神社に弁才天、別にいいですよ。

何しろ日本はすべての神様・仏様を受け入れる国民性ですので神仏習合は当たり前

キリスト教でもイスラム教でも受け入れます。

(ギリシャ神話が好きです。ローマは勃興から最盛期までは多神教でした。併合したそれぞれの部族・民族の神を受け入れてきました。一神教となり排他的になった結果・・・)

 

七福神様だって

恵比寿=日本(神道)の神
大黒天=インド(ヒンドゥー教)の神
毘沙門天=インド(ヒンドゥー教)の神
弁財天=インド(ヒンドゥー教)の神
布袋=中国(仏教)の神
福禄寿=中国(道教)の神
寿老人=中国(道教)の神

 

ですからね。

 

ま、そんなことは置いておいて

 

銭洗弁財天宇賀福神社(ぜにあらいべんざいてん うがふくじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市佐助にある神社である。境内洞窟にある清水で硬貨などを洗うと増えると伝えられていることから、銭洗弁天(ぜにあらいべんてん)の名で知られている。 文治元年(1185年)、源頼朝への宇賀福神の夢のお告げを元に、宇賀福神を祀り神仏の供養を行なったのが創建の由来。

 

源頼朝が、巳年である文治元年(1185年)の巳の月(旧暦4月)巳の日、巳の刻にある夢を見た。それは宇賀神から「この地に湧き出す水で神仏を供養すれば、天下泰平の世が訪れる」とお告げを受けるというもの。そこで頼朝は佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったと伝えられる。

同じく巳年の正嘉元年(1257年)に、5代執権北条時頼がこの霊水で銭を洗って一族の繁栄を祈願したのが銭洗の始まりだといわれる。

宇賀神と弁財天が神仏習合して弁財天と呼ばれ、相馬天王(扇ヶ谷)の末社だった。明治時代の神仏分離により、相馬天王は八坂大神と改称、当社も祭神を市杵島姫命とし、1970年(昭和45年)には末社から独立した。

(Wikipedia)

 

ところで今では正面のような岩をくりぬいた入口ですが第二次世界大戦の頃まではこの隧道は無く、現在「裏参道」と呼ばれる南側の細い参道が本来の入口であったらしいです。

 

では隧道をくぐります

 

 

出てきたところにすぐ手水舎があります。

 

しかしずいぶんと観光客が多い。

小学生、中学生の団体、外国の方も多かったです。

 

お借りした境内図

 

七福神社

 

  

 

下之水神宮

 

 

  

 

 

 

一条の滝

 

上之水神宮へと向かいます

 

 

  

 

 

 

 

南参道

 

  

 

この時点ではまだ気づいていませんでした

 

境内図を見ていたら

 

なんだと!

 

さっきの南参道から出れば佐助稲荷へ行けるんだ。

これは良いことを知りました。

後でこの道を通ろう。

 

奥宮

 

 

 

 

 

大人も子供もお金を洗っています。

 

 

 

 

あれ?

境内図を見て思ったのですが、もしかして、もしかしたらですよ

 

本社を参拝していないみたいです

 

いや、そんなはずはない。

だが画像がない。

 

ネットで本社の画像を調べてみました。

参拝したようなしなかったような。

しかし画像がない。

なぜ?

 

弁天茶屋に群がるお子様たち

 

この時点では全く気付いていなかったので(本社のこと)落ち込むこともなく南参道へ

 

 

 

 

う~ん、確かあの三本の鈴緒、見たような気がするんだけどなぁ~。