Mr.ノースのブログへようこそ。世界各国のトップ高校を集めて行われたパーラメンタリーディベート世界大会についての記事の続きです。

「相手が誰であれビビらずに、自分の意見を英語でちゃんと言える人を育てたい」こんな思いを心に抱きながら私は教壇に立っていました。そんな私が英語学習雑誌を読んでいると、ある日、「日本のビジネスマンが使える英語力をつけたいのならディベートが良い」という文が目に飛び込んで来たんです。

「ディベート?何か難しそう。でも気になる。」そう思って、
15年前、英語教育の第一人者と言われている大学教授に聞いたんです。「ディベートを高校の授業に取り入れることをどう思いますか。」その答えは「地下鉄に新幹線を走らせるようなもの。無理だからやめた方が良い。」でした。

「無理」それは昔から私を奮い立たせるキーワードでした。中学から山岳部に所属していた私は山があると思わず登りたくなってしまうのですが、それは日常の中の困難についても同じでした。その年、私はディベートを授業でやり始めました。それも高校生ではなく、中2の授業でした。やってみると、ちゃんとできるではありませんか。「無理だと思うから無理なんだ。」と思いました。

次に「無理」と言われたのは8年前の卒業生が高1の時でした。その前の年、第1回高校生英語ディベート大会が開かれました。ただし、それは日本語ディベートの完全な英語版で、即興型ではなく、何か月も前にテーマが発表され、資料を集めて行うものでした。自分の学年が高校生になったので、やる気のある人たちを集め参加しましたが、論題も日本語大会と全く同じで、そこに参加した学校には資料の量で敵わず決勝トーナメントには行けませんでした。優勝校は世界大会へ行けると言うのが、その大会の売りでした。しかし、日本チームは一勝もできませんでした。理由は明白でした。何と世界大会はパーラメンタリーディベート(20分間の準備の後に行う即興型)だったのです。『軟式テニスの優勝校が硬式テニスの世界大会に出るより大変』と思いました。そこで、顧問会議で「国内大会もパーラメンタリーに変えませんか。」と発言したんです。すると答えは、「高校生が即興でディベートするなんで無理でしょう。世界大会は勝たなくても行くだけで思い出になるでしょう。」でした。

その年、英語ディベート部を作り、日本の高校で唯一パーラメンタリーディベートに取り組み始めたんです。もちろん世界大会で勝てるディベーターを育てることを目標にしました。二代目の部長は海外で生活した経験が全くない一般の生徒でしたが、練習を重ね、経験を積んでいるうちにみるみる力をつけ、高校在学中に大学生大会で優勝しました。そして大学1年でいきなり国内大会を制し、世界大会で日本人としての新記録を打ち立てました。世界に通じる即興型ディベーターを育てるなんて無理と考えていたから無理だったのです。もし彼が高校生の時に世界大会に出られたら、間違いなく試合に勝てたでしょう。それでますます、資料収集型ディベート大会の優勝者ではなく、即興型ディベート大会の優勝者が即興型ディベートの世界大会に出場できるようにしたいと思うようになったのです。

つづく