連休前の最終日は焼き鳥弁当。
醤油入れすぎたよ、トホホ。


ちなみに、前回の弁当で
飯の上に豆を一列に並べてみたのだが、
あかんかったか?と、
息子氏に聞いてみると呆れ気味で


「あかんくはないが、なんで一列?とは思った」


とのこと。


デザインあ、の解散さながら、前へならへ、をさせてみたと言うと鼻で笑われる。



あんなに自分はちびっこの頃、「見て!見て!」と電車並べて呼び出し、
ブロック積み立てて呼び出し、何でも呼びつけていたのに、こちらの見て!は聞いちゃくれない、切ないものだ。


そして、本日、
歳をひとつとった。


ケーキは旦那が買ってくれました



子どもの頃、
誕生日いつ?と聞かれると、
いつも誕生日はゴミの日だから、一週間に2回ある、と言っていた悲しい時代。

欲しいものを買ってもらった記憶もない。
おいしいご飯もない。
命令と怒鳴り声と引っ越しばかりでいい思い出ひとつない。
いつもおどおど緊張していた記憶しかない。


今はおいしいご飯にのんびり酒ばかり飲んでられる。
子ども時代に幸せに祝ってもらえた人に比べれば
皺やシミ以上に歳を取れば取るほどあらゆる面で豊かになってきた。


何より心から「ゆったりくつろいで」いられる。


それは毒親育ちならではの
「今」感じるありがたみ。


…良きかな、良きかな。