地図によると波除於咲稲荷神社のすぐそばに佃天台地蔵尊さんがあるはず

 

周りを見渡すと道路(下水管)工事の真っ最中

工事車両の間に標識を発見

 

 

警備員さんにことわって通行させていただきます

 

 

狭い路地を進んでいきます

「マジか、本当にこの中なの」と不安になりましたが突如右側に

 

 

 

なんか知らんけど思わず「おぉ凄い」と感動

めっちゃ清潔感&荘厳な感じです

中はどれほど広いのかと思いましたが実際にはイチョウの木の向こう側に若干スペースがあるだけで

見た目通りの狭さでした

 

 

 

 

しかしこの銀杏の木、すごいですね。

ただ屋根のところで切られているのかな?

それにしても立派です

などと思っていたらとんでもない事実が

 

(グーグルマップ)

 

屋根を突き抜けて(イチョウの木の為に屋根をくりぬいて)立派な大木になっておりました

樹齢350~400年ぐらいらしいです

 

 

 

 

 

ところでなぜ「天台」なのか気になりましたので調べたところ

 

江戸時代の中期、正徳5年(1715年)~元文3年(1738年)に在住された上野寛永寺崇徳院宮法親王が地蔵菩薩と厚く信仰され、自ら地蔵尊像を描き江戸府内の寺院にたまわり、地蔵尊造立と促されたと伝えられています。

の寛永寺の第六世輪王寺宮の推挙を得て、浄名律院(現在、浄名院)が建立
浄名院の妙運大和尚が、八萬四千体石地蔵尊建立を発願され、崇徳院宮の描かれた地蔵尊を拝写され、全国の信者に賜わったことからとも伝えられています。

なぜ佃天台地蔵尊と「天台」という文字が付いているのかというと、妙運大和尚が天台宗の僧だったことに由来しているとのことです。

(お地蔵さんブログ)

 

尚、正式?には「佃天台子育地蔵尊」と「子育」が付くそうです

 

先ほどの路地から入るときに警備員の方から「こちらに戻ってこないように」と言われておりましたので反対側に抜けると

 

 

あ! なんだこちら側から入るのが一般的だったのかな

これだと分かり易かったですね

 

 

南無地蔵菩薩