品川区旗の台の昭和大学病院に所用がありましたのでそれではということで曜日を確認

「しめた」今日は扉が開いているはず

 

グーグルマップ情報では水曜日と日曜日は扉が閉まっているということでしたが

本日は木曜日

 

開いていましたねニコニコ

 

お恥ずかしい話ですが「木霊」この字が読めませんでした

案内表示にフリガナがあって初めて「こだま」だと知った次第です。

 

こだま

[一]東海道・山陽新幹線で運行されている特別急行列車の愛称。昭和39年(1964)の東海道新幹線の開業とともに運行を開始。「ひかり」などの乗り継ぎに用いられる緩行列車で、山陽新幹線開業後も途中区間を結ぶのみで東京・博多間直通などはない。

 

[二]宇宙開発事業団(現JAXA(ジャクサ))が開発したデータ中継衛星の愛称。平成14年(2002)に打ち上げられ、インド洋上空の静止軌道に配置。低軌道・中軌道の人工衛星、および国際宇宙ステーション(ISS)の日本の実験棟きぼうとの通信の中継に利用された。最大通信速度は240Mbps以上。平成29年(2017)に運用終了。データ中継技術衛星(DRTS)。

(Weblio辞書)

 

   

いや、今回はこちらの説明でなくて

 

木霊(こだま、木魂、谺)とは、樹木に宿る精霊である。また、それが宿った樹木を木霊と呼ぶ。

また山や谷で音が反射して遅れて聞こえる現象である山彦(やまびこ)は、この精霊のしわざであるともされ、木霊とも呼ばれる。

(Wikipedia)

 

こちらの「木霊」ですね

 

しかし、なぜ「木霊稲荷神社」なのか

 

木霊とは東京都認定天然記念物として樹齢四百年余の大欅が昭和四十一年までこの地にあったことによります。現在社の後ろにある木は、その後植えられた木です。

ということらしいです

 

手水盤もあります・・・、たぶん

 

「たいぞう」さんて、どなたなんだろうか

 

 

お狐様たちにご挨拶

 

 

 

 

この説明文ですべて理解できました

 

ちなみに「たいぞう」さん

 

芳根鋭蔵 よしね たいぞう
大正6年生まれ。剣道範士。早稲田大学政治経済科卒業。厚生技官兼厚生事務官として社会福祉政策、とくに人口政策を研究し後に大蔵省に出向し大蔵事務官に任ぜられる。長年、法務省委嘱保護司をつとめる。品川区議会議員待遇者会長 社団法人日本伝統俳句協会顧問。(財)全日本伝統俳句協会顧問。(財)東京都剣道道場連盟副会長。NPO欅センター理事長。誠芳館館長。

 

この方だとおもわれます

 

さて、1枚目の画像の右後方に何やら小屋のようなものがうつっています。

気になったので裏側へ移動

 

札場の跡

ここ中原街道は江戸から相模国中原御殿へ向かう主要な道であった。
中原街道沿いにあるこの辺りは江戸時代から大正時代まで「札場」と呼ばれていた。
(品川区郷土の会)

高札場とは江戸時代、幕府や領主が法度(法令・禁令)などを立て札に書いて掲示した場所。

 

ちょっと中原街道沿いにめをやると

 

 

 

 

昔の中原街道沿いにはちょっとした史跡の発見がありますね。

 

中原街道は、江戸虎ノ門から洗足、小杉、佐江戸、瀬谷、用田を経て終点、相模平塚の中原で東海道に繋がる60k程の脇街道である。
家康は初めて江戸に入った頃、平塚からほぼ最短直線で江戸に向かうこの道を利用していた。沿道に自身の鷹狩りや、参勤交代の大名たちの休息所として小杉御殿、中原御殿を設けたが、その後、東海道を整備(本陣など)したことに伴い、通行量が激減し(大名の利用が減少)「御殿」も廃止した。・・・中原街道はやがて幹線街道としての役割を終え、沿道の農産物を江戸へ最速で供給する(大名行列を避けられる)物資輸送の道となった。

別名:相模を通るので・相州街道、平塚から酢を運んだ為・お酢街道、東海道と矢倉沢往還の間の為・江戸間道、・・江戸近郊では、小杉御殿に向かう為・小杉道、江戸の糞尿を運んだ為・こやし街道と呼ばれていた。
(中原街道一人旅より引用)した「しながわ百科」さんから引用ウインク