西澄寺(さいちょうじ)は、東京都世田谷区にある真言宗智山派の寺院。

1574年(天正2年)、隆向によって開山された。

幕末から明治初期にかけて、住職不在で荒廃していたが、1892年(明治25年)に慧荘が中興した。慧荘は高野山で習得した灸術を施したことで、「霊灸」の評判がたち、多くの人で賑わった。当寺の梵鐘は灸術を受けた患者から奉納されたものである。

当寺の山門は、1922年(大正11年)に旧徳島藩江戸藩邸の門を移築したものである。東京都の有形文化財に指定されている。

(Wikipedia)

 

二度目の参拝です。

確かここは玉川八十八箇所霊場だったような記憶が(52番です)

前回参拝時は本堂の修復工事(?)中だったのか工事車両が止まっていました。

また武漢肺炎(チャイナウィルス)の真っただ中で御朱印も中止されていました。

 

今回は、と思いましたが別の理由でビビって頂けませんでした。

残念ですがこれも「縁」ですね。

 

 

参道

 

 

武家屋敷門

 

 

東京都指定有形文化財の山門は、港区三田の現・豪州大使館の地にあった旧徳島藩主蜂須賀侯爵邸の表門を昭和3年に移築したもので、江戸末期の築と推定される。
『東京都指定有形文化財(建造物)武家屋敷門保存修理工事報告書』によると、蜂須賀侯爵邸の敷地は江戸末期から明治初期は佐土原藩主島津家の屋敷であり、したがってこの山門は元は島津家の門であったとも推定している。
また『世田谷区社寺史料 建築編』によると、門の棟札には、徳川家光の代に仙台藩主伊達家江戸屋敷門として築造され蜂須賀邸には明治22年に移築された、とあるが疑問もあるという。

(伝統の日本旅行記)

 

納骨堂

 

 

薬師堂

 

 

 

 

お狐様にご挨拶

  

 

 

本堂

 

鐘楼

 

 

 

ところでこれですが「日本の伝統旅行記」さんに出ていた画像

 

池とコンクリート橋

 

書院

 

この二つの存在に全く気付かなかったです。

もしかして本堂左側の立ち入り禁止ぽい所に有ったのかな?

 

グーグルマップで確認しましたらコンクリート橋は本堂右側ですね。

書院はその奥なのかな?

木々に遮られて全然気づかなかったです。

次回参拝時にはぜひとも確認したいと思います。

 

 

 

南無大師遍照金剛