私がセラピストになろうと思った原点、
肺腺ガンに羅患した時の振り返り日記を綴っていきます。
肺ガンか結核か、精密検査のベルトコンベアー【④私の振り返り闘病日記】
からのつづき
2019年5月
非小細胞肺腺ガンという診断が下り、 他の臓器に転移は無く、 ステージもⅡかⅢとのことだった。 手術ができるかできないかが微妙とのことで縦隔鏡検査をしなければならないと言われた。 気管支鏡検査ではリンパ転移が無く、PETの画像だとリンパに転移しているから追加検査をしないと何とも判断ができないとのことだった。
絶対に切ってもらいたい! すぐさま悪い所は取り去ってほしいと思っていた。 私をこんなにも苦しめるガン細胞、 それがみるみる大きくならないうちに一刻も早く切り取ってもらいたかった。 黒い塊が右胸でどんどん大きくなっていくイメージを描いてしまっていた。
この時の私は、病気は完全に外側からやってきているものと思っていた。
なんて可哀そうな運の悪い私、
まだ人生終わるには若いのにこんな病気になって苦しい思いをしなくてはならないなんて
子供だってまだまだ母親の事が必要だ
夫だって自分より8歳年下の嫁がこんな事になるだなんて、夢にも思わなかっただろうに
両親だって娘に先立たれる事になったらどんなに悲しむだろう
一体私が何を悪い事をしたというのだろうか
神様なんていやしない
私の人生っていったい何だったのだろう
何の為に生まれて来たのだろう
毎日こんな事をぐるぐると考えていた。
診断が下った2週間後、縦隔鏡検査をしに病院に向かった。 ここはロンドンで外科を主に
専門とする大きな病院でSt. Georges Hospitalというところだった。
7年ほど前に親知らずを抜いてもらおうと、町の歯医者からこの病院に紹介されて来たことがある。 その時はあまりにも深すぎて抜けないと言われ、結局その後、日本の親知らずの名医に抜いてもらったのだ。
古くてあまりきれいな病院ではないのだが、一応設備は最先端で整っているらしい。 病棟がいくつもいくつも複雑に連なって、 歩いて回れる敷地ではないほど大きかった。
その中の循環器病棟に行った。 予約された人だけが待つ待合室に通され、そこにはスラッとした35歳くらいの白人女性と彼氏なのか若い男性が既に待っていた。 ナースから何やら質問されて答えているのは女性だったので彼女が患者なのだろう。 こんなに若くて美しくて健康そのものに見えるのに、 この人も私と同じ検査手術なのだろうか。 と思った。
彼女より私が先に呼ばれた。 その頃の私は体中が痛く、あまりにだるいせいで痛み止めを常に服用しないととても辛った。 手術前は飲んではいけない為、体の痛さに朝から我慢していたから早く呼ばれてホッとした。 その女性患者と彼氏が私を見つめていた。 待合室から出発する私に、心で先にがんばってきてね、と言っているように思えた。 私も心でありがとう、あなたもね、と返した。
歩いて手術するエリアに入る前に中国系女性医師が待っていて、
「私が担当の執刀医よ。」
と声をかけられた。 少し年配のきびきびした感じのベテラン医師に見えた。
麻酔をしたと思ったら、何事も無かったかのようにあっという間に目が覚めた。 目の前の光景がゆがんで見える。 眠い、でも首の切ったところが異常に痛い。 そばにいた男性看護師に 「痛い、痛い」 と訴えると、直ぐに痛み止めを投与してくれた。 すぐにあの女性執刀医がやってきて、
「私が見たところ、大丈夫みたい。 まだ確定は出来ないけどね。」
と言ってくれた。 彼女の顔が天使に見えた。 良かった.... 大丈夫という言葉だけで何よりも救いになった。
1週間後に検査結果が出た。 いかにも凄腕な感じの男性外科医に会った。 彼は凄腕で猛烈に忙しいからか一秒でも時間を無駄にしたくないという雰囲気を醸し出していた。
「縦隔鏡検査の結果、手術できるよ。 リンパに微妙に差し掛かってるけど早急に手術しよう。」
と早口で言った。
飛び上がるくらいの嬉しさだった。 あーこれで助かる。 早く切ってもらおう、 これでガンともうおさらばだわ。
それからNHS(国民保険サービス)としては異例の速さの1週間半後に手術日が決まった。
体がおかしいと思い始めて病院に行ってから手術日まで約2か月だった。
へつづく
最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さまの心と身体が健やかでありますように。