また、あらゆる意味で振り出しからはじまる本日。
息子の弁当は焼き肉弁当にした。
酒、砂糖、みりん、醤油の牛丼ベースに
コチュジャンと焼き肉のタレを少々加えたので、おかずには良いはず。


漬け玉子は息子推しアイテムのため、
脇役と言わず主役ヅラにて鎮座いただいている。


そして、今日付けで新たな職場へ初出社となった。


幾度となくやり直してきたが、
さすがに50近くになってもまだチャレンジングな日々を送ることになるとは、思いもしなかった。

だいたいこのくらいの歳の人から
牽制されたり、仕事取らないで感溢れる?守りからくるのか嫌味やなんやかや20代の頃は特に嫌な目にあったような気もする。


やれ服装を地味にしろ、だとか
そこは私が追いかけているから電話かけるな、などなど。(顧客リストにはなし)


いざ、自分がその歳になってみれば
拝まれるおつぼねになることもなく
むしろ
また新人からのやり直し。
へーこら、ヒーヒー言っている。


不安はもちろんあるが、
そんなときは
ドキドキドン!一年生が頭に流れる。


隣に座る子いい子かなあ、みたいな。
あれとまったく変わらない心境だ。
いつも新人、いつもここから、な具合。


私よりはるかにメンタル鋼に育った息子は毎日楽しそうだ。
演劇かあ、私もやりたかったくらいだよ、マジで。


毒親の多少の毒も今ならはねのけられそうだ。

自分の好き、楽しい、やりたいを一番に優先できて羨ましいくらいに。


私のアイデンティティは
親に叩きのめされ過ぎてヨチヨチ歩きの3歳児くらいなので
当の昔に息子に越されてしまった。


そう考えると
置いていかれて惨めになりたくないから
親は子を支配したりコントロールするんだろう。


自分が無碍にされないよう
子どもが自分を頼って情けない状態になることで、自分の存在意義を高めるべく
布石を打つわけだ。


私は自分が惨めになればなるほど、
子どもが自由な冒険に出るたびに
置いていかれて、孤独になればなるほど
毒親育ちとしては正解なんじゃなかろうか、と思っているフシがある。


毒親育ちを自覚する者として
後世代に持ち越さないためにも、
逆にすっきり、自分の心が軽くなること
自分の気分が良くなることや
気持ちいいことを子どもにすればするほど警戒すべきだと思っている。


自分の中の当然や当たり前を押し付けているほうが
迷ったり考えたり、相手の思考を想像するよりはるかに楽だからこそ、危ない。


自分のやるべき宿題を子どもに渡してるうちは
楽に決まってる。


ただ、こと私に関しては自分で自分を叩きのめしても、
旦那や息子のほうが「私」に対して自信と信頼がある。
失敗した〜、と叫んでも

「そう言いつつ、いつも出来てるから」
「実績あるから」
「そういいながら失敗してないから」と
励ましてくれる。


が、3歳児以下なので、すぐこけてタンコブ作って泣く羽目になる。

そのたびに慰められないと立っていられないのは
元々、何度も自我やら自信やらを親に殺されているからだろう。


ただ今日の初日はまだ大丈夫で、皆さん優しそうでひとまず本当に良かった。
ありがたい限りだ。
(メンタル3歳児以下のため、皆さんのイイネがあるからこうしてヘナチョコながら、ヨレヨレながらも弁当ブログも続けられておりますデスえーん本当に…)