今日、二週間ぶりにヨガのクラスに行ってきました。

二週間前の金曜の午前も私はヨガに行き、インストラクターのいつもの「今日の日も皆様にとって健やかで穏やかな1日でありますように」という言葉でしめくくったのでした。

今日はいつもの言葉が「被災された方々が一日も早く復興されますように」と変わり、皆、祈りました。

この二週間、今を記しておきたいと何度か思いましたが、溢れる感情気持ちを整理して書くことは出来ませんでした。


私の住む町は地震とともに停電になり、夜の10時過ぎまで七時間電気が来ませんでした。

ですから情報がなく、私は都内に出かけた娘の事ばかり心配していました。

行き先は母校でした。部活の顧問の先生に進学の報告に行き、メールで連絡がとれたのは地震から三時間半後で、結局その晩は同期5名と共に学校に泊めていただき、明朝8時半ごろに戻りました。

息子は期末テスト明けで家におりました。
息子がいてくれてどんなに心強かったか。

マンション住まいなので、電気が停まると水道も止まり、トイレが不便でした。寒さも手伝って結局5回ためてしまいました(苦笑)。真っ暗で良かった!

怖くて怖くて、ジョーの散歩を息子と一緒に行き、ついでに夕飯を買ってくることにしました。

一番近くのコンビニに行ったら、停電で真っ暗な店内に人、人、人。
売り切れ続出、レジは長蛇の列になり、店員は六名掛かりで対応していましたが、皆、買う量が多いこともあってコンビニを出るまでに何十分もかかってしまいました。

他の店も数件まわってみましたが、対応できないのでしょう。閉店していました。

キャンドルを台所のシンク内に三本ほど灯し、(余震が危なくてテーブルの上には置けないから)冷たいお弁当を二人で食べました。

夫は夜7時頃に電話がつながり、歩いて帰るか、会社に泊まるか迷っていましたが、結局0時過ぎに動きだした電車で帰ってきました。


夜10時過ぎに漸く電気が来て、ホッとしたのもつかの間。

テレビに映った信じられない光景。

あまりのことに、涙も出ず、
昔の歌じゃないけれど、それから数日は祈る言葉さえ出ず、

なぜ?なぜ?という思いと、大きな不安でいっぱいでした。


今も、玄関には大きな非常持ち出し袋と水。

テーブル上には懐中電灯と、携帯ラジオ。

サイドボードにはいくつものろうそく。

娘はリビングで寝て、

ジョーには一日中リードがつけてあります。
(すぐ連れて出られるように。地震時、興奮して捕まえるの大変でした。)

でも、少しずつ落ち着いてきて、

今は、被災地の方々の心と体が一日も早く温まること、

そこで活動されている方々の健康、

原発事故の現場で仕事をして下さっている、政府、東京電力、自衛隊、消防隊、建設業の方々の安全と共に、

速やかに事態が終息し、安心して生活できるようにと祈り続けています。

時折、批判めいた言葉も聞こえてきますが、

私は政府にも東京電力にもとても感謝し、応援しています。
疲労も、どれほどかと心配しています。

今後の問題は山積みです。
言葉だけじゃなく、皆で助け合っていかなくては。