週明けの月曜。

先週入学式だったので
いよいよ今日からみっちり1週間か…
道のりは遠い。


季節がら大きな新ごぼうが安かったので、
昨日は豚バラ肉と新ごぼうのスープカレーにした。


そのため、昨日の肉多めに炒めてからの…




新ごぼうと豚肉のカレーきんぴら
が本日のメイン。




尚、なぜか息子氏は玉子焼きは嫌いじゃないが
おかずにはならないとのたまうので、連日目玉焼きかアレンジ玉子焼きにしていたが
昨日漬け玉子を多めに仕込んだので
今日は息子好物の漬け玉子だ。


一応、作った側としては
今後の参考にもしたいのであれこれ確認する。


肉はかたくなかったか、だの
味はいけたのか、だの。
量減らしたほうがいいか、だの。


今のところ、弁当箱はすっからかんではあるので大丈夫だとは思うが念の為に報告を求めるわけだ。



「お母さんの飯がマズかったことあるか?いちいち聞かんでもわかるやろ」


呆れ顔の息子がスンとして言う。


「毎回聞かなくても大丈夫。実績があるから」
何も心配ないと旦那が笑う。



むむむ。



ただ二人がこのように意見してくれるのは、
私の飯がうまいというより、
マイナス2万点から0になっただけで、
(弁当の実績はまだマイナス1万点くらいだと思う)
対極にこの方が君臨しているおかげだ。



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実母のクソマズ飯伝説①
〜素材、相手の反応を一切みない、感知しない〜

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日々の虐待ぶりの思い出もコト欠かない実母だが
クソマズい飯を堂々と!自信をもって出す鋼のハートぶりエピソードも数限りない。


そもそも糞母が作った飯をうちの家族(息子、旦那)も
妹の家族(息子、旦那)も一切食べない。
食わず嫌いとはちがう。


試しに皆、勇気を振り絞り(見た目もマズ飯なもんで)
気を遣って、一口手をつけては「ごちそうさま」という。


一応嫁の親ではあり、皆やさしいので
直接マズい、とはいわない。


「僕には合わない」と妹旦那は申し訳なさそうにいうという。


こういうときは、でたでた
他責思考の糞母親の決まり台詞。



「最近の若い子は濃い味が好きやから」



…薄い味でも、うまい味があることを彼女は知らない。


妹はそのうち旦那さんの母親にしか依頼しなくなり、
ご飯も素晴らしく美味しいらしい。
糞母はスネて言う。



「あの娘は向こうの家に媚びて」



…自分に都合よく、事実を捻じ曲げて解釈する天才である。



小さい頃から味噌汁をつくれば「おかわり!」と言い、
野菜も好きでよく食べていた息子が3、4歳のころ、
うちの糞母が作った味噌汁を一口飲んで「ごちそうさま」と言い、プチトマトをつまんでいる。



糞母親は
「あら?息子くんは味噌汁嫌いなんや」


…嫌いじゃない。マズいのだ。
私は何十年もマズい飯に慣れている分、
耐性があり「食える」だけだ。


普通は食えないレベルなのだ。


「ちぎっただけのレタスがまずいんやからすごいな!」


もちろん糞母不在時(!)
旦那は天性の才能だと驚く。

他人からすれば、
それほどまでに斜め上をいくマズさなのだ。


味噌汁は味がしない。
ちぎっただけのレタスのサラダはなぜか苦みしかない。
朝食でこれだから、夕飯はお察しである。
パスタ、いため物、煮物、
すべてマズさしかない。
愛情もない。
作ってやったんだから、という押し付けだけがある。



旦那は天性の才能だというが
手からすべての素材の持ち味を駄目にする
モヤモヤとした煙のようは何かが出てるに違いないとすら私は思っている。



土井善晴先生がよく「素材の音を聞きましょう」
など、おっしゃっているが、
人の話も一切聞こえない(または聞く価値がないとシャットアウトする)人間が、
素材の音なんて聞こえるはずがなく
マズいよ、と皆が口を揃え、態度で示しても
「私は料理上手」と、自信しかない。


ちなみにはるか昔、
土井善晴先生のお父上の料理教室に行ったこともあるという糞母。


私:すごいやん、何教わったん?


糞母:何、話してるかわからんかったわ。


他人の言葉を理解しようとする努力も歩み寄りもないので
豚に真珠、馬の耳に念仏とはこのこと。


それくらい向上心も創意工夫もないからこそ、
何十年も糞マズい飯を作り続けても
「気付かないでいられる」





…たしかに才能ではある。