延命寺から圓應寺さんへ向かいます。

 

 

お!

あれって多摩川ですよね。

 

あ、いかん、ここを曲がらなければ・・

 

 

曲がった先の左側に祠がありました。

草が茫々です。

見る限り入り口がありませんでした。

 

ちょっとどうなの、これって

 

せっかく古い時代、あるいはご先祖様の代からこちらにいらっしゃるのだから手入れはしようよ。

罰が当たるかもよ。

 

と思いつつ圓應寺さんに到着。

 

 

 

 

 

 

創建年代は不明である。寺の公式サイトでは「約六百年の歴史をもつ由緒あるお寺です。」としている。また寺が保有している板碑には「永仁2年(1294年)」の銘があるものがある。

境内には、庚申供養塔があり、大田区の有形民俗文化財に指定されている

(Wikipedia)

 

 

(公式HP)

 

1294年当時にお寺があったとしたら600年どころではないですね。

 

約600年としているのは先に板版があり、その後、縁あってお寺を建てたという認識があるのだと思います。

 

いずれにしても古い歴史のある寺院だということですね。

 

 

植木屋さん(?)たちがいらっしゃいまして手入れをしておりましたので邪魔にならないように境内を廻らせていただきました。

 

といっても墓地には入れないので狭い範囲内ですが

 

十三の仏さま

 

画像が分かりづらいですよね。

 

では、お一人ずつ

 

不動明王

 

釈迦如来

 

文殊菩薩

 

普賢菩薩

 

地蔵菩薩

 

弥勒菩薩

 

薬師如来

 

観音菩薩

 

勢至菩薩

 

阿弥陀如来

 

阿閦如来(あしゅくにょらい)

 

大日如来 金剛界

 

虚空蔵菩薩

 

大日如来 胎蔵界

 

 

当然のことながら当寺院では御朱印が頂けるのですが

雰囲気とお仕事中などを考慮して御朱印を頂くことが出来ませんでした。

 

うーん、このビビりの性格を何とかしないとね。

 

 

ところで常に疑問に思っていたこと

「如来」と「菩薩」の違いは?

 

いろいろとネットサーフィンしてきました。

 

観音菩薩さまはいいかげん「如来」様にはならないのでしょうか。

 

もっとも如来様たちは偉すぎて現生人類をいちいち見ていられないので

あるいは力を貸すわけにはいかない理由があり観音菩薩様に現生の人たちに力を貸すよう指示しているのではと都合よく解釈するしかないですね。

 

穿った考え方をすれば如来様たちは悟りを開いているので「成るように成る」を受け入れて大宇宙に対し不自然な力を貸さないのが悟りであり、菩薩様たちは現生人類を助けるために(悟りを得るために)試行錯誤を繰り返す身近な存在であるのかもと思います。

 

ま、悟りを開いた如来様たちは別にして

日本神話やギリシャ神話の神様たちのように人間ぽい神様たちが好きです。

となると、やはりともに歩む身近なお方は「観世音菩薩」様ですね。

 

観世音南無仏・・・

 

 

 

南無大師遍照金剛