
日本の伝統的酒造りが
ユネスコの無形文化遺産に選ばれた。
その影響か、
西宮とつながる通勤で使う電車も酒造り仕様にパッケージデザインされている。
なかなか旨そう、(失礼)いや洒落たデザインではある。
幼い頃、
高松で2度、そこから広島、
広島では3度の引っ越し経て
小4くらいまでは広島に住み、
そこから西宮に越してきた。
当初、広島弁特有のイントネーションをよく笑われ、
肩身が狭かったのを憶えている。
私は冷蔵庫や洗濯機と変わらない扱いで
引っ越すことも、どこに引っ越すのかもいつも知らされず
もちろんなんの言葉がけもケアもされず、
ある日突然街から街へとガタガタ移動していた。
幼少期のアイデンティティというのは
親だけではなく、
見慣れた風景や見慣れた友達、
自分のことを「こんなやつ」「あんなやつ」と
知ってくれている、または馴染みのある風景というのはとても大事ではないかと今になって思う。
親でなくていいのだ。
子どもに安心を与えてくれるのは
見慣れた曲り角、見慣れた店の見慣れたおっちゃん、おばちゃん、
毎年生えるツクシやタンポポ、そんなのでいいのに。十分なのに。
私はいつも、どこにもいない
存在を許されない透明人間さながらだった。
ただの暴力といった虐待よりタチが悪いのは
せっかくどこかにコソコソ種を植えても、
根こそぎ引っこ抜いては「どこまで育ったんだ!?」「まだか!?」
自分たちの不安や未熟さを隠したまま子どもの植えたものを奪っては喜ぶ人たちだった。
子どもの身ぐるみはがして、
自分のみじめさを忘れようとする。
普通の家なら
「学校どうだった?」などの会話、
子どもへの心配、配慮もあるだろう。
うちは、人間ではなく
テレビやラジオなどの所有物のため、
親の好きにしてよく、会話も許されなかった。
おかげで私は小学生からよく夜中、丑三つ時に目が覚めては(体はSOSを出している。えらい)
はよ寝ろ、と怒鳴られたり、無視されたり散々だった。
おかげで家にも学校にも居場所がなく、
本のなかにしか救いがない、という不健康な時代が続き、
今の社会不適合な生きづらさにつながっている。
なので、ふるさとも幼馴染もいない
糞みたいな幼少期ではあるが、
やはり懐かしいのは、「酒の発酵する匂い」。
いつも、酒蔵通りと呼ばれる
灘五郷を毎日登下校してたわけで、
たまにどこからか、甘い匂いがしてきて、
なんだろうなあ、と思ったものだ。
広島の給食より
西宮のそれははるかにおいしいのも救いだった。
家では石やら虫やらが混入したまずい飯しかない。
安心して食べられる唯一のおいしいごはん、
それが給食だった。
おかげで酒蔵通りの特有の匂いと
給食室の匂いは、安心をくれる記憶になっている。
今は好きなだけ
おいしい酒と飯が食えるだけ
幼い頃よりもはるかに幸せにはちがいない。
母親とは縁を切って何年にもなるし、
父親が死んでも葬式すら行っていない。
それは、親とは気があわないとか
価値観が合わないなどとは違う次元だと感じる。
誰に言ってもわかってもらえない次元だ。
口ごたえや喧嘩なんてさせてもらった記憶もない。
それが許されているのは人間の子どもだけで、
運ばれるだけの冷蔵庫は乱暴に扱って壊れることはあっても文句は言わない。
「共に生きた記憶がない」から、
お互いがお互いに存在した記憶がない、のと同じで、
片方が一方的に搾取され、
奪われる関係は断つ以外に選びようがない。
酒蔵通りの記憶は
酒が発酵する特有の甘い香りと苦々しい子ども時代と結びついていて
なかなか複雑ではある。
二度と帰ることのない故郷が
手の先にぶらぶらぶら下がっている。