本堂方面に移動
青木屋さん
深大寺そば(じんだいじそば)は、東京都調布市にある深大寺周辺に伝わるそば。1735年(享保20年)出版の『続江戸砂子』は江戸名産として「当所の蕎麦は潔白にして、すぐれてかろく好味也」と紹介している。現在は、深大寺の門前を中心に20数店舗が営業しており、毎年秋に「深大寺そばまつり」が行われる。
二八蕎麦食べたいな
後で食べにこようかな。と思っていたのですが実際には別のところで食べました。
理由は後程。
ところで「深大寺そば」と「二八そば」は違うんですね。
メニューには別々に書いてありました。
一休庵さん だったと思います 水車が印象的でした
反対側の池を見るとお社が
池とお社、これは間違いなく弁天様でしょう
と思ったら反対側にもお社が・・・
弁天池?にお社がふたつ、どういうこと?
後ろを振り返ると掲示板に
位置関係を考えると最初のが大黒天さま、対面が弁才天さまですね。
公式境内図には弁天池とは書いていないけど「亀島弁財天」と記載されているので
弁天池でもOKですよね。
南門に入ります
扇塚 でいいのかな?
釈迦堂
釈迦堂の中は撮影禁止でした。
この池の名前が分からない
いったん外に出ます
山門を背にして、こちらが表参道ですね
人が少なくなったところを見計らって
振り返ると山門です
参道より一段高い寺の敷地の入口に立つ正門で、正面には「浮岳山」の山号額を掲げています。慶応元年(1865)の火災の際にも常香楼とともに被災をまぬがれた建物で、現在、山内で一番古い建物です。屋根裏にあった棟札には、元禄8年(1695)に1,000人の寄進者・人足によって、このあたりの地形と山門の普請が行われた。と記されています。
東京に残っている江戸時代の建築の中でも、意匠的に特にすぐれたものの1つとされています。
形式は、主柱を3.6m間隔に立てて扉を付け、後方に細い控え柱を立てた薬医門とよばれるものです。柱、梁、組物などの材はケヤキ。屋根は切妻の茅葺き。屋根裏板や垂木はスギで造られています。ケヤキ部分をベンガラで赤色に、スギ部分を黒で塗った、山内唯一の彩色された建物です。
江戸時代の深大寺の建物はほとんどすべて茅葺きでしたが、今では旧庫裡と、この山門だけになってしまいました。ケヤキは昔、武蔵野では屋敷林として植えられ、建築用材として好んで使われていたものです。
(公式)
いよいよ本堂へ
まずはこちらでお線香を
中を覗くとお線香が網目を通して入れるのでみんな横倒しになっていました。
うむ
ここは運試し。
垂直に刺さるように投入
分かりずらいですが、見事にお線香が立っています。
うん、これはツイている。
神仏の御加護ですね。
今年はきっといい年になる。
て、今は12月、あと残り僅か・・・
でもいいや、2023年を無事乗り切り2024年もきっと良い年になるでしょう
(一日、二日とすごい事件・事故が・・、)
本堂
江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は仮に、再建した庫裡に安置されていましたが、大正8年に今の本堂が完成しました。
旧本堂は寄棟造りの茅葺き屋根でしたが、再建本堂は入母屋造りの棧瓦葺きに変わりました。正面十間、側面八間(一間は1.8m)という規模は、昔より少し大きくなっているようです。外側を雨戸付きの硝子窓とし、腰を下見板張りとするやり方は昔から変わっていませんが、正面中央の上り口だけは、禅宗様の棧唐戸の引き戸になっています。
旧本堂の正面中央には、入母屋破風の向拝が付いていましたが、今の向拝は唐破風です。梁の木鼻には獅子・象の彫りもの正面の三段の虹梁の間には龍、破風板の下には鳳凰の彫り物があって、江戸時代らしさが表現されています。
平成15年には大屋根大改修工事をおこない、瓦屋根より銅板葺本瓦棒葺きになり本堂外観を一新し、偉容をほこっています。
(公式)
鐘楼
この後、寺務所にて御朱印帖を預け、さらに境内を廻ります。
南無阿弥陀仏