昨日は朝からカレーやら、

漬け玉子やら、いろいろ仕込んだ。



そうして、

また今日から弁当1週間がはじまる月曜日。



息子は初夏の伸びざかりの木々のように、

青々と、意気揚々と学校にいく。



今日の弁当は

鶏むね肉のカレーマヨソテーみたいな感じ。



ガラムマサラや

ターメリックなどのスパイスを効かせたので

そこそこスパイシーなはず。



あとは息子一推しの漬け玉子。

日持ちするよう、酢と濃い目の味付けにしたし

まあ、いけるはずだ。



弁当づくりも2周目に突入すると、さすがに

どれくらいの量をどれくらい詰めたらいいか

少しは分かってきた気がするぞ。

息子好物尽くしのマンネリで行こう、マンネリで。 

まだ道のりは遠いわけだし。



父親には私が透明人間だった話 ①


(縁を切った親との古い話を書きます)


自分と父親の関係性に違和感、
なんだか世間とは乖離があるようだと気づいたのは
何人かの経営者のインタビュー記事を書く際、
彼らの話を傾聴しながら、イメージ、想像したことに始まる。


彼らの親に対する深い愛情や繋がりと自分と親のそれとはまったく違う、と肌で感じたことが大きかった。
他人との出会いは家族より、よほど
大きなインパクトがあり、彼らは
そうと意識しなくても誰かの糸口となり救いとなるある人にとっての真実をくれる。


とある、大手の塾の塾長は
ただやさしいだけじゃなく、
本当に相手にとって何がいいか考え
ときに厳しくもしてきただろう
いかにも見るからに懐の深さを感じさせる器を感じた。


塾経営する上での苦労や
子どもとの向き合い方などを伺ううちに
ふとおっしゃってくださった彼と彼の父親とのエピソード。


もう恰幅のいいいかにも老年の紳士が
少年に戻ったように、懐かしむように
「今でも死んだ父親に抱き上げられて頬ずりされたときのジョリジョリとした髭の感じを覚えていますよ、ハハハ」
と語ってくれたのだ。


私は「そうですか、素敵な思い出ですね」、とただ感心し
心温まる感じがした。


もう一人も経営者で
海釣りじゃなく、もっぱら渓流釣りが趣味だったんだが、やはり父親によく連れて行ってもらったそうだ。

そこの会社の社員さんが持ってきていた
渓流釣りで釣ったというアマゴという魚をそこで初めて私も頂いた。


甘露煮?頭から尻尾まで
まるごと味わえるよう甘辛く煮てあったんだが
川の栄養がギュッと詰まった感じというか
身はあっさりでも内臓の苦みの感じが
鮎とはまた違う味わいだ。



奈良県ホームページよりお借りしました。こちらアマゴです



奈良の上流に位置する
昔から変わらない森、
澄んだ川のきらめく川魚たち。


きっと釣りたてはもっとうまいんだろう、
父子で楽しめる趣味なんていいなあ、と感心したものだ。



…私は思った。


はて?私には何もない、
心のやりとり?
微笑んでもらった思い出ひとつない。
あざ笑う、こきおろす、はあっても。
黙っていても目をみれば、わかる。
死んだゴキブリかネズミをみるようなつめたい眼差し。
お前なんて、そんな目つきだ。


単に仕事一辺倒とか
時代だとか、相性が合う合わないの性格の問題、とか
そういう次元にないもっと薄暗い
見てはいけない、いや
見ようとしても何も見えてこない何か
何もない、という事実があったのだ。



自分が親をイメージしても
本当に何も出てこない、
心寒くなるので何も考えないようにしては
感謝してる、感謝してるはずだと言い聞かせるばかりだ。


よくよく考えると
感謝の思いは「する」もんじゃない、
勝手に、自然と湧き上がるもの、らしい
ということが世間の人たちの話を聞くと
段々わかったきたのだ。


咲きたがる親は自分の気に入る返答だけを欲しがる。
子どもの養分はそれを差し出すだけだった。


本心とは違っていても。


父親は妹には何も言わないが
私には矛盾した名前でよく呼ぶ。


飯どきはいつも死んだネズミを見るように
気を遣ってマズい残り飯を健気に頬張る子どもに
「お前は家族のゴミ箱だ」


母親に
「あいつ(私のこと)は、お前の親戚そっくりで頭おかしい」


就職氷河期で仕事がなかなか決まらない(といっても1年も長い期間でなく数ヶ月)

「役立たず、穀潰し」


仕事を必死でやれば20後半で
「もうオバハンなんやからな!(暗に結婚しろの意)」

かと言って家に帰らない日があれば
「ふん、お前は売女か!(バイタと読みます)」


娘に向かって、こんなに
娘以外の「自分のみたい、押し付けたい何か」を映し出し
罵る親を自分の親以外に私は知らない。


私は、家の中では
みすぼらしい惨めな姿でいなければならなかった。
それが彼らのみたい姿だからだ。


社会に出てそれなりに身なりを整え
化粧をし、いきいきした表情で歩いていたらどうなったか。


街なかですれ違い
糞親だけあって、目が合っても娘と認識できなかったのだ。
私も何も言わず気づかないふりをする。


本当に「見ていなかった」ので
私の姿をそれと認識できず
見えなかったわけだ。


老眼とか笑い話じゃない。
私は本当に「透明人間」だったと自覚する。


彼が私に向ける包丁の銀色の刃先は
私ではなく、奴が見たくない「何か」を映し出しているので
当然、向けていいものらしかった。
向けても刺されても文句が言えない透明人間。
次の日は、さも何もなかったかのように
感謝という名の養分をニコニコ差し出し、俺様の機嫌をとれ、との仰せである。


何をしてもよく
何を映し出してもよい、
都合のいい透明人間でありゴミ箱か。


ただ今になって思うに
私が「みえる」相手には
私はゴミではないらしく、
それは本当にありがたい。


誰かがゴミとして捨てても
価値あるものとして拾い、丁寧に磨いてくれるよほどのモノ好きな人間が、(いやこれぞ拾う神か)
いらっしゃるので、

この世界はよくできている。
何より、不思議だ。