Mr.ノースのブログを覗いてくださり、ありがとうございます。

今回も、8月、ベルリンで開催された高校生の国際会議J7フォローアップセミナーにファシリテーターとして参加して感じた「これからの国際会議で必要とされる日本人が持っている4つの隠れた強み」について書きたいと思います。

隠れた強み その1は、冷静に出された意見を分析して、会議の暴走を止めることができるということでした。つまりストッパーとしての存在意義について書きました。

その2は、仲裁役としての存在意義です。この高校生国際会議でよく見られたのは、話し合いが進むにつれて欧米の子達がヒートアップしていく姿です。特にお互いの考えについての否定合戦になると、興奮して頭に血が上ります。それがエスカレートすると喧嘩腰になってきます。その時に「まあ、まあ。」と間に入ったのが日本チームの子達だったのです。それにより両者共に落ち着いて再び建設的な話し合いが始まりました。

仲裁に入って話し合いの場を落ち着かせるのは、日本では小学生でもやりますが、実はかなり高等なテクニックなのだと思います。欧米だと、仲介に入った人も、「黙ってろ!」と怒鳴りつけられた途端に「黙ってろとは何だ⁉︎」とカーッとなり、否定合戦に加わってしまうという場面も珍しくありません。

しかし、多くの日本人は「黙ってろ!」に対して、重ねて「まあ、まあ。聞いてよ。」と冷静を保ちます。熱くなった人達も、クールな人の存在に気がつくと我を取り戻し始めます。そして大抵の場合、自分の考えの正当性を、その仲介した人に理解してもらおうと順序立てて話し始めます。仲裁に入った人は、ヒートダウンしてきた所で、2つの意見を並べて分析し、それぞれに良い所があれば中庸の意見を提案したり、明らかに片方の意見の方が状況に適している場合は「○○さんの意見も一理あるけど、今回の件ではあちらでやった方がメリットが多いのではないでしょうか。」と客観的な意見を述べます。これにより会議がゴールに向けて再び動き出す、こういう仲裁は日本人の得意とするところだと思います。

異なる価値観が混在しているグローバル社会では、これまで以上に意見のぶつかり合いが増え、それに伴ってけなし合い等冷静さを失う人達も増えるかもしれません。なので、仲裁が得意な日本人の存在が一段と輝くというわけです。

つづく
Mr.ノースのブログへようこそ。今週も、今年の8月にベルリンで開催された高校生の国際会議J7フォローアップセミナーに参加して感じた「日本人が国際社会へ発信する意義」について書きます。

前回紹介した「日本人が持っている4つの隠れた強み、その1」は、他者の発言をよく聞いて、思いつきではなく、じっくりと考えた上での意見を述べることができるということでした。

米国や英国の子達は、とにかく思いついたことをどんどん発言するトレーニングを受けているので、新しい発想が次々と出て話し合いが活性化します。それはとても良いことですが、会議が暴走してしまうこともしばしばあります。

昨年のジュニアサミットでも今年のフォローアップセミナーでも、その暴走を止めたのは日本チームでした。日本の子達は、自分の意見を述べながらも、冷静に全ての意見を聞いて、それがその話し合いのゴールに向かっているものなのか、それとも脱線しているものなのかを頭の中でしっかりと分析することができるんですね。

時代はインターナショナル社会からグローバル社会へと移りました。international人材とglobal人材は、求められる力が違うんです。

internationalは、inter(~の間)とnation(国家)からできた言葉です。20世紀後半、国と国との経済競争が激しかった時代に、そこで他国に打ち勝つことができる人達が求められていました。交渉の場では、相手を言い負かすことが重要視されるので、欧米諸国では子供の時からその力を育てるのに躍起になりました。その影響で、日本でも、自己主張できる人材を育てる必要性が叫ばれるようになりました。「ノーと言える日本人」といった本がベストセラーになったのもこの頃です。

globalはglobe(地球)の形容詞です。世界を、国を超えた一つの繋りとして見ています。インターネット革命後、人、金、物が国境を超えて行き来するようになりました。なので、グローバル人材を最初に求めたのはビジネス界でした。

ビジネス界のグローバル化によって、それまでは発展途上国と呼ばれていた国も勢いを持ち、どんどん開発を進めるようになりました。そこで森林伐採や大気汚染が、オゾン層破壊や地球温暖化という言葉と共に、重要な問題として国際会議で取り扱われるようになりました。

地球温暖化を初めとしてグローバル問題は、一つの国では解決できません。先進国も発展途上国も関係なく、皆んなで、知恵を出し合って、力を合わせて取り組まなければなりません。そうなると、これまでもてはやされたインターナショナル人材、自分の主張を押し通し、相手を黙らせる人達は、下手をすると話し合いの邪魔になります。

これからのグローバル社会では、新しい発想をどんどん発表しつつも、自分の意見に固執せず、問題解決のためには何が一番有用かを冷静に考えながら、議論を進めることができるニュージャバニーズこそが会議の中で重要な存在になっていくに違いありません。

つづく







日本人にとっては当たり前のことですが、他国の高校生、特に欧米の子達は、これがなかなかできません。なぜなら彼らは小さい時から自分の意見をどんどん述べることに力点が置かれた教育を受けているからです。英、米、オーストラリア、どこの学校を見学しても、授業中、子供達はたくさん手を挙げます。それも先生が質問した瞬間、パッと手が挙がるんです。パッと閃いた答えなので、その内容は薄いことが多いです。しかし、正解でなくても先生は何かしらのコメントを言った後に必ず褒めます。そのやり取りを受けて、また多くの生徒が手を挙げます。ここでも正解が出ないことは普通で、また先生はコメントをして褒めます。それを繰り返していくうちに最後に正解が出ます。つまり、クラス中で正解を導き出す感じなんです。こうなると一人ひとりの発言に意義が出てきます。正解につながっているものは、一歩でも前進させたと評価されます。たとえ正解と無関係な発言でも消去法として正解を導き出すヒントになるので、クラスの役に立ちます。なので、どんどん発言する子は高い評価を受けます。たまに素晴らしい発言をする生徒よりも数打ち当たる的に発言する子の方が優秀な生徒ということです。英国では、発言が少ない生徒は「シャイ」にカテゴライズされ、心配されて、保護者が学校に呼び出されたりします。

日本では発言の数にかかわらず、的を得た答えを言った子が評価されます。良い発言をしたらクラスメイトが「おぉ、すごい!」と感心するというのは、欧米も一緒ですが、間違った答えを言った時の先生の対応はどうでしょうか。おそらく、ほとんどの先生は欧米の先生ほどは褒めないのではないでしょうか。的外れの答えを連発して発言したりする子は、先生にもクラスメイトにも疎まれたりします。

このような環境で育つ日本の子達は間違うことをカッコ悪いと思い、発言をあまりしないようになります。じっくりと考えて、「よし、これが答えだ!」と自信を持って思える答えが浮かばないと自分からは手を挙げないのが普通です。欧米がクラス全員の知恵を出し合って先生の質問に対する答えを導き出すのに対して、日本の場合はクイズの解答者のようにクラスメイトはライバル的な存在になっているようです。

この教育の違いにより、これまで日本人は国際会議や海外の大学で強く発言ができず、低い評価を受けて来ました。結果的にもい日本人の意見は国際社会でなかなか反映されませんでした。

21世紀となりグローバル化が進み、技術はあるのにプレゼン力が弱い日本は国際競争で黒星を取ることが多くなってきました。ビジネス界は、グローバル社会で活躍できる人材を育ててほしいと教育界に強く求めるようになりました。そのためスピーチやディスカッションなどを授業で行う学校が出てきたわけです。話し合いの際にはまずブレインストーミングを行う学校もあり、恥ずかしがらずに思いついたことをパッと言える子達を育てようという学校も珍しくなくなってきました。

教育が変われば子供達は変わります。今の高校生の中には豊かな発信力を持っている子達が増えつつあります。それで欧米の高校生のようにあまり考えないで発言するようになったのかと言うと、そうはなりませんでした。何と、欧米の子達のように何か新しい発想が浮かんだらそれを紹介しつつも、周りの意見をしっかり聞いて、多くの人達が賛同するような考えはないかとじっくりと考えることができるようになったのです。つまり欧米の良さと昔ながらの日本人の良さを兼ね揃えた新しいタイプの日本人ですね。この新日本人、ニュージャパニーズが国際会議に加わると、何とも良い活躍をするんです。

つづく
今週もMr.ノースのブログを覗いてくださり、ありがとうございます。8月にベルリンで開催された高校生の国際会議J7フォローアップミーティングの感想です。

今回のミーティングを通して、改めて「日本人が国際社会へ発信する意義」を感じることができました。私にとっての一番の収穫はこれかもしれません。見てくれる人達の気持ちを考えて細かいところにまで気を使った作品づくりとか入念な準備あってのパフォーマンスは、他国からの参加者にとって良い刺激になっていました。例えば、プレゼンを指定の時間で行ったのは日本チームと私の生徒が構成を考えたチームだけでした。米国などの生徒たちは時間を無視して長く話すので聞き手が途中から飽きたりイライラしたりしていました。結局、自分しか見えていないんですよね。その点、聞いてくれている人たちの表情をよく見ている日本チームとは大きな違いでした。人の気持ちを思いやったり、勤勉であること、この日本人の特徴は、江戸時代に浦賀に来航したペリーも賞賛していました。この2つに加えて、協力して大きなことを成し遂げることができること、細かい所まで大事にする職人気質、弥生時代から続くこれら4つを日本人の長所として、こらからも次世代に伝えていきたいですよね。

日本の高校生が国際会議で活躍する姿を見ていると、このすでに世界的に認められている4つの長所の他に、さらに4つの強みがあることに気がつきます。

1つ目は、他者の発言をよく聞いて、思いつきではなく、じっくりと考えた上での意見を述べることができるということです。

日本人にとっては当たり前のことですが、他国の高校生、特に欧米の子達は、これがなかなかできません。なぜなら彼らは小さい時から自分の意見をどんどん述べることに力点が置かれた教育を受けているからです。英、米、オーストラリア、どこの学校を見学しても、授業中、子供達はたくさん手を挙げます。それも先生が質問した瞬間、パッと手が挙がるんです。パッと閃いた答えなので、その内容は薄いことが多いです。しかし、正解でなくても先生は何かしらのコメントを言った後に必ず褒めます。そのやり取りを受けて、また多くの生徒が手を挙げます。ここでも正解が出ないことは普通で、また先生はコメントをして褒めます。それを繰り返していくうちに最後に正解が出ます。つまり、クラス中で正解を導き出す感じなんです。こうなると一人ひとりの発言に意義が出てきます。正解につながっているものは、一歩でも前進させたと評価されます。たとえ正解と無関係な発言でも消去法として正解を導き出すヒントになるので、クラスの役に立ちます。なので、どんどん発言する子は高い評価を受けます。たまに素晴らしい発言をする生徒よりも数打ち当たる的に発言する子の方が優秀な生徒ということです。英国では、発言が少ない生徒は「シャイ」にカテゴライズされ、心配されて、保護者が学校に呼び出されたりします。

日本では発言の数にかかわらず、的を得た答えを言った子が評価されます。良い発言をしたらクラスメイトが「おぉ、すごい!」と感心するというのは、欧米も一緒ですが、間違った答えを言った時の先生の対応はどうでしょうか。おそらく、ほとんどの先生は欧米の先生ほどは褒めないのではないでしょうか。的外れの答えを連発して発言したりする子は、先生にもクラスメイトにも疎まれたりします。

このような環境で育つ日本の子達は間違うことをカッコ悪いと思い、発言をあまりしないようになります。じっくりと考えて、「よし、これが答えだ!」と自信を持って思える答えが浮かばないと自分からは手を挙げないのが普通です。欧米がクラス全員の知恵を出し合って先生の質問に対する答えを導き出すのに対して、日本の場合はクイズの解答者のようにクラスメイトはライバル的な存在になっているようです。

この教育の違いにより、これまで日本人は国際会議や海外の大学で強く発言ができず、低い評価を受けて来ました。結果的にもい日本人の意見は国際社会でなかなか反映されませんでした。

21世紀となりグローバル化が進み、技術はあるのにプレゼン力が弱い日本は国際競争で黒星を取ることが多くなってきました。ビジネス界は、グローバル社会で活躍できる人材を育ててほしいと教育界に強く求めるようになりました。そのためスピーチやディスカッションなどを授業で行う学校が出てきたわけです。話し合いの際にはまずブレインストーミングを行う学校もあり、恥ずかしがらずに思いついたことをパッと言える子達を育てようという学校も珍しくなくなってきました。

教育が変われば子供達は変わります。今の高校生の中には豊かな発信力を持っている子達が増えつつあります。それで欧米の高校生のようにあまり考えないで発言するようになったのかと言うと、そうはなりませんでした。何と、欧米の子達のように何か新しい発想が浮かんだらそれを紹介しつつも、周りの意見をしっかり聞いて、多くの人達が賛同するような考えはないかとじっくりと考えることができるようになったのです。つまり欧米の良さと昔ながらの日本人の良さを兼ね揃えた新しいタイプの日本人ですね。この新日本人、ニュージャパニーズが国際会議に加わると、何とも良い活躍をするんです。

つづく

Mr.ノースのブログへようこそ。8月にベルリンで開催された高校生の国際会議J7フォローアップミーティングに参加した日本チームの活躍をレポートしています。

会議の3日目、私の生徒達は他国の高校生とチームを組んで、ドイツの官房長官に対して新政策を提案するプレゼンテーションを行ないました。今週は、その話の続きです。

先週は、「若者のネットワーク作り」チームは、日本の大学受験事情を他国の子達に理解してもらうのに苦労したというエピソードを紹介しましたが、「女性の社会進出」チームに入ったもう一人の私の生徒もまた別の苦労をしました。

こちらのチームでも、話し合いの段階でアメリカの生徒の強い発言があり、討論になりました。でも、この生徒は前にこのブログでも紹介したディベートの国際大会での優勝者であり、一方的な押しに負けず、それぞれの意見を綺麗にまとめました。話し合いに意見がぶつかるのは当たり前のことだし、それがあってこそより新しい意見が出て来るので、それは問題ではありません。トラブルは発表当日に起こりました。

こちらは「ネットワーク」チームと違い少人数だったため日本の学校でよくやるように班員全員が分担して発表することになっていました。しかし、当日の午後になって、メンバーの一人が「体調が優れないから、発表は他の皆んなに任せて自分はやらない。」と突然言い出したのです。聞けば、前の晩、パーティーがあってメチャクチャ疲れたとか。「予選では自分が全部スピーチをしたから。」というのが、この子の言い分でした。それはそれでわからないこともないのですが、だったら前日のミーティングの時に言って欲しかったですよね。その時に誰が何をいつ話すか、分担も順番も全て決めて、各人、すでにスピーチ練習をしてきたのですから。でも、「昨日は元気だった。」と言われてしまえば、それまでで、変更を余儀なくされました。「パーティーで疲れたから、やらない。」などという理由で皆んなに迷惑をかけるだなんて、日本では決してありえないけど、個人第一の欧米の人達と何かやる時には、こういうこともあるんです。

とにかく発表の時間が迫っていました。すぐにでも役割を変えなければなりません。そんなピンチの状態の中、全てを仕切ったのが、私の生徒でした。発表の分担を再構築し、どんどん割り当てていきました。この生徒がこんなことをサッサとやれたのは、一つには即興型ディベートのチャンピオンなので、短時間で役割分担することに慣れていたからです。あと、もう一つは、中学生の時から、学校でしょっ中、班ごとのプレゼンをやって来たからです。もともと日本人は協力して何かをするのが得意ですから、そのような経験を積んだ生徒なら短時間でも班をまとめることも可能ということなのです。

結果、プレゼンは大成功!官房長官からも高い評価をいただきました。ポイントは、堂々としてわかりやすかったこと、とても若者らしい発想だったこと、それに時間通りピッタリの発表だったこと(アメリカの子達は、相変わらず長々と喋っていました)です。

この日のプレゼンの様子を見て、私は、これからのグローバル社会の中で日本人の存在がいかに重要であるかを再認識したのです。

つづく





構成や役割分担を行ったのですが、。

ここでもアメリカチームはガンガンに自分を出して来ます。

するプレゼンテーションの方でした。私の生徒のうち2人はJ7サミットメンバーのネットワーク作りを政策としてあげたチームに、残る1人は女性の社会進出を教育で促進する政策を提案したチームに入っていました。ネットワーク作りチームは人数も多く、昨年からすでに活動を始めていたので選ばれると思っていたら、案の定、1位でプレゼン権を獲得しました。問題は女性の社会進出チームです。人数も少なく、予選のプレゼンを行った子のスピーチのインパクトが弱かったからです。結果は、3位でギリギリ、プレゼン権を獲得しました。政策内容が評価されたようです。

このようにして、その日の夕方、いよいよ本番の時を迎えました。官房長官に対する公式なプレゼンなので、日本チームはフォーマルな服に着替え、一足早く会場入りし、一生懸命にイメージリハーサルを行っていました。

時間となり、官房長官が登場。挨拶の中で、2日目に行った今年のJ7についての発表について、日本チームは謝辞をいただいていました。そして、いよいよプレゼンテーションの時間となりました。トップバッターは、ボスターセッション投票1位の日本チームからでした。

3人のパフォーマンスは最高でした。国別の発表は他にフランスとアメリカも行いましたが、内容の濃さ、構成、話し方、タイムマネージメント、全て日本チームの発表の方が優れていました。それは私のひいき目からの感想ではありません。聞いている人達の反応が全く違いました。歓声、笑い、うなづき、そして目の輝き、最後の拍手、

なぜ日本チームのプレゼンテーションは皆んなの心を引きつけることができたのか。それは、この一年の活動が優れていたということもありますが、加えて、発表前の準備や練習時間の差だと思います。日本チームは、聞く人の気持ちになり何をどのように話すかを考え抜き、与えられた時間に収まるように調整し、原稿を見ないでスムーズに言えるように何度も何度も練習したからです。

英語での発表ですから、本来はアメリカチームが有利なわけです。実際、彼らのスピーチは、上手でした。アイコンタクト、抑揚、ユーモアの入れ方、感動的な言い回し等、子どもの時から学校で鍛えられてきたのがよくわかりました。特にJ7の代表に選ばれた子達ですから、皆、大統領のように話します。しかし、アメリカチームの発表は残念なものでした。スピーチの間中、聞いている人達のほぼ全員が『早く終わらないかなぁ。』と思っていたと思います。理由は、内容が提案というよりも自分達はこんなにすごいんだという自慢に聞こえるようであったことと、何よりも規定の時間の3倍喋ったことです。

アメリカは、どの国の子達よりも自己肯定感があり、自己主張ができ、スピーチの上手な子を育ててきました。けれど一つ間違えるとそれらは弱点となる、国際会議等色々な国の人達が集まり話し合いを行う場所に行くとそう思うことがよくあります。アメリカの子達が相手の気持ちを考えず、ひたすら自分の言いたいことを主張する場面を何度も見ました。また、英語もスピーチも誰にも負けない自信があったアメリカチームは過信して練習をあまりしなかったことも聞いていてわかりました。その場で思いついたことを次々と喋りダラダラと長くなるスピーチって最悪ですよね。そうならないためには原稿が大切なんです。今回は「官房長官は時間がないから、スピーチは絶対に3分で終わらせるように。」と主催者側から強く言われていたのに、アメリカチームは自分の気持ちに酔ったスピーチをしてしまったので、なおさら何とも言えない雰囲気になってしまったんです。会場の空気も全く読んでいないそんなスピーチに対しても司会者は「印象的なスピーチでしたね。」と言ったので、アメリカチームの子達は、やっぱり自分達が一番だと思ったと思います。

どうですか。聴き手の気持ちを一番に考えてつつ、自分達のやってきた素晴らしい活動を謙虚に紹介し、「もし参考になることがあったら是非やってみて下さい。」と推薦し、最後に「皆んなで協力して頑張りましょう!」と呼びかける日本チームと間逆ですよね。各国の高校生やドイツ政府関係者は、話し手ファーストのアメリカではなく、聴き手ファーストの日本チームに心を動かされたのです。

このように日本チームの発表は大成功に終わりました。次は日本の子達が他国の子達と組んでの政策発表です。そこで彼らはどう動いたか、それは次週です。

つづく

Mr.ノースのブログへようこそ。今週も、この夏休みにベルリンで開催された高校生の国際会議、J7フォローアップミーティングに参加した日本チームの活躍をレポートします。

ドイツの官房長官を迎えてのプレゼンテーション第二幕は新政策の提案でした。

選ばれた3つのチームのどの提案もしっかりとした素晴らしいものでした。しかし、そこまでまとまるのには実は色々と大変でした。生活様式や文化が違う様々な国から集まって来たのですから当然ですよね。

アジアからの参加は日本チームだけだったために、うちの子達は特に大変だったようです。「若者のネットワーク作り」チームに入った子は、ペーパーテストの点数だけで合否が決まる日本の入試システムについて散々叩かれていました。海外だと高校在学中の社会貢献活動は大学合格に大きく影響します。それをしないから日本の若者達は意識が低いのだというのが欧米の子達の理屈でした。しかし、それは人を助けたいという気持ちからではなくて、大学に行きたいからボランティアをやるととらえることもできます。震災の時、日本の若者達は何の見返りも求めずにボランティアに参加していました。自分の国価値観やシステムを絶対正しいと思うのではなく、どんなことにも良い面と悪い面があります。これからの地球社会でリーダーになろうと思うのなら、必ず心に留めておかなければならない点ですね。

また、「本来は、そのような活動のリーダーになるべき最上級生、高三生が勉強で忙しいと自分のことしかしないのもおかしい。」という批判もありました。それに対して、うちの子は日本、そして韓国や中国などアジアの国々の大学入試がどれだけ厳しいものなのか、必死に説明していました。西洋、東洋の垣根を越えて、若者のネットワークを地球レベルで作ろうと本気で思うのなら、欧米だけの常識や考え方だけではなく、アジアの国々の事情も理解しなければなりません。

そのなやり取りを見ながら、この会議に日本の子達が参加した意義は、とても大きいと強く感じました。

そして、「女性の社会進出」チームに入ったもう一人の私の生徒もまた日本人ならではの活躍をしたのです。

つづく