武蔵小山駅のアーケード街(パルム商店街)を横切り朗惺寺さんへと向かいます。

 

武蔵小山商店街パルム

昭和31(1956)年にオープンした日本初の大型アーケード街。完成時は全長470mで「東洋一のアーケイド」といわれ、その後も延長拡大。現在は武蔵小山駅から中原街道まで全長約800mの東京で最も長いアーケード商店街です。

店舗数は約250で、飲食店や雑貨、服飾などバラエティ豊かなお店が立ち並び、雨の日でも傘をささずにショッピングが楽しめます。流氷祭り、納涼祭り、サンバカーニバルなど、年間を通じてさまざまなイベントを開催。商店街独自のクレジットカードやポイントカードを発行するなど活気あふれる商店街です。
都心部では珍しく、収容台数132台の大型駐車場も完備しています。

(しながわ観光協会)

 

 

 

平日の午前早くの時間帯だったので、まだお店はオープンしておらず人通りもまばらでした。

 

朗惺寺

 

1574年(天正2年)、日惺によって開山された。元々は江戸八丁堀(現・東京都港区八丁堀)に位置し、「朗清寺」という名称であった。1657年(明暦3年)の明暦の大火で芝二本榎(現・東京都中央区高輪)に移転した。その際に「朗惺寺」に改称した。

1909年(明治42年)に現在地に移転した。現在の本堂は、戦後に再建されたものである

(Wikipedia)

 

 

 

後ろのビルは再開発によって建てられたものですね。

 

第十三次満洲興安東京荏原郷開拓団殉難者慰霊碑

 

1943年(昭和18年)、武蔵小山商店街の関係者らによって満蒙開拓団の一団として「第十三次満洲興安東京荏原郷開拓団」が組織され、満州国興安総省興安街(現・中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガン盟ウランホト市)に入植した。

1945年(康徳12年・昭和20年)8月9日のソ連対日参戦で、興安街周辺は混乱状況に陥り、8月17日に暴徒の襲撃に遭遇、虐殺や集団自決で約800人が死亡した(双明子事件)。この碑は、辛うじて生還し、再び武蔵小山で店を開いた有志によって建てられたものである。

(Wikipedia)

 

 

庚申塔

 

 

 

御首題を頂こうかどうかちょっとだけ思案しましたが

庫裏には寄らず移動しました。

 

 

南無妙法蓮華経