WF紀行2
幸いスタッドレスに換装していたため、急速に高さを増してゆく雪の中を行軍。
10m先も視えない状況のなか、ついに視界に横浜町田インターを捉える。
ようやく湾岸線から千葉入りかと思われた矢先、湾岸線はすべて通行止め。
通行止め表示の黒いラインが我々の行く手を遮るのでした。
我々を心配した浅井さんからも何度となく電話で通行手段の提案をいただきましたが、アクアラインも含め、すべからくダメです。いや、アクアラインまでは通行可能ですが、千葉側がすべて通行止めなのです。
高速を降り、途方にくれながらスマホで情報収集に勤しむ我々。
「天は我々を見放したか」と諦めかけたのですが…
なんと、首都高(都心ルート)は生きています!
急きょUターン、首都高に乗り、とにかく少しでも東へ。
渡辺のドラテクが唸ります。積雪が踏み固められ、いまや天空のアイススケート場と変わり果てた首都高を50㌔で疾走(速度制限50㌔)。
この日、本当に怖かったのは運転ミスより、巻き込まれることでした。
慎重に車間距離をあけ、ゆっくり急いで幕張に向かう我々の眼下に映るのは、ひとけのない首都。
眼上には灰色のオブジェと化した超高層ビル群。
こんな首都を視ることはこの先ないかも知れません。
巨大な墓標のようなベイブリッジを越したとき、ようやく「千葉に着ける」と確信しました。

メッセに到着、その後、吹雪の中で浅井さんたちと合流。
互いの無事を喜び合いましたが、そう、ここもまた氷河期。
ホテルに、そしていつもの飲み会場にたどり着く数十メートルが、あまりにも、遠い…。
今回は趣向を変え、ホテル前の店で夕食とあいなったのでした。
つづく
10m先も視えない状況のなか、ついに視界に横浜町田インターを捉える。
ようやく湾岸線から千葉入りかと思われた矢先、湾岸線はすべて通行止め。
通行止め表示の黒いラインが我々の行く手を遮るのでした。
我々を心配した浅井さんからも何度となく電話で通行手段の提案をいただきましたが、アクアラインも含め、すべからくダメです。いや、アクアラインまでは通行可能ですが、千葉側がすべて通行止めなのです。
高速を降り、途方にくれながらスマホで情報収集に勤しむ我々。
「天は我々を見放したか」と諦めかけたのですが…
なんと、首都高(都心ルート)は生きています!
急きょUターン、首都高に乗り、とにかく少しでも東へ。
渡辺のドラテクが唸ります。積雪が踏み固められ、いまや天空のアイススケート場と変わり果てた首都高を50㌔で疾走(速度制限50㌔)。
この日、本当に怖かったのは運転ミスより、巻き込まれることでした。
慎重に車間距離をあけ、ゆっくり急いで幕張に向かう我々の眼下に映るのは、ひとけのない首都。
眼上には灰色のオブジェと化した超高層ビル群。
こんな首都を視ることはこの先ないかも知れません。
巨大な墓標のようなベイブリッジを越したとき、ようやく「千葉に着ける」と確信しました。

メッセに到着、その後、吹雪の中で浅井さんたちと合流。
互いの無事を喜び合いましたが、そう、ここもまた氷河期。
ホテルに、そしていつもの飲み会場にたどり着く数十メートルが、あまりにも、遠い…。
今回は趣向を変え、ホテル前の店で夕食とあいなったのでした。
つづく