の実践校として教科連携によるアクティブラーニングについての発表をさせていただきました。このブログでも再々お話してきましたが、英語ディベートを日本の高校に広め、日本の若者達に論理的かつ人間的(ユーモアや心に訴えかける表現ということです)に英語で発信できる力をつけさせることが私のライフワークなんです。なので昨年度は色々なところで発表をさせていただきました。今回も「グローバル社会に対応できる若者を皆んなで育てましょう!そして日本を、さらに世界を変えていきましょう!ニュージャパニーズが地球を救う!」と先生方に熱く訴えました。

発表後の情報交換会では、毎回やる気のある先生方に質問責めにされます。ただし、今一番多い質問は、「どうしたら保守的な先生を巻き込んで学校全体の取り組みにできるか。」なんです。つまり今まで通りの教育法、文法と翻訳にこだわって変化を受け入れない先生が日本には、まだまだたくさんいるということですね。研修会に出て、「これはすごい!うちでもやってみたい!」そう思って学校で提案してみたら、大反対にあったという話を本当にしょっ中聞きます。

「このままでは日本は危ない!何とかしたい!」と必死になっている先生と、変化を恐れ、何かと理屈をつけてどうにか現状のままでいたいという先生が混雑しているのが今の英語教育界です。研修会で見る顔はいつも同じです。特に春休み中の研修会には、後者の先生は絶対に来ません。これからの英語教師にもとめらている力について本当に研修が必要なのは彼らなのに、って常々思います。

今週、東工大の入学式で学長が英語でスピーチをしたことがニュースになりました。「何を言っているのかわからなかった。」と批判した新入生がいたそうです。それを聞いてビックリしました。日本人が話すゆっくりの英語がわからないなんて、どうやって世界に向けて自分たちの研究を発表するつもりなのかと。どうやって海外の研究者と共同研究をするつもりなのかと。そもそも東工大は文科省からスーパー・グローバル・ユニバーシティーに認定されている大学ですよ。世界に認められる大学になろうと頑張っている大学ですよ。そういう大学を選んでおいて「わからないから英語でスピーチをしないでほしい。」はないでしょう。

…と、書きましたが、そんなことを言っている学生がたくさんいるということは、東工大がグローバル大学だってことが受験者にあまり伝わってないなかったということかもしれませんね。そうだとすれば、それは東工大も悪いと思います。なぜならその大学が「うちはこういうポリシーを持った大学なので、こういう学生に来てほしい!」というものをちゃんと持っているなら、普通は大学入試でそれを表すものなのです。なので東工大が本気でグローバル大学になることを目指しているのであれば、お祝いの言葉レベル英語がわからない学生では合格できない入試にすべきだったと思います。

…と、書きましたが、そんな入試にしたら、東工大が求めている理系に強い学生が入学できななくなってしまうのが現状でしょう。英語力があっても理系の力がない者ばかりが入学して来たら、東工大はダメになってしまいます。

そうなると誰が悪いのか。やっぱり高校の英語教師の責任だと思います。日本中の英語教師が、文科省が「やって下さい。」と学習指導要領で言っている教育をちゃんとやっていれば、東工大の学長のスピーチがわからないなんていう学生はいなかったと思います。すでに教員改革がしっかりと行われた高校出身の学生達は普通に聞いていたと思いますよ。実際、私が務めている学校の卒業生達がそうで、逆に英語によるスピーチに対し文句を言っている学生が自分の大学にいたことにショックを受けていました。

日本中の高校が、文科省が言っていることを無視しないで、他の国のように真の英語力を身につけるための授業を1日でも早く始めてくれればと心から思います。

Mr.ノースのブログへようこそ。今週もまた世界各国のトップ高校を集めて行われたパーラメンタリーディベート世界大会についての記事の続きです。

私たちは5年前から毎年、パーラメンタリーディベートの大会を3月に開くようになりました。年ごとに参加校の数が増えてきました。それでも日本中を見れば、パーラに目覚めた学校はごくごく少数でした。

大学ではディベートと言えば、パーラメンタリーが主流です。私の卒業生たちも世界大会まで行って活躍していました。頑張って練習すれば、日本の若者たちもそこまで行けるんです。

けれど高校の先生は依然として即興型ディベートを始めることを恐れていました。そのような状況が、昨年の6月から急に変わり始めました。理由は簡単です。全国のSGH校を集めた会で、文科省のSGH担当の方々が、私の学校の取り組み方こそがSGHの理想であると色々な学校さんに直接言ってくれたのです。さらに、それをやらない学校はSGHから外すとさえ言い切ったのです。これで多くの学校が慌ててディベートをやり始めたというわけです。

2学期になって、再びSGHの会が開かれ、各校の取り組みを聞いて驚きました。ディベートを始めていない学校の方が少なくなっていたのです。さらに驚いたニュースも入ってきました。その年末に即興型ディベートの国内大会が開かれ、そこで上位入賞した学校は、1月の世界大会に出場できるというのです。そう、それが今回、私が顧問をしている英語ディベート部の3人が優勝した大会です。

文科省が私の学校を評価してくれた理由は、ディベートの授業についてだけではありません。英語に限らずSGH関連の授業全般、それにJ7、模擬国連、ワールドスカラーズカップ、その他もろもろの活動、これまで授業見学に来た人たちの感想などなど、生徒たちが頑張ってきたこと全てに対して、理想的だと判断してくれたのです。そして、そのおかげで、ディベートの世界大会が開かれることになり、その結果、日本チームの、それも私の生徒たちの優勝に至ったというわけです。私の生徒達がネイティブに勝利することは、ディベート部創立からの、否、ディベート授業開始時からの、否、きっと「米の関税」で完敗した時からの願いでした(「無理と思えば無理 ⑥をご覧下さい)。

生徒たちの頑張りのおかげで、26年越しの夢が叶いました。ありがとう。私は、この勝利を証拠として活かし、残りの教員人生をかけて「努力すれば。日本人もネイティブに負けないくらい説得力があり、人の心を動かす話を英語でできるようになる」ということを日本中の先生に伝えていこうと思います。

Mr.ノースのブログへようこそ。今週もまた世界各国のトップ高校を集めて行われたパーラメンタリーディベート世界大会についての記事の続きです。パーラメンタリーディベートというのは、論題発表後20分(この大会では15分)後に試合を始める即興型のディベートのことです。

今回、この大会で優勝し、世界一の座を獲得したのは私が顧問をさせてもらっている英語ディベート部のメンバーでした。私がこのクラブを作ったのは、今から8、9年前のことです。この時はまだ即興型ディベートを本格的にやっている高校は他にありませんでした。なので大学生や社会人の大会に出させてもらっていました。

この部活を始めてすぐに分かったことは、バリバリの帰国生でもちゃんと練習しないと、しっかりと練習した一般の生徒には勝てないということです。2代目部長は帰国生ではありませんでしたが、どんどん強くなって大会で優勝もしました。

彼が卒業した後も、英語ディベート部は大学大会に出場し活躍しました。けれど、相変わらず高校生の全国大会は資料集め型ディベートのままでした。うちだけでなく、パーラをやる学校が他に出て来ない限り、この状況は変わらないと思い、色々な学校にパーラを勧め始めました。けれど、ほとんどの先生たちの答えは共通して「先生の学校だからできるんですよ。うちでは無理ですよ。」でした。そこで、即興型ディベートに少しでも興味のある学校の先生と生徒を渋渋に招き、練習会を開きました。即興型は資料収集型よりも楽しいので、これからもやりたいと言ってくれる先生方が出てきたんです。そのやる気のある先生方が集まって、日本高校生パーラメンタリーディベート連盟(HPDU of Japan)を立ち上げ、練習会を定期的に行いました。

そして5年前、日本で初めて高校生のためのパーラメンタリーディベートの国内大会を開催したんです。初めは私の学校に全く勝てなかった他の学校もいざ練習を始めると、みるみると力をつけていきました。その証拠に、この大会で私の学校が優勝できたのは、昨年の第4回大会が初めてなんです。このことから強い学校がたくさん育ったということがわかりますよね。

つづく
Mr.ノースのブログへようこそ。世界各国のトップ高校を集めて行われたパーラメンタリーディベート世界大会についての記事の続きです。

「相手が誰であれビビらずに、自分の意見を英語でちゃんと言える人を育てたい」こんな思いを心に抱きながら私は教壇に立っていました。そんな私が英語学習雑誌を読んでいると、ある日、「日本のビジネスマンが使える英語力をつけたいのならディベートが良い」という文が目に飛び込んで来たんです。

「ディベート?何か難しそう。でも気になる。」そう思って、
15年前、英語教育の第一人者と言われている大学教授に聞いたんです。「ディベートを高校の授業に取り入れることをどう思いますか。」その答えは「地下鉄に新幹線を走らせるようなもの。無理だからやめた方が良い。」でした。

「無理」それは昔から私を奮い立たせるキーワードでした。中学から山岳部に所属していた私は山があると思わず登りたくなってしまうのですが、それは日常の中の困難についても同じでした。その年、私はディベートを授業でやり始めました。それも高校生ではなく、中2の授業でした。やってみると、ちゃんとできるではありませんか。「無理だと思うから無理なんだ。」と思いました。

次に「無理」と言われたのは8年前の卒業生が高1の時でした。その前の年、第1回高校生英語ディベート大会が開かれました。ただし、それは日本語ディベートの完全な英語版で、即興型ではなく、何か月も前にテーマが発表され、資料を集めて行うものでした。自分の学年が高校生になったので、やる気のある人たちを集め参加しましたが、論題も日本語大会と全く同じで、そこに参加した学校には資料の量で敵わず決勝トーナメントには行けませんでした。優勝校は世界大会へ行けると言うのが、その大会の売りでした。しかし、日本チームは一勝もできませんでした。理由は明白でした。何と世界大会はパーラメンタリーディベート(20分間の準備の後に行う即興型)だったのです。『軟式テニスの優勝校が硬式テニスの世界大会に出るより大変』と思いました。そこで、顧問会議で「国内大会もパーラメンタリーに変えませんか。」と発言したんです。すると答えは、「高校生が即興でディベートするなんで無理でしょう。世界大会は勝たなくても行くだけで思い出になるでしょう。」でした。

その年、英語ディベート部を作り、日本の高校で唯一パーラメンタリーディベートに取り組み始めたんです。もちろん世界大会で勝てるディベーターを育てることを目標にしました。二代目の部長は海外で生活した経験が全くない一般の生徒でしたが、練習を重ね、経験を積んでいるうちにみるみる力をつけ、高校在学中に大学生大会で優勝しました。そして大学1年でいきなり国内大会を制し、世界大会で日本人としての新記録を打ち立てました。世界に通じる即興型ディベーターを育てるなんて無理と考えていたから無理だったのです。もし彼が高校生の時に世界大会に出られたら、間違いなく試合に勝てたでしょう。それでますます、資料収集型ディベート大会の優勝者ではなく、即興型ディベート大会の優勝者が即興型ディベートの世界大会に出場できるようにしたいと思うようになったのです。

つづく