連休中に一つ歳をとった。
自分の誕生日ではあるが、冷凍餃子でない手作り餃子が食べたくなり、餃子の皮3袋分75個近くを作って家族3人で食べたが
やはり手作り餃子は美味かった。


旦那も息子も大喜びだったのでよかったと思う。
平和な誕生日だ。


昔を思い出すと
私はゴミの日生まれだから、週に2回あるねん、など
小学生の頃から言っていたのをよく覚えている。
本当に誰からもかわいがられることのない子ども時代だったと思う
欲しいもの一つ、誕生日にねだったことも、
もらったこともない。


「泣く」というひとつの行為に対しても、
superflyの有名な歌にあるような、
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私は泣くのが得意で
最初から慰めを当てにしてたわ
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上記歌詞などは一ミリも共感しがたい。
やっぱり大事に育てられた娘さんは発する言葉がちがうなあ、とつくづくこの歌が流行ったとき思ったものだ。


私ごときのゴミが泣いたとて、慰めは期待できないため、
幼稚園、小学校時代、幼い時代に泣いた記憶がない。
泣いていいのは「人間」だけだ。



いつも父からお前はゴミだと言われていたし、
母親は父に負けず劣らずのクズ母で私を空洞のゴミ箱として怒鳴り支配し、
なんでも投げつけていい相手とし、
人間ではない、自分の意思を持たないモノのように扱っていた。



なので最近スピッツの曲で聴いた
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泣くのはわがままなことと信じていた
モノクロの裏道を走り抜けてきた
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こっちはまだわかる。


スピッツのアルバムは1stが一番好きで、
それこそ30年ほど前から聴いていた訳だが、
最新曲でも共感ができるんだから当時の私はえらいものだ。やはり哲学?根っこの部分が好きなんだろうと思う。


そうして、虐げられた人間にもやさしい音楽や文学にどうにかこうにか慰められながら
この歳まで生きてきたわけである。


人に生かされた、とはいえ決して親じゃない。
友達も引っ越しで根こそぎ親に奪われていたので「友」でもない。


ただ、見えない世界にも
人の「思いやり」「良心」相手を楽しませたい、という思いがあるからこそ、
カラスのパン屋さんのあの見開きのめいっぱいのパンを見たとき、
こっそり好きなアニメを見て感動したとき、
親の目前ではできなかったゲーム、スーパーマリオを誰かの家で夢中でやらせてもらったとき、
そういう瞬間を思い出すと、
誰かの作った何か、で生かされてきたのだろうと思う。


…ただ、いつでもこの世界から消えていいと思ってはいた。


目の前の電信柱まで、
その次の電信柱の曲がったところまで。
そうしてとりあえず、目の前の電信柱を曲がり続けるとこの年齢になっていたのだから不思議ではある。


仕事もはやく次を決めないと・・
いよいよメンタル的にもやばい。
(諸々の事情から前のブログは下書きに戻しました。ごめんなさい)

今朝は特に。もう本当に。


(ここから先は本当に申し訳ないほどグロ注意です。ご注意ください)


人と密着するのも
かといって人を押しのけてスペースを確保するのも苦手で
朝は満員電車を避けるように
車両と車両の間の接続部分の空いているスペースに乗るときがある。


いつも近い時間帯に乗ることが多く「キモいなあ」と思って
近づかないようにしていた鼻くそ食べ男がいて、
そいつを避けるように、布地の接続部分を越え
隣の車両の空いているところにいたのがマズかった?のか、それさえ分からない。


その男は背後に誰もいないのと、
視界に私しかいないのをいいことにシュッシュと●おっぱじめたのだ。
・・・どう考えても頭がおかしい。
朝の通勤電車のしかもGW明けのメンタルダダ落ちのこの朝に、
死ぬほど汚いものを見たくないので見ないようにしたが、
逃げだせるスペースがそもそもない。先もその先にも行けない。
どこも満員だ。

でもそいつは汚い手を止める気がないらしく
動きがおかしすぎる上に、最後どうする気かと思ったが
ティッシュを取り出し、自分の手と床を拭き始めた。


・・糞でしかない。
私は怒鳴って止めればよかったのか?何もできなかった。


「糞め、氏●ばいいのに」と本気で思ったし
かなり気持ち悪くなり、吐き気がしたものの
駅員を呼ぶにも現行犯でないと無理だろうし、
朝のラッシュ時にもまれながら駅員にそんな説明をする気力もなく
吐き気で胸やけしたまま電車を降りた。
あんなキモいスーツのやつでも毎朝どこかで仕事をするために満員電車に乗っているのだと思うと世の中どうかしているとさえ思う。


きっとこんな目に遭うのは運が悪いんだろう。
でも、きっと虐待されていない妹はこういう目にも
痴漢にも一度も遭ったことがないのだ。
いいよなあ・・。


私は昔から障碍者に膝の上に突然座られたり、
頭ごなしに怒鳴られたり
露出狂に出くわしたりがある。
みんなそんな目に一度も遭ったことさえないという。
一度もない、なんて羨ましすぎる。


親から「ゴミ扱い」されていると、
どうもこういう現象に出くわす機会が多い気がするのは私だけだろうか・・
大切にされて育った人間は、きっとこんな目に遭わないのではないかと考えてしまう。


私は歳だけとり、
ゴミから人間にまだなれていないらしい。


もう二度とこの車両には乗るまい。
…って、私が悪いのか?
分からない。