蛇窪神社由緒略記

文永8年(鎌倉時代・1272年)11月10日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。
    その後、時千代は、法圓上人(ほうえんしょうにん)と称して大森(大田区)に厳正寺(ごんしょうじ)を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に居住させました。現在、厳正寺の壇徒がこの地域に多いのは、こうした理由によるものです。
    文永8年の秋から50年ほどを経た元享2年(1322年)、武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。上人の赤誠(偽りや飾りのない心。まごころ。)と神霊の冥助により、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。
    これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩に応えて祀りました。これが現在の蛇窪神社の縁起とされています。(荏原区史)
なお 一説には、鎌倉時代に、この地の豪農、森屋氏(現姓森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。 
当社の旧社名は神明社でしたが、その後村社に昇格して「天祖神社」に改名されました。
令和元年5月1日より、御大典を記念し、また、地域の発展を祈念して、神社名の問い合わせの多い別称「蛇窪神社」を通称表記に格上げすることになりました。

公式HP

 

蛇窪神社さん、多くの方のブログを読んでぜひとも参拝したかった神社さんです。

 

また「東京福めぐり」の神社さんでもあり、何時かは始めようと思っていました。

 

当初は順打ちで浅草神社さんからだと思っていましたが

蛇窪神社(上神明天祖神社)さんから始めると逆打ちで、それはそれで始める切っ掛けとしてはベストです。

 

3月に高輪神社さんに行ったときに東京福めぐり専用の御朱印帖を買おうかどうか悩んだのですが、妙に気が乗らなかったのでパスしました。

 

たぶん、この日が来ると神仏のお導きですね。

 

今回は迷わず頂きました。

 

 

最初はこんな状態です

 

神社名は書いてあります。

そこに御朱印(これこそ本当の御朱印ですね)を頂くという仕組みです。

早速頂いた御朱印

 

 

すでに蛇窪神社と神社名が変更になっています。

まだ多くのパンフレットや公式HPにも上神明天祖神社の名前で載っていると思います。

 

さて境内に入ってみます。

その前に蛇窪神社さん、荏原七福神の弁財天様でもあります

 

公式HPより(商業目的以外なら二次創作可みたいです)

 

 

 

 

 

  

 

本殿

 

 

 

では白蛇様に逢いに行きます。

 

 

手前右側に

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

玉ってどれだろう。

中央やや右上のことでしょうか。

よく見ると石に蛇さんが巻き付いているように見えます。

 

 

参拝を済ませて戻り道(鳥居をくぐって境内に入って左側)

 

 

 

 

 

 

 

 

正直言ってこの二体のお狐様、少々雑じゃないですか。

もしかして近くの学生たちや有志の寄進なのかな。

そうであれば、ありがたく感じ入ります。

 

PS

これ分かりました。

妙にまんが・アニメ的な白蛇群と白竜、白狐のコンクリート像がいて、その躍動感はハンパなく、夜中に動き出しそうなくらい。単なるヘタウマを超えたこの生命感はなんなのか。宮司さんによれば、この白い神使たちの作者・真鍋勝さんは鳶職で若くして神社番になり、亡くなるまで50~ 60年間、この神社にかかりっきりだった。「マーちゃん」と呼ばれた彼の創作活動は、温かく見守られていたようだ。この神社の発案で、昔の地名、蛇窪にちなんだ白蛇のゆるキャラ「くぼっち」が誕生し、“萌え系”七福神巡りも始まった。社務所まわりにも新キャラの絵が散らばり、まんが・アニメ的な不思議世界が湧き出す泉のような場所だ。

さんたつby散歩の達人さん

 

まさにありがたい逸話でした。